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謙虚であること

05/05/2007 にアップした文章です。

昨日、名城選手のボクシングの試合を見ていて、キーワードはコレだな、と思っていたのですが、どうもこの謙虚について、日ごろ考えているようで、中途結論も出ているようで、実際はやっぱりモヤモヤだなぁと反省しきり・・・。いつも流動的だといえば流動的なのですが、ここのところ、ステータスの不安定は最たるもので、いつまで今の通訳の契約を継続するか、今後どの方向を選ぶのか、と、大学院入学の誘惑があるのでなおさら不安定な気分であるのも事実。たとえつかの間でも滾る血を感じることができて、よかったのではありますが、自分の課題でもある「謙虚であること」を考えてみなければ・・・。

謙虚:ひかえめでつつましやかなさま。自分の能力・地位などにおごることなく、素直な態度で人に接するさま。
ひかえめ:(1)思うままにせず、内輪にとどめること。遠慮して振る舞うこと。また、そのさま。(2)量や程度を少なめにする・こと(さま)。
驕る:才能・家柄・地位などを誇る。また、それを頼ってわがままな振る舞いをする。
才能:物事をうまくなしとげるすぐれた能力。技術・学問・芸能などについての素質や能力。
家柄: (1)家の格式。(2)格の高い家。名家。
地位:(1)社会集団における立場。身分。くらい。(2)役割上の位置。

うーん、これらの語彙をじーっと眺めてみても、私には謙虚というのは穴場な弱点であることがよーくわかります。その要素は、そもそも誇る家柄も地位もなく、才能をどのように生かして生き延びていくか?だけを問われてきたからです。先天的な疾病である躁うつ病は、幽霊やゾンビのようになってしまう可能性もあったので、そうならないために、自殺などしないように、他人様にご迷惑をかけないように、と、骨身を削ってきた感があるので、なおさら、これは相容れない考えのようです。

そもそも、バランスが均衡でないときの私の状態を控えめに報告したり表現することは、裡的な混乱をなおさら招き、悪いと自殺したい衝動に支配されたり、と、生き延びる可能性を減らしてしまいます。さらに、外的にも、そんな状態が続くと、誰が止めるのも聞かずに夜中までハイパーに駆け回り、意識がある夢遊病者のようにふらふらと徘徊をします。認知症の元気版でしょうか・・・。振り子やサーモスタットのように「均衡に戻す」という機能は生物として多少なりともついているのですが、ストーン!とその躁と鬱のあいだをトリップするのが、本当にイチバン怖いことなのです。私は生命を賭けるこんなエピソードを、これまで4回ほど経験しましたが、その手前くらいの揺れは10代ではしょっちゅうでした。私より重いケミカルインバランスを体験せねばならない人々であれば、数えることも不可能なくらいの「日々の試練」です。

何かが起こってしまってから「事後言い訳」をするのは、たいへんに危険であるし、収拾がつかないような事故であったときには、誰しもが後悔することになるので、マイナスであろうがプラスであろうが、物事をきちんと正直にレポートするというのは、私のサバイバルのための必須の決まりごとです。これは疾病が明確になる前から身についていたことなので、それがよく作用したことのほうが多かったので、やはりこれまでずっと採用しています。

躁うつ病の躁状態が続くと、Grandiose(大げさな、ものものしい)傾向はさらに顕著になり、回りの人間に気づいてもらうには、それを控えめに隠すのは、「嘘つき・言い訳だらけ・隠密行動」を引き起こします。なので、私は謙虚などと誰かに評価されることはこれまでなかったのでしょう。

ただし、均衡がきれいに取れている状態で、私が謙虚なことはあることなのです。信じてもらえないでしょうが、あるんですよ(笑)。母はトイレでおすそわけのおまんじゅうを独り占めするために、隠れて食べるようなところがありましたが、私はその逆で、持っているものはすべて他人に分け与えてしまう傾向が強く(カニは別なんだけどね・・・苦笑)、誰にも多少はあるかもしれない地位や家柄などもロクにないせいなのか、所持品もきわめて少なく、本以外にはモノを取っておきたい・保存しておきたい、と思うことはありません。もしも、リスに生まれていたらきっとイチバン先に死んでいたに違いない(笑)←冬の食糧不足のために、リスは秋が終わるまでせっせとドングリなどを隠しておくのです。

家柄や地位など特に欲しくもないという結論に到達したのは、そもそも持っていなかったから欲しがることもなく、欲して獲得するには馬鹿げたほどの計画やら努力が必要なので、そんなことはしないと決めてしまったのが、日々生きていくことにたいへんだったからなのかもしれません。実際には、それを極端な体現にし、会社勤めもしませんでしたし(正社員として)、名刺も今回会社を興すまでは持ったことがありませんでした。肩書きは何?と聞かれると、「ネコ使い」「生涯学生とメシの種を並行して奮闘中」などと返答していましたが、目下、先生になったり通訳になったり、どうしたもんなのか、と、このメシの種を「自慢」しているように聴こえたりしていないのか?とふと考えたりすることがあります。していませんので・・・(汗)。

私が人間関係を円滑に保てて、疾病のコントロールが早期にできていたとしたならば、教職コースを取っていた大学生の頃の選択を棄てることもなく、きっと社会科か国語の教師になっていたのだろうと思うのです。まぁ、その最中にも日教組や安保についての思想問題で、躓いたりもしたんでしょうが・・・(汗)。ただ、私はこの日々のCandor(率直、公平なこと、淡白)がなければ、死んでしまうかもしれないと恐れており、とても謙虚だけでやってこられなかったというのがあります。そして、人間関係では、Candorを前面に出す人間は、疎まれたり、感情が大雑把だとみなされたり、ズケズケと大胆すぎる人間だと評価されますので、私はやはりアメリカに逃げたのです。

日々、目に見えない障害と闘う人間もおり、才能を開かせる希望も棄てきれてはおらず、謙虚なところもたまにはあるのに(爆)気づいてもらえず、なんだか切ないなぁ、と、ひとりでまた10代の頃の悪循環思想の輪を巡ってしまいそうになりました。が、しかし!

至って平常な均衡が取れているとき(そりゃ、他人様から観れば充分ハイパーなんだけれども)にも、私は西さんに指摘されるように、「世間をナメている」ようなところがあることは否めません。疾病ゼロで考えてもらうのはフェアではないにしろ、やはり平常なときにバランスよく暮らせているのに、言い訳にしてはいけません。そのツケが、会社がうまく立ち行かないことに顕れているのだろうな、と反省しきりです。個人的スケールでは、充分成果を出し、うまくやってこれてしまったので、世間全体をもナメているところが、致命的なのです。パチンコやさんでも、隣にたまたま座った人にインタビューしてみると、年間200万負けても続けているなんて話もあります。「だったらなんでやるんだ?」と思う私は驕っているのでしょう・・・。

ところで、弊社では除キングのトラベル版を発売することになりました。西さんが現在、会社のHPに出すためにホームページビルダーと組んず解れずを展開しています。販売のほうを一切やめてしまおうか?というチョイスも一時期は考えたのですが、やはり13日にはまたフリーマーケットでの広告活動もやりますし、いくつかの会社と取引交渉を継続しています。そんな中で、私は手前勝手なことを考え、大学院に行きたい!という欲を否定できず、謙虚から程遠いところに位置しているのだろうか?と、まだまだ考えているわけです。どうでしょう?私はやはり傲慢な人間なんだろうなぁ・・・。
調べたくてどうしても調べたこと
05/06/2007 06:00:00

長年アメリカに住んでいたので、すっかり忘れていたことで、どうしても今日、今、解決したかったことがありました。なので、オンラインしてすぐさま調べてみました。答えを知っていた方は、ぜひぜひ今日のエッセイは飛ばしてください。長いからね・・・。

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