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貧しい国のことを本当に考えたことがあるか?

05/06/2008 にアップした文章です。

 

貧しい国が本当にどこまで貧しいのか?ということは、同い年のほかのヒトたちよりは、私は近い場所に位置していると思います。さらに、アメリカに渡ったことにより、ホームレスが身近になったり、覚せい剤用の注射針を配るような市のゲンジツを見たこともあり、もっと貧しさの本質には、触れてきたように思います。日本の今の貧しさのゲンジツというのは、どこから来ているのか?というのも、少しずつわかってきたような気がしています。今日、『あいのり』を見ていたのですが、ちょうど場所がGhanaでした。そうか、多くの日本人はこんなことも知らなかったのか・・・と、コメントをしていた3人の芸能人を見ていて思ったのでした。

 

私の心友と呼べるひとりは、Ghana人で、今はアメリカの国立研究所で生理学の研究員をしているMDとPhDを持っている医者でもあります。彼のことは以前書きましたが、彼から映像になるような過酷さを、山ほど聞かされており、実際に、障害者のケアをするアルバイトをしていた彼に連れられて、私もお風呂に入れるのを手伝ったり、皿洗いをしたり、冷蔵庫の整理をするお手伝いをしたものです。毎月、彼は、そのアルバイトで稼いだお金を50ドル札に替えて、カセットテープの中のテープの中に入れ込むのですね。そして、それを仕送りとして送る。彼の実家は、二番めに大きな都市であるKumasiというところですが、しかも病院を経営しているのですが、それでも毎月50ドルという金額は、ものすごい効力があります。

 

毎月、里親をやっている方々や寄付をしている方々はご存知だろうと思うのですが(たくさんのサイトがありますが、これがイチバンに出てきました)

http://www.worldvision.jp/children/?banner_id=ggl-sav&gclid=CJ_zv7HWkJMCFQJugwod2B7ghQ 、ワクチン注射は、種類はいろいろですが、1種の場合、わずか1ドル程度で賄えます。50ドルでは、40人もの子どもたちが救えることになります。どこかのサイトで、「根本的な解決ではないのだから、どうしてワクチンを打って満足しているのか?」という提議がありましたが、その通り。根本的な解決ではないですが、「生き延びて明日に繋げる」というのが、それほど悪いことなのだろうか?とは思えます。そうおっしゃる方々は、自分や愛する人の命乞いはゼッタイにしないのだろうか?と。

 

ところが、このような寄付サイトに対して、まだまだ信用ならぬ気持ちを持ってしまうのも納得はできます。だって・・・、絶対的信頼を寄せていて身の保障が成り立つという国に対しての不信感を持たねばならぬほどの、いろいろな事件が露呈しており、公共機関だからと言って、財団法人だからと言って、どうやって信頼できるのだ?という疑問には、「確かにそうです」としか言えません。私もそんなひとりなので、団体で本気でやっている方々の熱意を否定するものではないのですが、途中で現金が流れていき、きちんと子どもたちや地元の人々に届かない事情などを見ており、それならば、できることをDouglas(Ghana人の友)を通じてやったほうがいいや、と思えてしまうわけです。

 

もちろんそうなると、アフリカの中の選民主義に少し片棒を担いでいるような気がしないでもないのですが(どうしてその場所がガーナで、スワジーランドやタンザニアではないのか?と問われたときに、何も反論ができない・・・)、私が何百万というお金を今後寄付したとしても、まんべんなくなど行くわけもないので、これはもう片目を瞑るしかないわけです。

 

厳しい気候の中で、アフリカはそれなりにやってきていたはずでしたが、この300年ほど、産業革命前後から、強国からの干渉を受け続け、結局、貧乏くじを引き続け、今に至っています。いつまでもそうは行かないことは、中国やインドなどが、身を以って示してくれているように、アフリカにも大いなる未来があることは示唆されています。ところが、これまでの300年ほどを自由に操作してきたマインドたちの名残は、今もしっかり受け継がれており、表面的には人道的(Humanistic)に見せながら、できる限りの自分たちの利益を続けていきたいというパワーゲームは続いています。

 

キーワードは、植民地主義で、昨今ではグローバルエコノミーとかっこよく表現されていますが、結局、していることは同じようなことで、しかも進化しているから始末に負えない…。ここに本当にヒトにとっての公平が機能してきたのか?は疑問です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E4%B8%BB%E7%BE%A9 >植民地主義

http://en.wikipedia.org/wiki/Global_economy>英語版 グローバルエコノミー

不思議と日本語Wikiには説明がありません。

 

総括的な説明をしているサイトを探してみたのですが、これくらいがいいのかなぁ・・・。

http://www.psi-jc.jp/focus/2002_02/02.htm>アフリカ問題のいくつかを取上げつつ、ざらっと問題点を解説しているサイト。

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/kyomu/koudai/kikaku/kensho04/kensho_j/2002/ronbun10.html >こんなステキな論文を書いた高校3年生はしっかり実在する。うれしい♪

 

自分にできることは何なのか?と考えると、私が日本人としてできることは、しかもアメリカに住んだ時間が長い日本人としてできることは、「鈍化したままで流されず、質素な暮らしを続けていくこと」が、まず第一義だと思っているのです。たまの贅沢はご褒美として許すとしても、日々は質素に当たり前にフツーに暮していくこと。お惣菜やさんも使わないし、大根の葉っぱも捨てないし、流行モノに流されない。時期をズラせば安価になるものを追求して買う(私は消耗品しか買わないんだけどさ・・・汗)。おまけにごはんは残さない。だから太るのだろうけれども、それは美徳のひとつと思ってがんばろう(笑)。母はタッパーに入れて残り物はしっかり最後まで食べるのですが、最近、入れたタッパーの存在を忘れることがあるので、要注意だ(爆)。

 

さらに、声を上げていけるためのリサーチや事実関係を調べる能力を身につけて、折にふれ考えることも忘れない。でなければ、到底、いざというときが来たときに行動に移せるほどの思い入れが育つわけもなく・・・。

 

ガーナと言えばカカオなのに、チョコレートを口にしたことがある人などほとんどいないのだ、ということは、想像してもわからないことなのだろうか?うん、わからないことなのであれば、まずは態度として、「自分の常識は世界のどこにでも当てはめられることではない」という謙虚な気持ちを持てるようになることが大切です。そうすれば、調べる気持ちにもなり、オドロキに対して繊細になり、他人に関して無関心ではなくなり、自分が世界の中心に居ないこともわかってくるはず。それでも自分を大切にして、他人も自分と同じように大切にしたいなぁと思えるはず。

 

私は貧しく育ったので、これらのことを考える素養があったし、生活レベルをうんと上げて暮して安心できない性質であるのですが、他人を押しのけてまで何かを所有することや、他人を貶めてまで自分が優位に立つことに、少し以上に快感を持つようなところは、カケラもありません>やってやった!と、それらの人々に気づかせたときは、ちょっと気持ちいいんだよなぁ・・・。いかんなぁ。マザーテレサやダライラマからはほどと遠いよ・・・(汗)。

 

誰かにまとめて、貧しい国についてどうしたらいいのか?ということを、胸を張って言えますか?GWで飽食したかもしれないあとに、ずいぶんシリアスなお題だったかなぁ・・・。

 

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