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10/29/2007 にアップした文章です。

 

世代の問題なのかなぁ・・・。私の母も本音なのか、建前なのか、「自分にできなかったことはやらせたい」だとか、「自分がした苦労はさせたくない」などと言ってみたこともありますが、実際のところは、彼女は、自分と私はまったく別個のものだということをかなり強く認識しています。もうね、4歳くらいから洋服の好みが違うのよ(笑)。Pastime(余った時間の使い方)も違うのよ(笑)。今となってはその差はさらに大きくなり、女性としての共感というのは、そのへんにいるおばちゃんと母とどちらに私が共感するか?と問われると、わからなくなることがあります。全体論としてはきっと共感は薄いかもしれない。ただ、「貧乏なことを乗り越えた」という連帯感だけが根っこのところに残るのかもしれないです。

私の母がいかに私に責任を取らせてきたか?私のエナジーはとても余っていたようで、義憤とはまだ呼べない怒りも相当あったようで、子どもの頃2度ほど他人にケガをさせたことがあります。ひとりは、教育ママを持つ男の子で、みんなで決めていた植木屋さんの中にある「自分の木」(まぁ、これもおかしな話なのだけれども、他人の持ち物を自分の所有物化していたわけよ。でも、子どもだから許してほしいし、植木屋さんたちもそれほど迷惑がってはおらず、よくお菓子ももらったものです)条約を破って、私が居ないことを姑息に確かめてから、私の木に登っていた男の子を、突き落としたことがあります(爆)。見事に骨を折ってしまったのだけれども、そのとき、母は、私を玄関から締め出し、「うちは子どもがやったことはすべて子どもに任せていますので」と、無情に鍵を後ろ手に閉めてしまったのだ(爆)。そこから延々、私は2時間ばかりも、口角から泡を吹きながら怒鳴るおばさんに怒られたのだった。それでも私は「悪いことはしたけれども、先に悪いことをしたわけではない」とずっと言い張っており、「他の方法がなかったのか?」と問われても、「なかった」と言い張っていたことは、よく憶えているのです(苦笑)。本人が一度もその場に出てこなかったことにも、相当に腹を立てていたことがあり、私は口をへの字にしながらも、決して泣かなかった。「こんなおばさんに白旗を上げて泣くのはもったいない」と思っていたのだ。

そのあとも、植木屋さんに大きな植樹をするための穴を利用して、自転車ごと3台くらいが落ちる落とし穴を作ったことがあり、そのときも3人の男の子にケガをさせました。そのときは、誰も文句をつけには来なかったのだけれども、母に「自分から謝ってきなさい」と出されて、またもや家の鍵をかけられてしまい、「行ってこないとごはんはヌキだから」ときつく言われたので、渋々謝りに行ったのだけれども、ものすごい緊張したことは憶えています。が、2軒のお母さんたちはそれほど怒らずに、「お互い様」だとか「暴力を振るおうと思ったわけじゃないよね」「落とし穴に自転車で通ったことは運が悪かった」などと言ってもらえて、またもや私は完全なる敗北感に苛まれないで済んでしまったのだった。

それだけではなく、我が家は大皿料理しか出さなかったのだけれども、その大皿から自分のお茶碗や小皿に取った料理を食べきらないと、いつまでもそこで座らされており、ここのところは早期学習をして、すぐに飲み込んだので、自信がない食べ物は量を多く取らないようになったわけです。それでもかたや、いつもひもじい想いをしており、人生最初のでっかい矛盾を感じたのは、これですね。食べたいのに食べられない。どうして嫌いなものがあるのか。どうして量に限界があるのか。どうして先に弱肉強食方式で食べられてしまうのか。それでも学習した結果として、私はいまだに、好きなものはイチバン最後に残しておいて食べます←バカなの?(笑)

他にも、朝、2つの部屋の雨戸を開けて、お布団を畳み、玄関と庭の掃除をしなければ、朝ごはんも食べられず、学校にも行かせてもらえない、という仕事もありました。それは朝の部で、学校から戻ってからと夜にも仕事があり、それらが済まない限りは、メシヌキは日常茶飯事でした。朝の洗顔・歯磨きは朝ごはんのあとが合理的、という水道代をケチる傾向があったので、低血圧やら目がパッチリ開いていないなどという言い訳は、誰も聞いてくれず・・・(笑)。というか、朝からきっちり働けば「朝は苦手」というのは克服できるのだ、と父親は真剣に思っていたようです。私は今でも、朝起きてすぐ、かなり脳は働いている気がします。理想は、起床後3時間のテストがベストなようですが(朝食時間なども考慮に入れる必要があるので)。

特に厳しいわけでもなく、躾ですらなく、私はこうして責任を常に取らされてきており、小学校の頃の忘れ物を届けに来てくれたことは、給食用の割烹着だけでした。それは給食当番が終わったあと、次の班に廻すことになっていたので、「他人様に迷惑がかかるから」という理由。他の、うわばきや体操着などは持って来てはもらえず・・・。「スリッパで校内をパタパタ歩いていて恥ずかしい想いをすれば直るでしょ」と、夕飯時の食卓で言われるわけですよ。かなり誇らしげに言うんだよなぁ(爆)。体操着がなくても、私は体育の時間は休まなかったから・・・。宿題は、慢性的にしていかなかったので、届けてもらうも何もなかったのだけれども・・・←本当に勉強はしない子どもだった・・・。

仕事があっても時間は大いに余っており、学校があっても暇は暇だったし、自転車の乗り方ひとつだけでも、本当にあれほどいろいろなことを考えて遊んだことは、一重に生命力の賜物だったと思うわけです。何らかの学習は進んでいたのであろうし、責任もしっかり取れる人間になるように、親が意識していたのかどうかは不明でも、結果的にはラッキーな恩恵がありました。

どんな質の責任を、親は子どもに取らせないといけないのか?この場合、日本国民&地球の一員としてやらねばならぬことが優先なので、英語ではmustが当たります。法律すら守れない大人たちが、模倣学習を最も得意とする子どもたちに、口と行動の矛盾をものすごくたくさん見せているのは、危惧です。私が夜中や朝方の赤信号で停まるのも、「どこかできっと見ているかもしれない神様と、子どもたちのお手本として恥じない行動をする」というのがあります。贈収賄を見たり、言い訳記者会見を見たり、死刑執行や殺人事件・強盗事件などなどを見たり、世間の矛盾をたくさん見ているわけです。その中で、子どもたちは何を模倣し、何を反面教師にするのか?そこで、親や大人たち、さらに子どもたち同士の話し合いが持たれているのか?を考えたほうがいいのですが、そういった簡単なことが欠乏しているのでしょう。習い事がたいへんで、子どもたちの話題はそんなことまで網羅しておらず、大人たちも仕事をしたうえに、送り迎えなどもし、自分たちの余暇も有効に使いたいはず。

親や大人たちが、真剣に子どもを相手にしないことで、たくさんの未来の引きこもりや未来の諦観者が生まれていることは、大人が自覚したほうがいいことなんですよっ!

私には叔父や叔母や、河原の華僑おじさんや、図書館の司書のお姉さんたちもいて、かなり恵まれていたんだなぁと思います。

道徳や家庭や学校の責任の取り方にしろ同じです。shouldに当たる責任は、小社会での価値観をうまく伝えていないことが多く、見たままが事実だということで放置しっぱなしではないのだろうか?と、大人たちは疑うことが大切です。ごみの分別をしていない親たちを見たり、飲酒運転をする大人たちを見たり、売春・買春行為をどこかで目にしたり、いじめも見ていますよね。それについて、やはり話し合う時間がないのでしょう。コミュニケーションはいずこへ?だから、『貧困を感じるトキ』に書いたように、社会や国家や未来に夢が持てないことも、大いにあります。亀田親子問題でも、好きなことをTVの前で言っている大人を見て、子どもは自分をも否定されている気持ちになることを、考えたことがあるんでしょうかね・・・。真摯に「できる範囲で謝っていること」に対して、まったく評価しない親を見たら、子どもは隠れて何かをするようになったり、謝ることを放棄してしまったり、バレないための工夫をしたりというネガティブさを生む仕組みがあります。もっと面倒なのは、子どもたちもそういったゆとりのない大人になることなのですよ。他人の人生であり、他人が作った小社会であり、自分のコントロールがどのくらいまで反映するのかという計測ができないまま、とにかくいつも他人のあら捜しをしたり、自分以外の人間にばかり文句を言い続けるのって、ぞっとする状態じゃないんでしょうか?

それよりも、「自分だったら」という他人の問題を自分に組み込めて、自分なりのhave toを見出していける子ども→大人になるために、親は責任の取り方を模範として見せて、話し合いを怠らず、子どもの裡側にある力を信じることです。

2つのエッセイの中に盛り込まれていた内容を、ここでドサクサに紛れて融合させてしまいましたが、混乱しなかったでしょうか?わからなかったら、ぜひぜひコメントください。