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逢えないと不安、でも逢うのも不安

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つい先日の『たけしの本当は怖い家庭の医学』をちらっと見ました。私は本気でTVを見ていなかったのですが、母がこの番組が大好きなのです。はっきりとした統計学があるかどうかわかりませんが、どうも母は典型的O型らしく、病気の心配をするのがシュミのようなところがあります。西さんもしょっちゅう、「あ、ガンができた」などと言っているので、オオカミ少年のように、本当になったときがちょっと怖い予感(笑)。

 

私が何かをやりつつ、TVをちら見していたときにやっていたのが、社会不安障害のものだったのですが、私が大学3年でやったことをやっていた・・・。きっと日本の大学でもこの程度のことはやっていると思われるのですが、これに関してTVに教えてもらうしかないアクセスの少なさが気になりました。多いと思うんですよ、社会不安障害。

 

基本知識はコレ>http://www.shypeople.gr.jp/ テストなどもあるので、参考にしてみてね♪誰しも「恥ずかしい」という気持ちがゼロのわけもなく、心臓に本当に毛がボーボーと生えていたら、という絵を思い浮かべて笑ってしまった・・・。

http://www.sad-net.jp/sad_check.html でもテストとしてはこっちのほうが記録もオンラインで残るし、自分で計算しなくて済むし、質問項目がいいと思う・・・。私などは、何を測っているか知っているので、こんなのやってもあんまり意味ないんだよな(汗)。

得意のWikiも載せておきます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E6%81%90%E6%80%96 

 

私は筋金入りのPTSD患者なので(一度かかると完治はありえない。が、日常生活を送れる日数や時間が増えている状態を、エピソードゼロと表現する)、しかも心理学部を卒業したので、一般の人たちがどのように理解しているのか、ちょっと大昔を思い出すのに時間がかかってしまいました。

 

通訳の単発バイトをしたり、英語教師をやるようになってから、初めての人とたくさん逢うようになりましたし、人前で話すことも多くなりました。私だって緊張はする(爆)。けれども、社会不安障害の範疇ほどのものではないことは、百も承知です。むしろ、心臓に毛が生えていると思われがちなので、「緊張はするよーう」などと言うと、けっこうびっくりされます。人前でプレゼンしたり、教えたりするのは、すかいらーく系のレストランの研修要員をはじめとし、結局、24年間もやっているので、慣れるしかなかったのでしょう。

 

私は社交的になれ、と言われればいくらでもなれる人間ですが、それに自分の裡側からの強い必然性を見出せなければ、たいへんに冷たい人間です。素人はこれを、「気分次第」などと一からげにしてしまうかもしれませんが、この動機や閾(いき)がどこにあるのかを、自分で知ることはたいへんに重要です。人と関わって生きていかねばならぬ宿命を、ヒトという社会動物は持っており、言語を持つ分や居住区(行動範囲・テリトリー)の広さや、その可動性(Mobility)の高さや、多様な職業や生活様式などを持っている分、負担は大きくなります。それはすなわち、脳が発達した種に生まれた「支払っていかねばならぬ代償」です。自己を知り、さらに開花していない潜在的能力を表面に引き出し、既存の能力を伸ばし、フルに生きるための感謝は深くなることでしょう。

 

ヒト以外の社会動物であっても、シャイな個体はいます。特に、おサルさんたちの中ではそのバラエティが大きいです。ということは・・・、脳の大きさと脳のどこかで支配している?そうそう、そうなのです。だから、社会不安障害に、投薬治療をする医師も増えているのです。心療内科に行くと、投薬をされることが一般になってきました。しかし、その発症原因の確実性がゼッタイではなく、「説」とされているので、鬱病などと同様、個体差もあり、投薬にはリスクが大きいことはあらかじめ了承しておいてほしいわけです。

 

もう一度書きますが、私は投薬療法に依存することには断固反対です。セラピーを受けられるための応急処置としての投薬はありです。ただし、期間の目標を決めて、その治療計画をしっかり練り、自助するために脳を変えていく、すなわち自己再発能力を開花させる治療、を選んでいただきたい。これが私の願いです。副作用のない薬というのはゼロです。未だかつて存在したことはありません。薬ではなく、食物がカプセルになったようなサプリメントであれば、即効性はありませんが、続けていけば体質改善などに役立ちます。

 

たとえば大きなプレゼンがあるだとか、大きな試験を受けねばならぬだとか、ヨレヨレすぎてどうにもこうにも日常生活を送れないだとか、自殺の危険性がある、などの場合には投薬はしたほうがいいのです。ただし、それは「暫時的」であり、依存症の始まりであることは注意したほうがいいです。

 

特に有効なのは、社会不安障害では、認知セラピーと行動修正セラピーです。もちろん、この分野を細かく分けて応用科学しているセラピストは、日本では少ないと思われます。私は両方学びましたし、受けましたが(なんたっていいとこ取りなやつなので)、セラピーを受ける準備が投薬でできたら、量を減らし、薬を止めることは可能だという例のうちのひとりが私です。

 

ピアノの発表会の前やスピーチの前の緊張など、ゼロである人のほうが少ないです。校長センセだって、講演を依頼されるにしろ、いくばくかの緊張はあるわけです。ゼロであれば、講演の内容そのものに疑問が生じてしまいます(笑)。そんなとき、生命体である根本原因から解決してあげるのが最も有効で、薬物に頼ることではないのは、きっとすでに推測しているかと思います。

 

最も簡単なのは、外的に自分の心地よい状態を作る(憶えているでしょうか?人間の原感情というのは、「心地いい」「気持ち悪い」のふたつから派生しています)ことです。それであれば、そのために五感をフルに活用する。匂いやビジュアルや触感のほか、味覚までつけることだってできます(ガムやチョコレートを直前に口に入れることだとか)。

 

さらにマントラ(唱える呪文)を準備したりするのは、昔から行われてきました。「人」という字を書いて飲み込むとかね♪その自分に最も効果のあるマントラを考え付けばいいのです。それには自分の心地よいスポットを探し当て、しっかりとしたサポートを得て(たとえばセラピストや親友、尊敬する人物からなど)、しみこむくらいにマントラを唱える。これだけでもけっこうな効果ありです。

 

認知セラピーでは、「逢えないと不安、でも逢うのも不安」という矛盾の構造を解明してもらえますので、それを理解したあとには、水平線が見えてくることでしょう。頭で漠然とわかっていることが、頭と心と身体で理解できて、実感を持てる。コレが認知のいいところなわけです。

 

鬱病が日本社会にアピールされて長いですが、実際は、社会不安障害の人のほうがずっと人口割合的には多いのです。それは、「誰にでもあることだから」「性格の一部だから」と放置しっぱなしになる傾向にあるからです。鬱病にも見逃されがちな傾向があったように、さらに輪をかけている状態でした。ほんの少しだけ、理解を深めて、行動の一部を修正すれば、人生はずっとラクになる。これは、学習のすごいところです。

 

ではでは、チェックしてみてねー!