遠くなってきたアメリカ

05/21/2008 にアップした文章です。

 

少しアメリカ生活が遠くなってきたなぁと思ったのは、Ellen DeGeneresのニュースを見て、ゲイの人々に対する想いというのを、再確認するのに、自分の頭と心に響く時間のスピードが遅かったことです。当然、対応や動作は同じで、「やっほーぅ!」と片手を握りこぶしにして挙げたので、母が驚いたのですが・・・(汗)。そのあと、動画を見てやたらと泣けてきてしまい、その話を複数の知り合いや生徒さんにもしたのです。それくらいうれしかったのは確かです。そして、Jodie Fosterも14年も連れ添ったパートナーと別れたという噂が・・・。つい先日、賞をもらったときに公の場で関係を話したというニュースに歓んだばかりだったのに・・・、と、英語でいろいろなサイトを見入ってしまいました。

 

これくらい、アメリカは遠くなってきたのか?と少しさみしい気持ちになりました。実感はこうして少しずつ薄れていき、まだらになるのでしょう。うーん、今のこの時点では、情熱やヨロコビや嫌悪やその他、感情的なことはそれほどの量的・質的違いを感じていないのですが、日常として囲まれていないので、感応するスピードがまぎれもなく落ちていると感じます。もちろん、それらは時間にすれば小数点以下くらいの違いでしかないのですが、それも今のところか・・・とも思える。

 

Ellen Degeneres

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%83%AC%E3%82%B9 >日本語版

http://en.wikipedia.org/wiki/Ellen_DeGeneres >英語版

というパーソナリティーは、もともとお笑い(アメリカのお笑いは、ひとりでマイクの前に立つので、Standup Comedyとジャンルされる)を目指し、脚本などを書いたのち、女優として活躍し、Ellenという看板番組を背負うようになり、そのストーリー中に、自分のSexualityであるゲイをComing Outしたという、ものすごくパワフルで、立派な人です。Anne HecheがEllenとつきあったのは、自分の「広告のため」ではないかと言われているほどです。

彼女の詳細はこれ>http://en.wikipedia.org/wiki/Anne_Heche >英語版)

今年、50歳ですが、現在のパートナーは35歳です。Ally McBealに出ていたので知っている人は知っているかも・・・。

 

かたや、Jodie Foster

http://en.wikipedia.org/wiki/Jodie_Foster>英語版

は天才子役の名声をほしいままにしたのち、成人してからもアカデミー賞をしっかり獲得し、その創造性の高さゆえに出演する映画をえり好みする女優として知られています。Yale Universityに行っている頃からずっと、彼女はゲイだというのは周知の事実だったようですし、彼女のファンだった男性が、1981年にRegan大統領を暗殺しようとしたことで、さらに彼女のプライバシー厳重警戒は何倍にもなったようです。http://en.wikipedia.org/wiki/John_Hinckley,_Jr. 

 

そもそも、誰かの性的嗜好というのは、犯罪に抵触しない限り、誰のビジネスでもないですね。興味本位以外のナニモノでもなく、彼女たちがレズビアンの旗揚げ・広告塔にならねばならぬような世の中のほうが、少し傾いた視線でしかないと想うわけです。かの織田信長だって男色嗜好もあったことだし(今で言うところのBisexualってことなのだろうが・・・)、その人の人となりがしっかりしていれば、なんだっていいだろう・・・。

 

という怒りに似たものが湧き上がってくれば大丈夫だと、バロメータにもなっているのですが、私にとってこうしてアメリカは遠くなっていくのか?と少しさみしいところです。

 

現在、Mitch Rappシリーズを読み進めているのですが、あの内容を理解するための肌で感じるさまざまな小さい表現への感動というのは、確実にこの頭と胸の中にあるのです。が、どうもスピードが衰えたのではないか?というダウトがさみしい。

 

アメリカにいたって、『ないものねだり』がゆえに、和食中心の食事にしようとしていたし(お金はかかるんですよぉ。ナマのお魚は目が飛び出るほど高かった・・・)、日本語もブログをはじめとしてネットで使っていたのだし、西さんと日常的に話すのも日本語だし、特に大きく変わったのは環境だけなのです。私という人間は、なんら変わっていないはず。

 

ただ、ヒトというのは悲しいかな、先天的なことだけでまっすぐ突き進むのではなく、環境に順応して生きていくものなのだ。これがかなり昔から言われている Nature vs. Nurture(自然 対 養育環境)論争で、その割合というので、まだまだ解決などがつかないから、論文がいくらでも次から次へと出てくるんだよね・・・。私とて例外ではなく、しっかりと選び取ってきた蓄積が、環境にとって揺るがされることはアリだとどこかで諦めなければならないパーセンテージはあるのかなぁ・・・と。

 

住み難いだけなので、音や匂いや視覚に引っ掛るいろいろなことにまず慣れてきて、その後、日本人が使うトンチンカンな英語もかなりわかるようになり、文化的ないろいろなことも学び、アメリカとは大いに違うシステムにも慣れつつあるところです。いやー、まだまだ反撥している心があるゆえに、ひとつのところにお勤めすることなく、飽くなきチャレンジは続くのでしょうが・・・。西さんの会社に属してはいますが、英語講師として、いろいろなところに登録して、いろいろな人に遭えて、いろいろなことを学べればいいよな、と、まだまだ向学心旺盛です。

 

そして、この『ないものねだり』はずっと続いていき、日本に戻って来てお刺身を満喫できたり、母の作ってくれるいろいろな質素料理を満喫しているのではありますが、やっぱりお肉が食べたい!ワインが飲みたい!となるわけです(苦笑)。同様に、食べ物だけではなく、モノの物価や手に入るアイテムの種類や、ヒトとヒトとの袖触れ合う方法の違いやらいろいろ、本当になつかしく想い、それができないことがつらいなぁと感じているところなのです。

 

エレベーターで声を掛けないことが未だにできず、どうしても声を掛けてしまうようなところは、私はとても怪しい(爆)。今のところ成功率は70%ほどで、「雨がひどいですね」「今日は暑いですね」などの天候話のほか、実務的に「何階ですか?」だとか、「遅くまでお仕事たいへんですね」など、本当にぽろっと出てしまうことがあり、一度など、英語で話しかけてしまったのでたいへんにご迷惑を掛けました・・・・(汗)。が、これに慣れていくということは、同時にアメリカを遠くしていくことなのか?とも思えるのです。

 

が、器用であれば、私の中にアメリカ仕様をしっかりと残しつつ、日本仕様版だけで暮らしていくことも可能なのでしょう。うーん、どうもまだ器用さが熟練していないんだな・・・。前半はゴシップ的な話題になりましたが、私はゲイのみなさまの市民権がストレートとイコールになることを、いつもいつも祈っております。カリフォルニアの最高裁も悪くないよなぁ・・・。やった!みんなで結婚しよう!

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