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遭えるヨロコビ

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08/18/2007 にアップした文章です。

 

今の商売の何がいいかって、新しい人々に出会えることですか・・・。イチバン若い生徒さんが18歳。それ以下の子どもさんはまだ教えていないのですが、お金に困ったら教えることになるかもしれません(笑)。私の語彙は、子ども向けでもなく、私は日ごろからあまり幼児語を使えないようです。昔、誰かに指摘されたのですが、「子どもに対して同等に話す」と。ダメなのか・・・(爆)。わからなかったら説明すればいいことだし、語彙を広げる役に立っていると思ってはダメなのか?姪っ子たちは、遠慮がないので、しょっちゅう質問していますが、私はうるさがらず説明しています。「えっと、何て言うんだっけ・・・」と(爆)。頭の運動にもなるし、私にとってもとてもいいのだ・・・。

最近の女子大生の生徒さんが3人いて、ものすごーくきれいなカッコウをしているので、「うひー、私が同年代の頃とは大違いだなぁ・・・」と、敬意すら持ってしまったのです(笑)。私は、19歳のときには、原付バイクと中古のバイクと車に乗っており、20歳で念願のバイクの新車を手に入れた・・・。なので、とにかく「なりふりかまわない子」だった(爆)。化粧をしても粉塵や排気ガスで汚れるので、現地で化粧をすることが癖になっており、車のときには、赤信号や踏み切りで停止したときに化粧(爆)。バイト先でシャワーに入るのも大得意だったし、探せないときには銭湯まで利用していたのだ。とりあえず、客商売だったので、誰かを不愉快にしてはいかん、という気持ちよりも、自分の不快感が優先していたことは否めず・・・。

彼女たちは、就職をターゲットにした英語の勉強を、ちゃんと学生時代から計画しており、すごいなぁ、と思う。交換留学の条件が、iBTに変わったTOEFLなので、せっせと点数を上げるために通っているわけです。受験料が2万もするので、真剣勝負だと思うんですが、1点で何百・何千人もの幅が生まれてしまうので、やはり私も真剣になります。私は今週、彼女たちのために、「日本の試験会場でのキーボード」についての問い合わせをすることになっています。“  ”や‘が出ないように固定されているらしく、Writing Sectionのタイプが自由にできないということなのです。既出したキーワードなどに、括弧をつけるというのは、引用が明らかになることで、常道としてやったほうがいい効果的なことで、どうもそれが気になり・・・←私って細かいかしらね?あ、電話しました。そうしたら、たらいまわし作戦でした。TOEFLのほうは、会場設置運営をしている会社に尋ねてほしいと電話番号を教え、会場設置運営会社のほうは、1点に数百・数千人もの人が位置するということは、TOEFLの会社に言ってほしいということだったのです。あーあ・・・。しょーもないので、本部である、TOEFL@ETS.ORGのほうにメールをしておきました・・・。返事が楽しみだわい。

同じクラスは、みな大学生で、ひとりは心理学部の男子生徒なので、休み時間もかなりいろいろな話をしています。私にとっては心理学で学んだことのReviewみたいなもので、けっこう楽しく、多岐に渡る話ができて、本当におもしろいのです。

他にも、専門学校に通う男性や、就業している男性が多く、彼らの英語ニーズはでかい。みんな本当にいろいろな事情で英語が必要なんだなぁ・・・と、改めて実感しています。まぁ、動機が高いから、高い費用を自腹で支払って通っているわけなのよね・・・。

気づくと、私は12週のあいだに入れ替わり立ち代わりな生徒さんたちに、ほのかな愛着を持っている(爆)。いやー、ドライでクールなやつなはずなのに、いかんなぁ・・・。そしてまた、例の、田舎の各駅停車しか停まらぬ寂れた駅のような気持ちになるのかもしれません。ただ、ただ、新しい人に遭えるヨロコビを抱いて。

新しい人々に出会ったときに、彼らのあるがままを受け止めるというのは、単純でいてけっこう難しい作業なのかもしれません。ここで、私の世界観や先入観や偏見を過度に持ちこむことがないように、と意識しており、そのせいで、最初の授業となる出会いの時間には、質問が飛び交う。それに受け答えする生徒さんたちは、「なんでこんなに真剣に聞いてくれるんだろう?」「そんなことって大切なのかな?」と思えるような、摩訶不思議な表情をすることもあり・・・。英語の目標やそれまでの経験だけではなく、きっと余計なことも聞いているように見えるんでしょうねぇ・・・。服装や言葉遣いやお化粧や持ち物で、他人を判断するのは、「材料・資料」にはなるけれども、誤解のある幻想であることは多く、本人の自己申請を軸にしたほうがいいに決まっているというのが、これまでの経験での学習なので、どうであれ、相手に聞くという態度は崩したことがありません。

そのせいなのか・・・・、私はサービス残業が多い(爆)。

16歳の頃から客商売と呼ばれる人と接するバイトをしてきたのですが、ある程度の統計は取れたとしても、やはりもっと先のことがたくさんあります。そのもっと先に踏み込ませてもらえるのかどうか、という謙虚な態度は棄てたくはなく、私が接した人々を「ただの統計学」にするのは、たいへんに不遜なことだと考えています。

わずか4週間になった学校でも、職業だけでもいろいろな人たちがいて、中には「楽器作り」が商売の男性がおり、余計なこととは知りつつも、Jonathan KellermanのAlex Delawareシリーズを紹介したりしているので、いくら時間があっても足りない(爆)。Alexの彼女が、大工の娘で、有名ミュージシャンからの依頼があり、マンダリンやギターやその他を作っているという話をすると、彼には何か考えることが発生するようなので、よかったとは思いつつも、何が必要な情報で何が不必要な情報なのかは、結果論にしかならず、どうしたもんかと思います。

当然、彼らとはプログラムが終わったらおさらばな確率が高いのです。学校の外で会うことは禁止されており、個人的なつきあいが発展することはおそらくないのでしょう。教師の資質というものを書いたことがありますが、Altruismという奉仕の心が強くなければ、やってらんないこと、なのかもしれません。ところが、これを普段の生活に取り入れても、やはり似たようなもので、ヒトという同胞である人々が通り過ぎていくのは、長い人生のなかでは必定で、どこで誰とどんな形で長いつきあいになるかは、誰もわからないことだから、「遭えるヨロコビ」というのがあるんでしょうねぇ・・・。

とはいえ、私は傲慢な人間なせいか、「ひとりが基本」というスタンスは、10代に入ったばかりの頃から崩していません。「生まれてきたのもひとり、生きていくのもひとり、死んでいくのもひとり」がゆえに、自分が各駅しか停まらない通過駅な性質であることを理解し、遭えるヨロコビが増えているような気がします。

でもねぇ、東京駅や横浜駅や上野駅、大阪駅や博多駅みたいなヒトたちはたいへんだろうなぁ、と、つくづく思うのよ・・・。遭えるヨロコビなんか噛み締めていけるのか?と。グリーン車の指定席な人間ばかりに気づき、在来線で入駅した人のことを気づけない傾向などがあったりするんじゃないのかなぁ・・・などと思うのです。しかも、クレンリネスやディスプレイもたいへんだ←容姿や服装や言葉遣いやその他のことよ(爆)。

逆に、秘湯や秘境も、観光熱の高い人たちからは守られることもなく、マニアックに訪れられてしまうので、自分が各駅停車の鄙びた駅だと思っていても、油断はできない昨今ではあります(笑)。いっそのこと、ヒグマやエゾシカしか訪れない、駅のない土地のような人間になることも、考えないではないのですが、そんなことをすると、サバイバルスキルがそれほどない私は、食べていけないことになる・・・←魚すら解体したくないですからねぇ。熊や鹿なんてでかいものを殺せるわけもなく・・・。

というわけで、クールでさっぱりした私も、どこか中途半端に、日々、新しい人々に遭えるヨロコビに浸っております。いつまで経ってもうんざりしないようにありたいものですが、そうなったら湖のある山に引っ越すことになるんでしょうなぁ・・・(笑)。