12/02/2007 にアップした文章です。

昨日ちょろっと考え始めたら、どうも頭から離れなくなってしまい、よし、真剣に考えてみるか、と。ただし、散漫的に断続的に出てくる考えなので、煮詰められず(ほら、いつも集中してひとつのことをしていないがゆえに・・・)。高校生のときに、ツルゲーネフの『初恋』の感想文を書いたときに、佐々木先生が「崩れるからポーズと呼ぶのですよのね」というのを、添削のときに書いてくれたんですが、それなんだろうな、と、取りとめなく考えていたことがきっかけなのと、校長センセの書いてくださった「突っ張っている」という言葉ですかねぇ・・・。

しかも、今日は暇をしており、エッセイを書いたり、メールを書いたり、ゲームをしたり、プランニングをしたり、といくつもアクティビティをしている中(しかもGyaoの終わってしまう映画を聴きつつ、TVまで点いているという始末。しかし、それは母が見ているのである。が、私はストーリーは追いかけており、それには、酒井和歌子がマナー教室の先生という役をしており、鎧と兜ちっくな展開になっててびっくらよ・・・)、私のポーズは簡単に崩れるのであろうか?と、真剣に考えてみようかと。 しかも、最近『天と地と』(海音寺潮五郎)を読んで、彼が鹿児島出身なので、西さんの思い入れに感化されている私は、なぜ海音寺潮五郎が、池波正太郎が直木賞候補に上がり続けたから、直木賞選考委員を辞退することになるほど評価していなかったのか、残念なゆえに、未だにわからず・・・。

さらに、主人公である上杉謙信(景虎)の人生に関しても、大いに驚いてしまい、生涯、女性とは閨を共にすることのなかった童貞のまま死んでいる、ということがすごいびっくりで、陰間(男色)の事実も明確な証拠がないゆえに、彼のミステリーには心魅かれるところがあるのです。その規律や決め事、自分で貫こうと意思決定したものが、鎧と兜であるならば、それは守るべき価値があって然り。

鎧:(1)身体をおおいまもるために、鉄・革などで作って着用する戦闘用の防具。(2)大鎧(おおよろい)のこと。→大鎧(3)兜(かぶと)や袖に対して、胴鎧(どうよろい)のこと。 兜:(1)頭部を守る武具。頭にかぶる鉢と、鉢から垂らす錏(しころ)を主要部とする。形式は攻撃用武器の変化に伴い様々の変遷をみた。(2)舞楽で用いる鳥兜(とりかぶと)のこと。 ――の緒(お)を締(し)・めるなお油断しないで用心する。 ――を脱(ぬ)・ぐ(1)能力などで、とてもかなわないことを認める。(2)敵に降伏する。降参する。

私が生きている意識の中には、PTSD以来、強く「防衛・防御」という分野が取り入れられてしまったのではあるけれども、当然、生命体なので、それ以前であっても、守るべきものは守ってきたに違いない。でなければ、こんなのんびりした母親や融通の利かなかった父親や、貧乏やその他の中で、生き延びてこられなかったに違いないし、たとえ生命体としては生き延びてこられても、心的に充実したかどうかは怪しい。あるいは、うんと愚かで倫理観が欠落していたり、お金の観念がなかったり、騙されることにも頓着ないやつになっていたかもしれず・・・。

その基本というのは、いつ頃形成されるのか?というのは、先天的に取り囲まれている二元性の感情である「心地いい vs 心地悪い」という赤ちゃんの原感情から派生し、もちろん緩めには日々学んできたとは思うのだけれども、私の母ですらそれほど泣かせ続けられなかったであろうから、赤ちゃんであったり、幼児であったりした私には、それこそ大いに譲歩したのではないかと思うのだ。なので、まぁ、甘やかされただろうし、私が自分ですべきところを助けてもらって、守ってもらってきたのでしょう。 では、自分で自分を意識して守るようになったのはいつなのか?やはりゲームとして遊びを覚えた頃なんでしょうね。幼稚園に上がるころからなのか・・・。もちろん、フィジカルには、ハイハイや掴まり立ちや歩みや走りなどができる中で、痛みといっしょに自分を守ることを「感覚で」覚えてきたのでしょうが、頭も使って他人と協調していく中、他人から自分を守る術(すべ)を気づかぬうちに身につけてしまうんでしょう。 ところが、私が少し救われるのは、誰かに何かを尋ねられても、「言いたくない」と応えることはほぼなく、それは大人になるまでは同じでした。だから余計に傷つくし、嘘を方便にしないから、嫌悪の対象になっていく場面にも直面した。加減をしないから、【だるまさんが転んだ】にしろ、【泥棒と警官】にしろ、【天国と地獄】にしろ、いつもイチバンだったことがうれしく、それを隠すこともしない(爆)。子どもらしいっちゃー子どもらしいのだけれども、残酷だったんだろうなぁ、周囲にとっては。

さて、いつから鎧や兜をつけ始めたのか?世の中が狭いうちには、鎧や兜もつけていなかったことは確か。思うに、小学校3・4年くらいからだったんだろうなぁ・・・。子どもがどのくらいで、親の影響を受けるのかは、個人差が大いにあるのだけれども、あるひとりの子どもがその親から受けた言説を是として言い始めると、それが流布するのは、世間が狭いだけにものすごく速い。だから、いじめは存在するし、高校生になっても止められなかったり、大人になっても止められないくらいに習慣化するのである。 私は、そのあたりから、鎧や兜をつけ始めたような気がする。私に直接何かがあった、というわけではなく、ものすごい勢いで、グループで個人攻撃をするのを目の当たりにしてから、一人遊びを開始したような気がするのだ。もちろん、みんなで遊ぶことを止めたわけではないのだけれども、ひとりで遊ぶことが楽しくて、別世界のような甘やかさを持っていることを発見したのはその頃。参加しなければ、かけっこが速いことが歴然とするわけでもないので、図書館にせっせと通うようになったのもあるようだ・・・。ローラースケートを買ってもらえなかったりしたのもあるし、自分が他の子たちと変わっていることは決して歓んで受け止められる状況ではなかったことは確か。 そこで、変わっていることが露呈しないために、鎧と兜を身につけるのだろうけれども、それは「嘘」になってしまう可能性もあるので、一人遊びを開始したんだろうと思われる。

中学や高校になって、まだ個人攻撃をする輩が山ほどいることに驚き、それをイチイチ庇うことにも疲れて、なんだかグループに一切参加しなくなってしまった感がある。 やっぱり、このマイペースだけは誰にも阻まれたくはなく、大人になっても人間関係やら取り巻いている環境やらと、ネゴシエーションな日々は続くのである。私は「連帯感」というのをどうも感じないタイプのようで、いつもどこか醒めているつまんないやつなのである。ひとりで遊ぶことが楽しいと心から思えるようにはなっていたのだけれども、24歳になるまでひとりで喫茶店に入ったこともなかったのだ。大勢の中に身を置いているというフィジカルな状態が好きではなく、勉強も図書館でやるくらいであれば、家でひとりでやったほうがいいような大人だったし・・・(ほら、子どもの頃は勉強してないから・・・爆)。

それに、甲冑をつけていなければ、私はどこまでも猪突猛進してしまい、誰か止めてくれる人もそばにおらず、やっぱりヤバイことになるのだろうから、鎧や兜は身につけていたほうがいいんだろうしなぁ・・・。でもなぁ、自分では公私の区別を意識してつけてはおらず、裏表もなければ、いろいろな顔も持っていないので、本当に鎧と兜をつけているのか?と訊ねられると、「どうかなぁ・・・」とも思うしなぁ・・・。ひとりでいてさみしいと思ったことは、ただの一度もなく、大勢のなかでひとりぼっちだと孤立を感じてさみしかったことは無数にあります。なので、突っ張ってしまう場面というのはわかる気がする。でも、本当に鎧と兜を作為的につけているつもりはないのだけれども、PTSD以来、やはり防御というのはかなり重きを置いているよなぁ・・・。

というわけで、ぼやきのようになってしまい、自分でもよくわからないまま終わります(爆)。みなさんの防衛用の鎧と兜は、バズーカも通さないほどでしょうか?私の鎧と兜は、ペラペラの紙でできているやもしれず(笑)。うーん、考えるヒントが羅列しただけで、考えている途中で終わり、申し訳ないですっ!

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