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『さまよう刃』を読んで

12/24/2006にアップした文章です

 

ここのところ、1ヶ月に2・3度しか飲まない私が、続けて2日も、さとみちゃん退社とクリスマスにかこつけて飲んだら、やっぱり相当に具合が悪かったです(笑)。そんなわけで、仕事も遊びもTVもすべて放棄し、ひたすらおかゆを食べて、本を1日で8冊読みました(笑)。特に、横溝正史の『お役者文七シリーズ』というのが、5巻しかないので、それをひたすら読み、その前に残っていたなつかしーい江戸川乱歩の『三角館の恐怖』と『幽霊塔』を読んだあと、深夜になってから、東野圭吾の『さまよう刃』を読んだ次第なのでした。なんでそんなに読めるのかって?(笑)うーん、どうしてなんだろうと自分でも考えたのですが、今回の二日酔いは身体にはそれほど影響がなく、心がくたくたになっていた模様なのです。

さて、『さまよう刃』は、少年犯罪をテーマにしたものです。ネタバレ覚悟の人は、この先も読み続けてください。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4022579684 イヤな人は、アマゾンのサイトです。

冒頭から、妻を亡くした男が、16歳の娘の花火大会への外出を憂う様が描かれており、そこにはタイトルから匂わせる「何か起こるぞ・・・」が期待され、ドキドキです。最近になってようやく私も、子煩悩な人の気持ちがわかってきたと見え、あるいは、自分にはそんな暖かい気持ちなどあるわけもないと思っていたのにあったことを発見してびっくりしている状態と見え、こういったほのぼの描写に突き動かされるようになりました。動物がらみだとわかっていたことでも、家族の絆に関しては、どうも反感のようなものがあり、「そんなキレイゴトだけじゃないでしょ」などと、嘯(うそぶ)いていたところがあったのです。夕べも、弟の家で、弟には「子どもを持っていないことに対する批判」を散々されてきたのですが、やはり気持ちは変わっておらず、「子どもを持たなくて私はよかったのだろう」とまだ思っています。

そして案の定、買ってあげたばかりのきれいな浴衣姿で駅から自宅に帰る途中、女の子は少年3人に拉致されてしまいます。駅からわずか徒歩10分の距離に家があったことを、父はこのあとも嘆くのです。わずか、ではなく、なんと治安が悪い危険な目に娘を曝していたのだろう、と・・・。花火大会が9時に終わり、ちゃんと9時20分には帰途に就いているのですが、娘はいつまでも帰ってきませんでした。

拉致した男の子は3人で18歳。3人とも高校を中退しており、1人がリーダー格。もうひとりは、積極的にそのリーダーに引きずられて味を占めており、もうひとりはただの足代わりで、父親の持ち物である車を提供させられており、報復が怖いがゆえに逆らうことができないと、冒頭から描写してあります。この3人目がラッキーだったのは、その晩、女の子をクロロフォルムで意識を失わせたあと、2人目の男のアパートに連れて行った際に、父親から「車を使うから帰って来い」と電話がかかることです。そのせいで、3人目の男の子は最後まで、重要な役割を持つことになります。密告者・警察への協力者・マスコミとの繋がりの役目を背負う情報提供者などです。

父親は、2人目のアパートを密告によって簡単に知り、赴き、証拠の品を見つけ、恐怖と絶望の底にいるときに、2人目が戻ってきたがゆえに、ためらいもなく衝動的に少年を殺します。そのあと、証拠隠滅することなく、現場を離れ、すぐに旅支度をして、「長野のペンションに逃げた」という死に際の言葉を頼りに、旅支度をし、長野へと旅立つのでした。それ以上の情報を持っていたわけではないのですが、父としては、もうひとりに復讐せねば死ねないし、自首もできなかったからです。

紆余曲折があり、警察・弁護士・マスコミ・親・近所・市井の人々・ペンションの労働者などの意見を交えて、話はどんどん進んでいきます。最後には、どうなるのか・・・。父親は主犯の少年を殺せるのか・・・。←やっぱり結末は言わないでおくね(笑)。

日本の少年法は甘いというのは知っていたつもりですが、日本に戻ってきてはや4ヶ月経とうとしており、その甘さと遺族の想いについては、日々ニュースを見て感じています。特に、少年鑑別所(いわゆる少年院)と少年刑務所の違いについても、まだまだ浸透していないようですし、少年法そのものについても、私はけっこういろいろなサイトを見ることになりましたが、その審査システムについてはまだまだ不透明で不明瞭なところが多いです。

ちなみにアメリカでは、殺人をすれば、14歳だろうが18歳だろうが、州の検察が「大人として裁判をするかどうか」を決めます。それについての前裁判を、検察と弁護士が裁判長や陪審員の前で戦い、その後、本裁判となります。犯罪の内容・その質はどうなのか、再犯の可能性が高い質の犯罪であるかどうか、心理的発育や環境などなど、その時点で出来うる限りの資料を提出せねばなりません。でなきゃ、年齢が低くても免罪としては、死刑→終身刑、終身刑→年数の多寡、にしかなりません。アメリカの基礎は、First degree Second degree Third degreeと3種のクラスに分けてあり、1stが「計画的・意図的」だったり、火事やレイプを伴うもの、終身刑を受けている受刑者の殺人、2nd が重罪である殺人、3rd がその他の殺人(致死や事故など)になっています。子どもであってもこれが基本です。犯罪の質を問うことは忘れてはなりません。

こういう言い方は、たいへんに冷たいかもしれないですが、生まれながらにしてbad seed(悪い種)を持っている人というのは実在すると思います。善人-悪人で分けても意味のないことですが、ひとりの人間の中に、悪-善が共存しており、その悪は社会生活を営む者として困難すぎる、克服できないほど極端なもの、を持って生まれる人というのは、実在すると思うのです。私はたまたま「自分で抑えつけられないほどの邪悪」を持たないで生まれてこられてラッキーだったのですが、やはりひどいことをされて「恨み」「憎しみ」に喘いだ日々がありました。それは人によっては、「虚言」かもしれないし、「独占」や「征服」かもしれず、性的傾向や嗜好でいくと、SMなどの致死に至る事故に繋がる傾向だったり、邪気のない子どもを苦しめるPedophilia(幼児性愛)だったりすると、本当に本人にはコントロールしきれないことなのかもしれません。アメリカでは、その極端な強さに勝てない性犯罪者が、自ら望んだ場合、ホルモン投薬を望んだり、去勢したりすることを州で経済負担をすることもあります。あるいは、猟奇的なシリアルキラーが、MRIに入り脳のツクリを研究材料として提供することもあります。自分で抗えないほどのBad Seedを備えて生まれてしまった人を罰するのは、なんだか不公平です。

もしも、そんな極端な強さではなく、生まれたあとの環境要因や己の行動や規範で、後天的に獲得した性質であれば、「更正」のチャンスは大いにあることも可能性としては否定できません。その場合、少年鑑別所はいい制度でしたが、犯罪の低年齢化が進み、犯罪の質の残虐性や計画性などが問われる今、やはりもう少しシステマティックにしていかねば、「明日は我が身」としても怖いわけです。

犯罪の質をまず見極めなければ、少年犯罪については国民としても「判断の材料が足りない」です。なのに、「親として子どもを殺されたら復讐するのに賛成か?反対か?」と訊かれても、責任を以って答えることができない、というのが私の答えです。でも、犯罪がゼロになることなどありえないし、罰を重くしても犯罪そのものは減りません。かと言って、遺族のことを考えない刑罰では意味がない。

いろいろなことを考えさせられるので、ぜひぜひ読んでみてくださいね。私は、自分の娘が殺されても復讐はしないほうに一票です。気持ちはわかるけれどもしません。まずはその方法がわからないし、土壇場になって崩れるほどの「感情だけ」でしかないとすでにわかっているからなのでしょう。システムが変わらない限りは、私が価値もない犯罪者に自ら手を下したところで、自分が死刑になる憂き目になり、2重の地獄に落ちるからかもしれません。今後も少年犯罪は見ていきます。

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