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お足

お金のことを「おあし」という人は、昨今とても少なくなっているに違いないです。日本語能力が低下していることは、いろいろなリサーチで結果として出ており、けっこう詳しいものがあり、それを見ると私もかなり納得できています。けれども、私のアドバンテージは、18年半も日本語がそれほどの雑音が入らず温存されたことで、母よりも乱れていないことが確認されています。そもそも、母よりも読書をしていたので、日本語力はついていたとは思うのだけれども・・・。

 

これが、けっこう興味深いリサーチです>あなたはどちらを使いますか?という設問には、意図が読み取れるので、ちょっと楽しいわよ♪私は、昔風の日本語の使い方をしていたらしいので、きっと今でも新しい日本語の取り入れには、不自然なところがあるに違いない(笑)。でも、「みたいな」という英語でいうLikeというのは、1980年代に使いました。今は、あまり使わないようです。使う相手がいなかったからなのかもしれない・・・。西さんは、鹿児島弁を使うし、訛りがあるせいなのか、流行語を自ら取り入れて使うことはありません。

http://www.bunka.go.jp/1kokugo/main.asp%7B0fl=show&id=1000013692&clc=1000000073&cmc=1000001687&cli=1000001691&cmi=1000001706%7B9.html 

 

さて、お足。

http://www2.kct.ne.jp/~monohito/oasi.html なんだかこれくらい詳しく書いてくれると、とても小気味いいです。意味を「お金のこと」と記したり、「昔はお金のことをお足って言ったんですよね」というのは検索してもたくさんありますが、これくらい長いのは、コレだけ。

 

昔から、流通について、私はお金にしろ、気にしろ、留まることが不健康で正常ではないものについては、水と比較して述べています。何でそういう癖がついたのか?エネルギー保存の法則のせいです。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E4%BF%9D%E5%AD%98%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87 ここでいう「ある閉じた系の中のエネルギーの総量は変化しない」というものは、世界が狭い人には想像が容易です。私は、もうちょい工夫して、水が旅をすることを映像にして頭に浮かべるのですが、そこどまり・・・。宇宙のようにもっとでっかいスケールの系とか、もっともっと小さいミクロの世界を想像できると、やたらと頭がいいんだろうな・・・。

 

自分が持ちえる物は有限である。この事実に気づけない人は悲しい。有形のものについて、です。友人や知り合いの数にしても同じで、物理的空間を取って存在しているヒトを知っているだけでは、その交流のための時間がしっかり取れるわけでもなく、ぬくもりを直接に感じるわけでもなく、満足がいくほどのコミュニケーションが取れる数というのも有限です。だから友人関係にはブランクがあり、その音信不通に対しても寛大な気持ちが持てるかどうか?準備ができているかどうか?などが問われるわけです。

 

貨幣制度が確立されてから、確かに便利になりました。けれども、物質主義(Materialism)に心奪われ、振り回されている傾向の強い人間も多い。叶姉妹だったかなんだか(しかもあのふたりは本当の姉妹じゃないというではないですか・・・。ボーゼンよ・・・)のゴージャスなんたらという売り文句や、セレブというカタカナでの流行。本当のセレブが、あんなにTVに出て、いくら以上もらわないと出演しない、などと言うわけもなく(爆)。細木数子にしても、一度袖を通した衣装は着ないなどと公言し、TVでその数を公開したりするのも、下品じゃないのか・・・。黄砂や自然崩壊やエコの話もしているけれども、あの宝石や衣装やバッグはどんなふうに作られていて、そのラインに並んでいる人々や採掘の人々がどんな暮らしをしているのか知っているのだろうか?

 

物質主義:物質・金銭の充足を第一として、精神面を軽視する考え方。

 

さらに言及するならば、ホリエモンだって破滅した。彼を崇拝したり、肯定する人々が多いのには、私は帰国してかなりびっくりしました。どうせ投機家を尊敬するならば、George Sorosくらいを念頭に置いてほしいと思う・・・。流通したお金が「他の人々も倖せにすること」を目指しているかどうか。これは大きな分かれ目だとみなせるかどうかが、物質主義に冒されているかどうかの最初の目安になると思うのだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%82%B9

 

が、この逆はどうなのか?母がいつも名言しているように;「愛だけ食べて生きていけるわけない」「愛があれば貧乏だってかまわない、なんて負け惜しみ」というのも事実です。物事の真理というのは、ある性質の極端にあるのではなく、中庸にあるのだということは、有史ではすでに数千年前にたくさんの偉人が書き残していることなのですが、かなしい哉、人というのは先人の教えをフルに使って生きられる存在ではないらしい。

 

しかも、こうして社会格差が歴然となり、こんなに富んでいるかのように見える国家でも、アメリカを追いかけるように、貧窮のために餓死したり、子どもを棄てたり、詐欺が横行しています。さらに富むための知的犯罪ではなく、いくばくかのパーセンテージで、貧困が原因での犯罪は増えています。食べていけている人たちでも、上を見ればキリがない物質主義に心傾けてしまうのは納得ができますが、知らないあいだに侵されてきていることも確かだし、それを払拭するために、オキラクに心持を調整し、前進や成長の可能性を「ないものにする」という傾向も生まれています。

 

私は現実的な人間なので、自分に必要であるお金に対して欲したり執着したりする心を、浅ましいだとか、汚いだとか、あはれだと思うことは一切ありません。特に、お金お金と呪文のように唱えているわけでもなく、他人様からお金を騙し取ったこともないですし、たまにする買い物の失敗にしても、その都度改善し、必要としないものは欲しないメカニズムは、長年培った経験で学んできています。しかも、私は金離れが早いので、バンバン使う。温存して使わないでいても、お金には足が生えているので留まることは意味がない、ということは、このリンクにも書いてある通り。自分が欲するものの有限は知っているし、無形で大切なものを手に入れるための手段だということもわきまえているので、他人が持っていても自分が持っていないものに対するむやみな憧れもありません。そうしたバラエティがあるからこそ、人生というのはおもしろい。他人と自分を比較するというキリのない悪循環に嵌まり込んでいなければ、お足に対する考え方というのは、それほどに振り回される問題ではなくなります。

 

ただし、社会が設定しているシステムの悪さに対しては、声を大にして不満を述べ、その理由をきちんと並べ立てることができたほうがいいです。でなければ、お足を有効に使うこともできなくなるし、有限のお足を大切に思えなくなります。社会保険庁だの、贈賄だの収賄だのの問題もそうだし、広告費がこんなにも大きく動いていることもそうです。

 

実は私個人は、商売を始めるようになってから、消耗品以外は買えなくなりました。あまりにバカらしい(爆)。原価の3倍以上で売っているものをなぜ買わねばならぬのか?と思うようになってきた・・・。しかも、ぜいたく品やサービス付随のものなどは、100倍のものだってあるんだから・・・。

 

女性のみなさまは、「きちんと見せたいかどうか」ではなくて、「きれいに見せたい」が先に来るから、きっとお金がかかるのよ♪きちんと、の場合は、過不足なく、正確で、整っているように見せる、というもので、本来ある自分の資質を大切にすること。きれいに、の場合は、持ちえるものより過剰に見せること、ですから。きれいになるのは、たいへんだなぁ。私はもういいんだ(笑)。

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