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くるくる働く母を見ていて

2006-04-07に書いた文章です

引越しの作業週間です。私のほうは、外に出かけて買い物をしたり、書類を揃えたり、という仕事をしており、家の中では、相変わらず仕事をしたり、エッセイを書くことに追われたりしており、ちょろっと手伝いをする程度で、95%は母が荷造りをしています。どうも、母の言では、私がやると邪魔らしい(笑)。彼女には彼女のやり方があり、荷物をほどくときや、荷物を整理し、開かないボックスへの目印など、彼女なりの法則を破られるのは不愉快らしいです。

しかも、彼女はこの作業が好きだからすごい・・・。夕べなども、夜の7時半になって「そろそろご飯にしないと、11時には眠れないんじゃない?」と食後3時間以上経ってから寝ないといけない習慣のある我が家のルールを持ち出して、やっとこさ、食事になったのでした。何も言わなければ夜中までやっているのですよ、彼女・・・。

母は専業主婦ではありませんでした。私が物心ついたときには、家で内職をしており、最初は組み立てから始まったものの、内職なりの手に職をつけ、最後は半田ごてを使ったり、銅線をモーターで巻きつける作業をしたり、と、その単価はどんどん上がっていきました。外に子どもを預けて(まぁ、当時は預ける場所もなかったのですが・・・)、時間給のパートで働くよりは、自分の速さにより賃金が変わっていく、能力給がよかったのです。子どもに嫌な思いをさせないことをモットーにしていたというよりは、彼女が人見知りをする対人恐怖症で、外に出たくない、というのが最優先だったことは確かです。

私もその内職をよく手伝って、お小遣いを「稼いで」いたのです。小学校1年に上がる前には、ナイフが使えて、私は1年2組でとても嫌な思いをしたことがあります。ナイフで鉛筆を削っていたことを怒られたのですね、野蛮だし危ない、と。が、それもいい思い出です。

その後、彼女は高校生の私が外に出てバイトを始めるまでずっと、パート半分、内職半分を続けます。パートは自転車で通える海産物問屋の仕分け作業で、わかめやその他の海産物を計って袋詰めする簡単なものでした。その後、家に戻り内職をしていましたが、内職の仕事はどんどんなくなり、お酒を飲み始めた彼女が明るくなり、どんどんと外に出ることも考え始めたようです。

私がバイトをしていた先で、母よりも手が遅く、母よりも歳を取っている人が洗い場や簡単な調理の仕事をしていたので、母にも薦めてみたのがきっかけで、その後、時給のよさを追求するようになり、配膳会・配膳所に登録し、最後には品川プリンスホテルにたどり着きました。そこも、私が会社を興したのと同時に辞めました。とっくに辞めてもらっても、父が残した保険金もあったし、遺族年金ももらっていたのですが、彼女は動かないではいられないのです。サメみたいなものですから。泳ぐのをやめてしまうと死んでしまうような感じ。「中学もロクに出ていない私が、時給で最高にいい時は、1600円ももらってたんだよ」と言えることが、とてもうれしいようです。手が速いことが、彼女の誇りなのでしょう。

そうそう、法律違反なのですが、彼女は小学校しか卒業していません。中学は途中まで行ったものの、どさくさにまぎれて、引越しした先などでの厳しいことがなかったこともあり、途中で消滅しています。「奉公に出された」と本人は言い張っていますが、昭和25・6年くらいに奉公制度などまだ残っていたのでしょうか?祖母がその年季奉公のお金を持ち帰って、人質気分だったと話していますが、本当のところはどうだったのか、今でも謎です。

16歳を過ぎて、病院で准看護婦の資格を取らせてくれるという勤め口を探し、掃除やその他の仕事をしますが、17歳で父と知り合い、そのままいっしょに住むことになり、資格は取らぬまま、内職を始めることになりました。

働き通しの人生だったのですが、まだ止める予定はない模様・・・。

おかしいのは、働かないで動いていないときには、TVをつけておいても寝てしまうのです(笑)。昨日の夜も、食事のあと、Kill Bill Vol.2をつけていたのですが、寝てる寝てる(笑)。あまりに気持ちよさそうなので、自分から起きるまでは放置しておきましたが、彼女を見ていておもしろいな、と思うのは、自分が寝た睡眠時間を少なくいつも申告することでしょうか。寝てるのに寝てないと言い張ったりする(笑)。まるで寝ることは罰当たりなように思っているのか・・・。

昨日判明したのですが、母は夜、食事のあとにコーヒーを飲むバカでした(笑)。若い頃とは違うのだから、コーヒーを飲んでいたら、深い眠りが得られないよ、と説得し、ためしに1ヶ月は夕方7時以降、コーヒーを飲まないようにという実験をすることに納得してくれました。「4時間で起きちゃう」らしいのですが、そりゃそうだよねぇ。頭の芯のほうが起きていたら、物音や匂いや温度に敏感になって起きてしまうこともあるかもしれない。「だって、若い頃からずっとコーヒーは飲んでいたもの」と言う母に、「ねぇ、いくつになったと思ってるの?」と言わねばならぬのは、ちょっとおこがましすぎます。しかも、95%の引越し労働をしてもらっているというのに(爆)。眠りのパターンやいくつかの事実を、わかってもらえなくてもいいや、とひとしきり話したのですが、どうやらやはりわからない模様。ただ、コーヒーはとりあえず1ヶ月はやめてみてくれると言うので一安心。しかも、私が4月30日に、同じ飛行機で帰るので、2ヵ月ほどは監視状態ですしね(笑)。

会社を興してから、そろそろ1年になるのですが、彼女はよく働いてきました。2月から従業員の昼食も母が作っており、郵便局に出かけたり、備品の買い物も彼女もしています。70歳にならない限り、遺族年金の金額がそこそこあるので、扶養扱いにはできないのですが、大病して入院することがなければ、彼女は死ぬまでずっと働き続けるのでしょう。

そんな彼女の病歴は、まったく良性の脳腫瘍と、胃の腫瘍での手術が2回ありました。怪我をして、ケロイド状になってしまう体質の人に似ており、彼女の場合は、内臓の内膜と外膜のあいだに、なぜか良性のできものが出来てしまうのです。悪性に変化することもなく、毎年誕生日には、検査を欠かさないようにしてもらっていますが、またいつか違う箇所にできるかもしれません。

が、他は至って健康で、よく笑いよく食べて、元気です。が、2週間ちょっと前に風邪を引いたらしく、到着した日に、私が空港で車をインロックしてしまうハプニングを、私が起してしまいました。雨の中、まだ開いていない車のそばに立つ彼女を心配して、焦った私が、予定にもなく、ドアをがちゃがちゃやっていたら閉まってしまったのです(笑)。彼女にまた冷たいところで1時間も待たせる大バカ事件を起してしまいました。彼女は至って元気に戻っていますが、私のほうが少し具合が悪くなりました。この嵐で、2度もずぶ濡れになり、買い物先でも、ちょこちょこ雨に打たれており、引越し当日の天気予報も雨です。どうなることやら・・・。

今日もコレからインテリアコーディネーターとペンキやさんとカーペットやさんが来ますが、部屋の中は、箱だらけの大散乱状態です。そんな中、ネコたちは異常を察しているのか、黙って寝ています。よく働く母は、今も、ひとりで話しながらパッキングを進めています。そろそろシャワーを浴びねば・・・。

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