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こだわりから逃げるために

2008/10/11 にアップした文章です。

こだわりというのは、この場合、ネガティブなもの。こんなことを考え始めてしまうと、Monkに怒られそうなのです。彼は生涯、コレとつきあってきているので、「君はまだまだビギナーだな・・・」と(笑)。私は、神経質なほうだと、小さい頃から言われてきたのですが、実際はそうではありません。たいへんにおおらかで、散らかっていても気にしないでいられます。まぁ、衛生的に危険が及ぶことはまずい、という程度です。できたらきれいなほうがいいですが、私自身がそれに大幅な情熱と時間は費やしたくもなく、「適度」でいいのです。ところが、私が神経質だと、小さい頃言われたのは、おそらく、「他人にとってどうでもいいこと」が「私にとってはかなり大事なこと」だった割合が高かっただけで、多くの人が考えるこだわるべきではないだろうところに、こだわったきたことにあるのではないか?と、最近思い当たっているのです。

 

しかも、私は多くの人とMingle(混ざり合う)ことをしませんので、「同士よ!」といううれしい遭遇も、それほどないのです。Robert B. Parkerは日本では爆発的に売れたものですが、私はその当時ですら、3人くらいしか「同士」に会えませんでした。「文房具はMade in Japanがイチバン:でも一部ドイツ」というこだわりも、日本製が当たり前な境遇の人にはなかなかシェアしにくいこだわりのようです。なので、こんな背景もあるせいで、産業カウンセラー講座で、ダウンタウンブギウギバンドの『身も心も』に引き続き、Robert B. Parkerを全巻読んでいる彼には、かなり心魅かれたんですねぇ。

 

そして、商売では、私は生徒さんにUnlearningを切々と説いているのですが、昨日の夜あたりから「自分ができないで、何でこんなことを言っているのだ!?」と、かなり情けない気持ちになっています(笑)。こだわりが正しく持って行き続けたほうがいいのか、それとも今Unlearningしてこだわらないように修正するのか?そして、長らく考えてきたところ、やはり正しく持って行き続けたほうがいいという結論になったのだから、その目標を設定して、それにタダタダ邁進すればいいものを、グルグルとしょーもないことを考えてしまうのは、何なのだ!?と(笑)。

 

あ、何度も重複していますが、私には悩みがほぼないのです。「悩んでもしょーもないこと」には悩まない。しょーもないことに悩むと、グルグルするだけで、時間と情熱が奪い取られてしまい、ゾンビになってしまいますので、そうした贅沢は、恋愛のみにしていたはずなのですがそれももう縁遠い話なので、ここのところずっとどんなピンチに遭遇しても、悩まないでやってこられていたのです。そうですねぇ・・・、PTSD以降、悩んでいませんね・・・。「困った」はたくさん無数なくらいにありましたが、解決してきました。

 

そうではない、「他人にコントロール権が多くあること」「もっと抜本的に命題に近いことでの相違から来る悩み」に関しては、私のほうが認知をしっかり変えることで、「悩み」ではなく、「立ち位置問題」として、他人の立ち位置が変えられないことを再度確認したうえ、自分がどのくらい変えることができるのか?を検討し、そのあと、どうしても譲れないのであれば、「このまま甘んじるのか、それとも繋がりそのものを放棄すべきなのか」を考えてきたのです。

 

で、今がその時期のうちのひとつで、私が英語学校で雇われるのをやめて、独立しようとしているのは、まさに、この「立ち位置」の違い。あ、企業研修を仲介してくれる会社で今もお仕事をいただいているところは、まったく問題ないのです。「立ち位置」が相当に近いので、不安も不満も何もなく、むしろ、朝や昼などの、生徒さんが普段集まらない時間帯に仕事があることに、感謝すらしているのです。

 

英語学校にしたって、別に、彼らが正しく私が間違い、なわけでもないし、逆に私が正しく彼らが間違いなわけでもない・・・。ただ、単に、立ち位置が違うのです。

 

辞めるということは心の中でしっかり決めたものの、まだ通知も出しておらず、その日程の見通しが最もグレーなところに居る今が、やはり、ここ数年でのイチバンの正念場なのかな、と思っているところです。心が苦しい(自嘲)。1年半近く、日本で英語を教えてきて、半年めくらいから日本の英語業界そのものに対しての学習をし始めて(それまでは体感していただけで、系統立てて学んでいたという実感はなく・・・)、18年半のアメリカ生活でその文化ごと持ちかえってきてしまった私にとっては、やはり日本の英語業界の主流システムというものから、「落伍者」として降りないといけないところまで来てしまい、それが弱者であるが、共感者もたくさん増えつつある、「自由競争~Free-trade」の世界なので、またもや苦労しようとしているわけです。

 

私のこのどうしようもないバクチ打ち的態度は、何度生まれ変わってもどうも学習成果は出ないようだし(ほぼ諦観・・・爆)、私のまたもやどうしようもない、あるシステムの下で従順に振舞い、仕事をこなしていくということがどんなにがんばってもできない態度は、どうしても変わらない。皮肉なことに、それが私の渡米を成功させ、時として私を挫折させてきたものなのですが、「立ち位置」としての私の信念は、どうもこれに基づいているようなので、グルグル考えても仕方ないのですね。なのに、このこだわりから逃げたいと思うのは、苦しいからで(笑)。いや、捨てられないこだわりからは、実際問題逃げられないのですが、「しばし忘れたい」というのが本当のところなのでしょう・・・。

 

が、ここのところ、独立のための運動をけっこうしており、Mixiの英語コミュニティを立ち上げたり、NPO設立のための青写真を打ち合わせしたり、西さんともHPを作成するためにメール交換を頻繁にしたり、Skypeをしたりしたので、「逃げていられるどころではないっ!」というのが現実で・・・。しかも、しっかり英語学校では責任を以って仕事をしなければならず、口先だけのいい加減なことはできないので、彼らのシステムの中で、範囲で、しっかりした仕事をしなくてはならないのですが、それがどうも私の心と頭では「こなし」に思えてしまってならない・・・。

 

実は、この程度の悩みというか、ピンチは、これまで帰国してからも何度もあったはずなのですが、「喉下通れば熱さ忘れる」といういい加減なやつなので、なんだか久しぶりのような気がしてならぬのです(笑)。実際のところは、叔母がこの4月に腎臓移植の手術をしたときには、毎日クマのように意味もなく歩き回っていたし、お酒の量が増えてピンチになって校長センセにお叱りを受けたこともあったので、悩みがないと言いつつも、この「立ち位置」の違いや、「生まれ持ってしまった切なさ(叔母の場合は、軽い腎臓病の段階で服用した薬の副作用の蓄積で、さらに腎臓病が悪くなったということなのですが)」などに苛まれてきたのです。

 

今回は、アル中にもなりたくもないし、クビを斬られることも覚悟だというくらいのこの態度を貫く意地のようなものを、このエッセイで明言しておいたほうが、やはり自分としてもかなりすっきりだろう、と、今日は書いてしまいました(笑)。関係者の方々が見ていると困るのでは?とご心配くださったあなた、どうもありがとうございます。覚悟=危険な状態や好ましくない結果を予想し、それに対応できるよう心構えをすること、なので、潔いところを書き記しておこうと思いました。

 

これは限りなく私のための記録になってしまったようです。が、私をケーススタディとして、みなさんも、周囲との「立ち位置の違い」と「自分の信念」をお考えになってみるチャンスとしてくださると、瓢箪から駒です。

 

 

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