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さみしさのゆくえ

12/08/2006 にアップした文章です。

 

以前、「さみしいと悲しい」の違いを書いたことがあります。私自身はさみしいことはまったく平気なのですが、悲しいことは、どうも耐えがたい。どうも明確でなかったような気もするので、さみしさをどうやって埋めることができるのか、追記。ええ、ええ、相変わらず私は毎日、人知れず泣いています(笑)。泣くことにより、悲しみを超えようとしているのか、気が済むのか・・・。

淋しい:(1)あるはずのもの、あってほしいものが欠けていて、満たされない気持ちだ。物足りない。さみしい。(2)人恋しく物悲しい。孤独で心細い。さみしい。(3)人けがなくひっそりしている。心細いほど静かだ。さみしい。

悲しい:[一]心が痛んで泣きたくなるような気持ちだ。つらく切ない。《悲・哀》[二](古くは「愛し」と書かれた)(1)身にしみていとしい。切ないほどにかわいい。《愛》(2)心にしみるような趣だ。深い感興を感ずる。(3)見事だ。感心するほど立派だ。(4)残念だ。くやしい。(5)貧苦がつらい。

わかっている人はすでにわかっていると思うのですが、淋しいのほうは、すでに心の中で「基準形」「理想形」があるのです。そこから欠けるものがあると淋しい気持ちになる。それが、人であったり、モノであったり、環境の中にある何かであったり・・・。この「あって当たり前」を設定し、それを基準にして、引き算足し算をしている心持、不自由だとは思いませぬか?

よくコップの中の水が半分あって、「あーあ、こんなに減っている」と思うか、「まだ半分ある」と思うか、という悲観-楽観を測る入門編心理テストがありますが、ここではコップの形を問題にしていません。そもそもそこにあるコップの容積を問うていないわけです。お猪口なのか、三ツ矢サイダーやアサヒビールなどの小さめのコップなのか、でっかくて500ccくらい入るものなのか、その容量を不思議と考えない。

人の心のキャパにしてもそうです。人はそれぞれ違う。『ごく小さいけれども重要な違い』がここにあるかもしれません。特に、淋しい・悲しい・切ない・つらいなどなどの感情に関することは、あなどれないと思うのです。自分の淋しさに対するコップのでかさを考えてみませう。淋しさという液体をどれくらい容れることができるのか?

・          友だちが何人いれば気が済むのか?

・          友だちとはしょっちゅう会わなければ気が済まないのか?

・          メールなどのネットでの交流でもまったく気が済むのか?

・          その友だちとどのようなつきあいをすると淋しさを感じないのか?

・          親密な人間関係とは何だと考えるか?

・          いてほしい人とは誰で、今のところ何人くらいいるのか?

・          その人がいなくなってしまったら肩代わりしてくれる候補者はいるのか?

・          生きていくのに必要なものは何か?

・          その必要なものは、本当に必要なのか?レジャーやシュミや娯楽ではないのか?

・          心の潤いを保つために、どうしても必要なぜいたく品は自分にとって何なのか?理由はどうしてなのか?

などなど、自分の淋しさへのキャパを考えるのには、漠然としなくてもいい、わりと具体的なヒントがたくさんあります。この答えが綿密で、ニーズとしての人やモノに対する量が多いほど、淋しさへのキャパは少ないことになります>ここがちょっと逆の考えになるので、混乱するかもしれない。淋しさをどーんと受け止められる人は、人やモノがなくてもかなり耐えられるので、どんどん「淋しさ」という感情は詰め込める。が、人に囲まれていないと気が済まなかったり、モノを持っていないと淋しい気分になる人は、「淋しさ」という感情、つまりここで表現する液体、を受け容れられないので、コップの大きさは小さいことになる。

私には基本形や理想形がないに等しいものがあるので、友だちの数はゼロでは社会動物として成り立ちませんが、ごくごく少数でかまいません。アメリカに18年半も住んだせいか、会える回数や時間は限られており、物理的距離を乗り越えることができるほどの、篤い友情でなければ長続きはしませんでした。そのせいで、しょっちゅう連絡を取ることもできず、生活に追われて、連絡を取る回数が少なくなることもしばしば。それでも昨日遊んだ続きのようにつきあえる、というのが心地いいのです。

ネットには当初、3年ほどものすごくはまってしまい、依存症だったのですが、今となってはそんなことがなくなりました。特に、日本に戻ってからは電話もできるし(逆にアメリカの友だちとはできないから、スカイプやメールに頼ることになり、ネットを使うんだけれども・・・)、会うこともできるし、生活がどんなに忙しいのかも身に染みてわかる。

そもそもベタベタした関係を持ったことがないので、頻繁に会う必要も感じなければ、ネコのように1日に数時間はひとりで居る時間を確保しないと死にそうな気持ちになります。それは西さんに対しても同じで、いっしょに何かをするのは、限られたことかもしれません。同じTV番組を見なくてもかまわないし、同じシュミを持たなくてもかまわない。読書も違うのは当然だし、好きな食べ物が違ってもどうでもいいと思う・・・。冷たい?(爆)

親密な人間関係とは、お互いが必要な距離を保ち、回数ではなく、お互いが欲しているものを供給しあうことができることだと私は考えています。供給ってなんだかとても冷たい響きだわ・・・(爆)。でも、相手が必要としていないのに、あげてもうっとうしいだけだってば・・・。それは私がネコのようにひとりで居る時間が必要だから思うのかしら?困ったことがあっても、ある友人は相談相手を求めるだろうし、ある友人は会って黙ってHugsだけを求めるかもしれない。ある友人は具体的に弁護士かお金を求めるかもしれない。相手のニーズは違うことを、察知できる友人でいたいと常々考えています。しかも、私が相手に求めるのは、「なりたい自分になるためにひたむきでいること」のみで、有言実行以外は求めませんので、有言できるような雰囲気を醸しだすことを心がけています。

父にしてもそうでしたが、いなくなったあと、その穴を埋めるだけの候補者には会えないほうがいい、と思うようになりました。西さんと同じポテンシャルを持っている人が居るには居るだろうけれども、会えなくてもいいや、と思うのです。そうすると、西さんと過ごせていることに対しての感謝がさらに深まる感じです。

私には物欲がほぼないので、特に欲しいものはなく、西さん、母、ネコたち、友人が幾人かいてくれるだけで、淋しさなどは感じないで済みます。孤独が好きなことがまずラッキーでした♪さて、淋しさを埋めるための方法、見つかりましたか?

 

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