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価値観という言葉

11/10/2007 にアップした文章です。

 

もう10年くらい気にし続けてきたのですが、私は日本語では、価値観という言葉の代わりに、「世界観」という言葉を使うようにしています。価値観という言葉は、どうも便利すぎて、ピンポイントできているようでできてはいない曖昧な使い方が多いような気がするわけです。「じゃあ、世界観だって同じだろうよ・・・」と言われると、そうでもない。自分のポジションがわかる価値観のうちのひとつで、しかも、すべての基礎になるからです。その中には、時空が含められており、宗教観や科学観なども盛り込まれることになります。価値観というのは、○×についての価値観、というふうに、ピンポイントされなければ、どうも便利すぎでしょう。恋愛における「相性」と同じだと思えるわけです。やっぱり私って細かいところがあるのかしらねぇ・・・・(汗)。

価値観:いかなる物事に価値を認めるかという個人個人の評価的判断。
世界観:(1)世界についての見方・見解。(2)〔哲〕〔(ドイツ) Weltanschauung〕世界についての統一的で全体的な理解。客観的な対象把握(世界像)にとどまらず、人の主体的な意義づけ・関係づけによって成り立つ。(3)文化人類学で、ある民族がもっている世界についての見方のこと。時間や空間の分類法、神話・儀礼などの中に見いだすことができる。
相性:(1)男女・友人・主従などが、互いに性格がよく合うかどうかということ。古くは生まれ年で判断し、特に縁組には重視された。(2)相手との性格や調子の合い方。合い口。
観:(1)目に映った印象。物事の様子・状態。(2)〔仏〕 特定の想念や心の本性などを心の中で観察し、仏教の真理に達する方法。→止観 (3)接尾語的に用いて、…に対する考え方・見方などの意を表す。

理想の人の条件を考えるに当たって、「価値観の合う人」というのがあるので、相性という言葉もついでに出てきてしまったのですが、「価値観」という言葉ひとつには、目的語(対象物)が必要です。それがどうも、日本語的な、よく言えば奥ゆかしい、悪く言えば曖昧な、どうも煮え切らない物言いだなぁと、私には思えるわけです。靄の中に置き去りにされた気分で私がさらに、「じゃぁ、あなたはどんな価値観を持っているの?」と問うと、ピンポイントされた答えが戻ってきたことはあまりないのよね・・・。それは、私がデートをしょっちゅうしていた10代の頃からですから、三島文学やら太宰やら、いろいろな人が使ってきたに違いない。戦後、この価値観が多様化していく中、とても便利な言葉になったのであろうと思うのです。

英語では、価値観というのは、Sense of Valuesという和英が最も多いのではないかと思うのです。これは訳者の物事を捉える位置を如実に表しています。「価値あるものへの(についての)感性・分別」というのが直訳ですので、この価値観という単語を単独で使うものではなく、実際は、まず最初に「価値あるものが何か述べよ」ということのあとに来るものだということがわかります。特に、英語圏は、ドイツ語や北欧語などと同様、Low contextと呼ばれ、万民がシェアできる物事というのが、High contextの言語を使う国々、日本語・中国語・ベトナム語・韓国語など、に比べて、数が少なくなります。そのため、ある事実やある物事を修飾するための言葉数が必要となり、それがなければ、何を一体話しているのか、通じなくなり、コミュニケーションは失敗と終わります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%A1%E5%80%A4%E8%A6%B3 価値観についてをいろいろ述べてあります。これを読むとふむふむと納得できる・・・。

どうも考えていくに、日本人は、価値観という言葉を、「価値がある物事についての考え方」について話しており、英語も話す私には「じゃ、その物事って何なのよ?」という苛立ちが募る、という構図のようだ。「だからぁ、基準となる美徳や価値あるものって、あなたにとって何なのよ?」と、どうしてもそっちを先に知りたいようだ。6歳の子どものようですが、私はHigh context言語・文化圏に生まれ育ったにも拘らず、人の多様化を強く信じているので、その「何を」をとりあえず、本人に明言してもらうことが必要らしい。

よくあるインタビューでは、いろいろな人がいろいろな例を取り、価値観について話してくれるのですが、どうも要約版や理路整然としたものは出て来づらい。ブレが多く、一貫性が見つからないことが多い。なのに、「価値観が合う人がいい」などと言う。そもそも、そんな価値観は誰も合わせられないと思うのだよ・・・。

そこで私が考えたのが世界観で、まずは、己の立ち位置をどのように視ているのかを知る。このほうが、価値観うんぬんと延々とやられるよりも、聴いている側としてはずっと理解度が上がるのです。とっつきの悪い難しそうな言葉ではありますが、命題である「人はどうしてひとりで生まれてきてひとりで死んで行くのか?」や「世界はどのように成り立っているのか?」「神は存在するのか?」なども世界観の中のひとつなので、みんながこれまで疑問に思ってきたことをただ改めて、「正解はないけど、どんなふうに考える?」と質問することで、個人の世界観は充分にわかります。「人は全般に善か悪か?」などもそれですし、それらであれば、小学校の頃から考えてきたこともいくつもあるわけです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%A6%B3

価値観のほうは、世界観から派生している、さらに細かいひとつひとつの美徳や価値のある物事についての基準あるバロメータであり、世界観をまず視るほうがきっと手早いし、その個人に対する理解も進むと思っています。私は、哲学を教養課程でアメリカで取り直したので、これらの記述はそれほど苦でもないですが、カタカナがきついのと、英語のほうがもっと合理的で論理的には説いてあるとは思える・・・。こうした専門分野のことを、万民にわかるように書き、エンターテインするのが小説家や芸能人の務めだと思えるのですが、『ソフィーの世界』という本は、私は読んでいません。そもそも、ノルウェーでは、高校生が哲学のクラスがあるんだな、と改めて「いいなぁ」と思ってしまいました。受験に強くなるよりは、生きていくことそのものに強くなったほうがいいですわい。他にも利息の計算だとか、金融商品の紹介だとか、プレゼンの練習や意見の組み立てなんかがクラスに採用されたほうが、受験科目一色の高校生活よりずっと楽しいでしょうに・・・。私は中学の半ばくらいから、学校が好きではなかったですから、やってほしかった授業だったら山ほど言えますね。そのせいで、大人になってからの勉強は本当によく進みました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C

多感な時代に哲学の中心にある「世界観」を自分なりの「中途結論が何か?」というのを持っていない状態は、私はいかんと思います。グレたり、物事がうまく行かないのも、世界の中で自分がどこに位置しているのか、どうもわからないまま、出発点も到達点も現在地も目標地もどこもわからなくなってしまう。それなのに、世間では、恋愛や結婚や人間関係での「価値観」が多用されて、自分の価値観を考えてしまうのですが、その基礎になるものについて、整理整頓できていないわけです。これができれば、理数系ではないと言われている人でも、否応なしに図形を頭に描くようになります。マッピングです。

とは言え、自由きままに英語を教え、暇な時間を見つけてはパチンコをし(しかも読書しながらすこぶるいい勝率で勝っている)、なりふり構わずこぎれいにしていない、時々英語を話す、素っ頓狂で、冷たく厳しいやつに、あれこれ言われたくはないことでしょう。だからこそ、自分の世界観というのは持っていたほうがいい。世界観がしっかりしていれば、他人の目なども怖くなくなるし、必要な人の必要な意見がきっと聞けるようになります。自分の本当の価値、Self-Esteemがよいように上がるのも、これが分かれ目だと思うのです。

騙されたと思って、簡単な哲学書を図書館で借りてみるか、安ければ買ってみるといいかもしれません。私は梅原猛・内村鑑三・西田幾多郎、その他も読んでいますが、どうも最近は英語で読めるものに走ってしまいいけません。また図書館に行って借りてみます。ある批判には、「日本には哲学者は育たない」というものもあり、なかなか興味深いです。

自分の世界観が言える人は、やっぱりかっこいいです←なぜか最後は、女子高生ばりの発言になってしまった(爆)。

 

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