ESL取り放題のプログラムでは、NativesのESLの他に、基礎コースを終えた生徒さんたちのために、「使える英語」を目指せるような助けになるレッスンを日本語講師でも日本語も含めてアドバイス・きっかけになるためにやっています。心理半分・英語半分としており、その心理の中ですでに Sex/Genderの違いはやってみました。
私が暮らしたい社会は、性差についての差異をあまり受けない世界なので(笑)、さらに面倒くさがりの私としては、女らしさを前面に出すのもなんだか億劫すぎて、特に外側の飾り気からは縁遠いところに暮らしています。
男らしさ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B7%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%95
女らしさ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%95
私個人としては、まず「個人としての自己の確立:Identity形成」が必要だと考えており、それが終了したあと、それに沿った性差の間で右往左往したらいいんじゃないかと思うのです。思想的なものまで「男らしさ・女らしさ」を求められても、脳の作りや生い立ちや暮らし方によって、どこで何をどのようにして暮らすか、によってそれが邪魔になることも大いにありますしねぇ・・・。
このWikiにあるような女らしさと男らしさを観てみると、私は男らしさのほうが断然勝っており、だったら「性同一障害」なんじゃないか?というくらいな感じです(笑)。でも、生命体としては♀であり、それに関しての違和感はまったくないので、そうではない・・・。そしてジェンダーとして、社会が判定する性に関しては、やはり見た目は最低限にしているものの、やはり女性としてはちゃんと観られるので、極端ではないんでしょう。あとは、考え方やそれが現れる発言ですが、そっちが極端に男らしいんでしょうねぇ・・・(笑)。
というわけで、私は自分基準に男らしさ・女らしさを決めつけるようなものはないですね。混乱の中で、Identityさえ確立していれば、性差などはどうでもいいと思われ、どのような場所で、どんな機会で、誰が集うのか、にそれなりに合わせるスキルさえあれば、自分らしくいるのがイチバンです。
Sexとしての男女と逆の行動や思想を持っている人にとっては、決めつけはとっても負担になりますから、こんなものは定義しないほうがいいでしょうし、イメージを他者に押し付けるのは、ヒトとしての能力が低いってことに繋がってきますよね。そのへんもよく考えてみるのが日々の生活の中で必要とされているんじゃないかと思うわけです。
ジェンダーフリーの教育に問題がある、という意見もありますが、中学生以降、Sexの違いを学んだあとは、自由なほうがいいんじゃないでしょうか?みなさまはどう考えますか?
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