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動物園の是非

05/01/2008 にアップした文章です。

 

昨日、最後の日本のパンダがいなくなりました。22歳の高齢で、メキシコにも出かけて行って、本当にヒトのために尽くしてくれたパンダだったそうで、リンリンの生涯のうち、私は18年半も日本に居なかったわけで、当然、見に行ったこともなく・・・。それでも、このものすごぉくさみしい気持ちは何なのだろうか?と不思議でならぬのです。特に動物保護団体に属しているわけでもなく(アメリカはカリフォルニアのSPCAに定期的な寄付をしていたことは別としても)、黒柳徹子女史のように、パンダが死ぬほどかわいくて好きでたまらないわけでもなく・・・←というか、これについて世間のみなさまは知ってらっしゃるのだろうか?おそらく、私のこのさみしい気持ちは、動物園の存在からして発生しているのかもしれないと思うのです。

 

以前も書きましたが、西さんは「動物園の存在そのもの拒否派」です。彼は、母が来たときに、San Francisco Zooにホワイトタイガーを見に行きたい!というのに、しっかりとつきあってくれましたが、苦々しい顔は時折自然と出てしまい、孫たちにホワイトタイガーの小さいぬいぐるみを買ったときも苦笑でした。やはり、あの狭い空間に動物たちが閉じ込められている感というのは、西さんにとって、自分のことのように苦痛なのか、あるいはヒトのエゴを象徴するようなものなのでしょう。

 

確かに、動物たちを研究している学者によると、クマやトラなどに代表される狭い空間での「行ったり来たり行動」というのは、自然界にはほぼありえず、苛立ちを顕すのだそうです。考えてみると、Monkもイライラしてくると繰り返し行動をするよなぁ・・・とは思いませぬか?←校長センセにしか相手にしてもらえていないか?(笑) そういえば、ゾウも自然界よりも回数を多く、必要性がないのに鼻を口を使うあの行動をするのだとか。しかも、多くの動物たちの檻は、噛み付きや腕力などでいじられており、近くに寄って見ると痛々しい傷跡が残っていることが多いのだそうです。

 

OCD(Obsessive-Compulsive Disorder=強迫性障害)に近いものがあるのでしょう。改めて読んでみると、確かに動物たちも強迫を感じているように思える。社会性が強かったり、自由意志が強い傾向にある動物では、確かに狭いところに閉じ込められたり、行動に制限を加えられると、このような症状が出てもなんら不思議はないもののようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B7%E8%BF%AB%E6%80%A7%E9%9A%9C%E5%AE%B3

 

かたや、サバンナや密林(ジャングル)に直接行くことができない私たちヒトのために、めずらしい動物たちと『共生』できぬものかと、心を砕いている人々を全否定するわけにもいきません。特に、子どもたちのためには、確かに役立っているわけです。映像を見慣れてしまっている世代の子どもたちは、おそらく、私などとは比べ物にならぬくらい、想像力は低いのではないでしょうか?映像で動物たちを自然界で捉えたものを見ても、なかなか実感が湧かないのかもしれませんから、生きている動物たちを見る機会というのは、人類が動物たちと共生していくためには、本当に深く必要なものなのかもしれません。

 

が、どうして、今、動物園に住んでいる彼らが犠牲にならねばならぬのか?というのは解決できる問題ではなく・・・。

 

ましてや、私がつらつら思うに、もう野生育ちで捕らえられて連れてこられた動物たちというのは、うんと、極端に少ないのではないか?とも思うわけです。動物たちとて賢いので、順応傾向を持ち合わせてはいます。あまりに本能が強い動物は哀れです。自傷行為などをして、寿命を縮めてしまいます。そうやって淘汰されていき、動物園暮らしが楽しいと思える動物たちが、生き残り、子を生し、生粋の「人間たちに育てられる野生ではない動物」が作られてもいくわけです。

 

これは新種への進化なのかなぁ・・・などとも考えているわけです←そこまで考えずともよいのか?いや、いいだろう・・・(汗)。

 

絶滅種の保護のために、ヒトの手を加えて人口を保つというのが、動物園関係者の名目ではありますが、実際に人工的な環境の中で、生殖行為および生殖活動はうまく進められているのか?というのも疑問ではあります。有名なのは、パンダのセンターですが、あの近隣では、環境破壊が進んでしまったという記事が、大学受験のための過去問題集に英語で載っていました。そのあらすじは、何もなかった地域に(そりゃそうだ。パンダが自然に暮せる環境で、竹林ばっかりなわけです)、突然近代的な建物と研究者たちがどっと集まり、その資金を捻出するために一般公開もし、観光客が「わー、かわいい!」と押し寄せる。なるべく自然界に近い姿を醸し出そうとしているものの、なかなか自然界には帰っていけないパンダたちは、ヒトに優しくされてパンダらしくないところをたくさん持ちつつ暮している。が、その近隣の人々は、「よっしゃ、オレたちも儲けてやろう!」と、軒を連ねて観光客相手の商売を始める。主に食べ物で、豚肉をBBQ風に焼いたものらしいのですが、ガスも電気も高くてままならぬ田舎です。元も子もないことに、竹林の竹を切り出して、それを燃料にして焼いているわけですよ。竹林は剥げ山になっていくし、燃やしているせいで二酸化炭素が大量に出る。彼らばかりを責めるわけにもいかず、補助金を出すようにはしたものの、竹林が元の姿に戻るには、相当な時間がかかるわけです。

 

うーん・・・。ヒトはやはりバカなのか?

 

確かに、動物を見るだけで心は癒されるし、抱いたりしたら死ぬほど温かい気持ちになれる(実際に温かいし・・・)。この動物と共生キャンペーンのせいなのかどうか、噛み付きガメだとかワニだとか、かなり珍種と言えるものまでが、ワシントン条約を掻い潜ってペット化されているのも確か。そして、要らなくなったり、世話ができなくなったりすると、捨てるバカが出てくる。最低なのは「飽きたから」ということを平然と言ってのけるやつすら居ること。

 

私もけっこうたくさんなネコといっしょに暮していますが、買ったネコはひとりもおらず、すべてSPCAからもらったか、捨て猫だったものに来てもらったのです。いくばくかではありますが、ヒトとしての罪滅ぼしの気持ちも多少あります。

 

旭川動物園はものすごい人気だとかで、入園料を上野よりも高くしたとかするとか・・・。富士サファリパークも、自然のままで動物たちが暮せるように努力をしているのだとか・・・。私は水族館でくらげを見るのがかなり好きなのですが(あっという間に1時間くらい経ってしまうのがいつも謎・・・)、あれもいいのか悪いのか、と思うのよねぇ・・・。

 

私はまだまだ西さんのような強気な否定はできないものの、やはり納得できない何かをしこりのように感じています。リンリンが死んでしまったこの機会に、考えたことがなかった方々は、動物園の存在是非をちょっとだけ考えてみるのもいいかも。

 

ひとつだけ言えるのは、私が宇宙人にUFOで攫われるようなことがあって、宇宙人が持っている動物園のようなところに収容されたとして、そこから抜け出す努力は、生きている限り続けるだろうな、ということ。まるで、Arthur HaileyのRootsのようですが(西アフリカからアメリカに連れてこられた奴隷のお話)、やっぱりそうなるだろうなぁということ。だったら、やっぱり動物たちにもやってはいけないんだろうな、と思うのです。

 

うどちゃんたちも、究極のところ幸せなのだろうか?と顔を覗きこんでみたところ、ひなたぼっこが気持ちよくて、それどころじゃないそうです(爆)。

 

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