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口を利かない日

11/04/2007 にアップした文章です。

 

今日、土曜日は誰とも口を利きませんでした。あ、挨拶だけはした・・・。でも「こんにちは」に対して、「こんにちは」しか戻ってこなかったので、会話にはなっていません。母がボーイフレンドの家に泊まりに行き、祝日のおかげで学校がお休みなので、今日は本当に緩やかな日だったのです。が、かと言って、その分、しゃかりきに何かをしようか・・・と思えるほどの急務もなく(そうなのよ、追い込まれる状況を必要とするどうしようもないやつなのだ・・・汗)、気づいたら金曜日の夜9時40分から24時間以上、誰とも口を利いていないことに気づいてしまった(笑)。

こういうことはアメリカでは珍しいことではなかったのですが、日本に戻ってきて、おそらく4・5回目なのではないかと思うのです。アメリカでは、学校のスケジュールがない日は、基本的に買い物や友だちとの待ち合わせがなければ、特に外に出ない。むしろ、ガソリンを使わないため(引いては地球を汚さぬため)、用事はいっぺんに済ます、というのを心がけており、学校に行き、友だちに会い、買い物も済ませ、外食もし、ネコたちのごはんの限界ギリギリに帰る、というのがコースだったのです。何かひとつだけのために車を出動させるのは、どうも気乗りがしなかった・・・。なので、完全休日と稼働日というのを分ける心がけは、日本に戻って、ちょっとリズムが狂います。

個人差があることなのでしょうが、私は毎日外に出なければ気が狂うだとか、体調が悪くなるとか、精神的に悪影響が出る、ということがないと見極めており、完全休日は完全休日として、ダラダラ過ごせるようにしようと、むしろ心がけるようにしています。が、未だに罪悪感がゼロではないのは、やはりそもそもが貧乏性なのでしょうね・・・。こういうのが、三つ子の魂百までも、なのかしら?

主婦業である家事の切り盛りをしているわけではないので、家に閉じ込められている感覚は、生涯で一度も味わったことがありませんが、小さい頃、罰として押入れや物置に閉じ込められてばかりいたので、アレの緩やかなものが長いあいだ続いたら・・・と仮想することができるので、なんとなくではれば、気持ちはわかります。が、考えるに、手枷足枷などがない強制が緩やかな分、自分に対する苛立ちや焦りは、専業主婦などが感じる外で仕事をしないこと・キリのない次から次へと生まれ出ずる細かい仕事をこなすこと・それらに対しての正当な評価がされぬこと、というのは、見えない鎖がいつしか自分に戻ってくることになり、この道を選んだ自分が相当につらいのではないかと思うのです。改善を思いついたときに、最愛であったはずの配偶者や子どもたちに反対されるようなことがあれば、一体どんな気持ちになることやら・・・。

火遊びをして物置に入れられた私ですら、自分を反省するのはつらかった。なので、母のことを「でべそ」「バカ」「出して」などとクレヨンで書いて、のちのち「出べそじゃないじゃない・・・」と考え直すことができたときには、「八つ当たりの構造を垣間見る」ということができたのです。が、子どもだから許されるものの、もしも火事が実際に起きてしまったら?などとは、どこまで本気で考えられたのかわかったもんじゃないです。むしろ、「火遊びをするとおねしょをする」という言い伝えに怯え、実際におねしょをしてしまったときに、見えない大きな力にさらに怯えることになり、反省の窓がもっと大きくなければならないのか?とキリのない自分との闘いにうんざりしてしまった・・・。

あんないい加減な言い伝えが現実に起きるということについてすら、大人になっても結論が出ていない人が多いようで、それについては、京極夏彦は超一流だと思います。陽さんに紹介していただいたのですが、私と同い年なのにすごい漢字力で、リサーチもすごいし、頭の中にあるものがたとえ同等レベルだとしても、こうした表現力を持っているというのはすごいな、と、すごいの連発なのです(爆)。たいていのストーリーは、「憑き物落とし」をする稼業の男性が、仲間といっしょにこの世に起きた不思議な出来事を解明していくのですが、その迷信や言い伝えや伝承などを巧みに使い、悪事や醜聞などが事件になっています。それらの事件は、当事者が「憑き物落とし」が見せた世界、つまり「刺激」、にどのように反応するか?という論理的予測で成り立っており、予測が外れることもたまにあるものの、刺激を見せる側の責任感なども盛り込み、たいへんにおもしろい。

今日も、『絡新婦の理』を読み終わったのですが、840ページくらいを5日で読み終わりました。今まで読んだ中では、最も論理性に長けていたように思います。京極堂シリーズってやつですね。これは自分に模した思い入れ深い主人公なのでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E6%A5%B5%E5%A4%8F%E5%BD%A6 京極夏彦について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%A1%E6%96%B0%E5%A9%A6%E3%81%AE%E7%90%86 絡新婦の理について

また余談が長くなっている(爆)。

口を利かないことは、私にとっては何の苦でもないのですが、母がいるとどうしても話さなければならないことになるので、彼女がいなければ、US時代の「勉強日」のようなことができるのです。あ、いてもやっていますが(爆)。ただ、そのときはどうしても話をしなければならなくなります。今日のように彼女がいなくて、私も切迫した仕事がなかったり、勉強がない場合、しかも気乗りするほどの心に引っ掛った何かがない場合(こうした調べ物をしたら、エッセイのお題に絡めたくなるのですが、ほとんどの場合は己のための純粋な知的好奇心)、ひたすら本を読み暮らすことになります。

PTSDのときの誰とも口を利かない最長記録は、2週間というのがあったと思われます。最も危なかった時期には、母が来てくれて億劫でも返事をしなければならなかったのですが、セラピーに週に2回が義務付けられて、それが週に1回になり、その後1ヶ月に1回になったときに学校に戻ったわけです。少しよくなったときに、自分の意志でキャンセルしてしまえるようになると、気分の安定に高を括ったことがあり、その頃、2週間誰とも口を利かなかったら、相当によくない方へと戻ってしまったことあり・・・。なので、以来、口を利かない日は連続して3日以上作らぬようにはしていました。

が、ブログも始めたことだし、日本にも戻ってきたことだし、商売も商売だし、口を利かねばならぬことばかりが増えて、なかなか物理的孤独などは得られないことのほうが現実です。たまにこうして1日口を利かない日があると、なんとなくうれしい(笑)。

あ、それでもネコたちがいるので、彼らには話しかけるのだ。返事は、みゃん、みゅう、にゃぁ、だったりしますが、それなりにコミュニケーションは成立しており、純粋に口を利かない日というのは、うどちゃんが来て以来の17年以上、ないということなのかもしれません。ちなみに私はひとりで居ても、独り言はめったに言いません。どうしてだろう?と考えるに、口を利かずとも頭の中ではパチパチと思考が連続しており、誰かの言葉や記憶での自分の言葉などに囲まれている気になっているので、独り言は必要ではないようです。

うーん、エッセイ1本書くほどの重大事ではないにしろ、口を利かないことについてもけっこういろいろなことがあるのだということ、ちょっとわかっていただけたでしょうか?←ごまかしている?(爆)

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