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大学除籍のなぞ・・・

 [1999年07月24日(土)]の文章です

つい4年前まで私は大学中退だと思っていた。22歳で中退してから9年余りそう思い込んでいた。おろかなもんである。ほんとにプププと笑えちゃう話である・・・。

渡米して英語学校→専門学校→就職活動→就職→帰国(1年3ヵ月)→観光ビザ→結婚→と来た私は5年前、「結婚しちゃったんだもんなぁ。やっぱ就職探すのに別のことやるならまた手に職かいな」と思って アメリカ特有の Adult School(成人学校)荒しをやってみました。

ありとあらゆるジャンルのクラスを脈絡もなく取ったもんです。

Voice Training(発声練習)・Aquacise(水のエアロビクス)・Win Word・Lotusのソフト講座・Pronunciation(発音)・Italian cooking(イタリア料理)・Spanish(スペイン語)・Hypnosis(催眠術)・Short Hand(速記)・Environmental Discussion(環境を考える議論)・make-up(メイクアップ)・Social Dance(社交ダンス)

などなど思い出せるだけでこれくらいある。expulsion4 expulsion3 expulsion2

一つのクラスは丸1日お弁当を持っていって終るモノもあれば、毎週2回2時間を8週間などバラエティに富んでいる。私が Adult Schoolが好きなのは、いろいろな人種・いろいろなバックグラウンド・いろいろな目的のなかに混ざるのが好きだから。Adult Schoolの本来の目的は、アメリカの義務教育である高校卒業を何らかの理由で果たせなかった大人を再教育するもので、昨今では妊娠して授業を断念せざるを得なくなったティーンや移民や外国人も増えていますね。

とにかく授業料が安い!

社交ダンスを習ったのは1994年3月に帰国してすぐに招ばれた結婚式で、西さんが花嫁の足を見事に踏んだのでした(爆)。彼の会社に一時お勤めをしていた彼女は花婿・父親・お気に入りの伯父さんと踊ったあとに西さんを指名したんですが、ちょっと赤っ恥をかいちゃいましたね・・・。ふたりで16回分が49ドル←なぜか半端・・・。ものすごいお得です☆

「せめて結婚式で上手くなくてもいいから、花嫁の足は踏まないでよねっ!」と私は強引に習っていただきましたよ☆

で、8ヵ月も経ってAdult Schoolに飽きてしまった頃、やはり私は大学卒業しようと決意しました。で、東京にある中退した大学に問い合わせをして、どの程度の単位が使えるかチェックしようとしたんですね。私が出した手紙では「該当者は除籍になっています」とのことで、何かの間違いだろうと思い、母にわざわざお茶の水まで出向いてもらっちゃいましたよ・・・。

国際電話の会話:
母:ねね、本当にあんた退学届出した?
私:ん、秋の学期始めで忙しい時期だったろうけど、ちゃんと出したよ。
母:それってちゃんと郵便局から出したの?
私:忙しかったからバイト先の人についでがあるからって、郵便局行ってもらったと思う。
母:じゃ、その人出してくれるの忘れたんじゃない?
私:まさかぁ。それより郵便局の間違いじゃ?

と、少しずつではあったんだけど、この親子は私が退学扱いでなく、除籍されちゃってたことを確信としていったのです・・・。

焦ってみても仕方ないのでもう一度だけ学生課に手紙で問い合わせてみましたよ。やっぱ除籍だった。クビになってたんだよね・・・(汗)。母親は「除籍処分にします」なんていう大学からの手紙を受け取った憶えはないと言い張るし、学生課では送ったと言い張るし、ま、仕方ないか、って感じでした。

それよりも大笑いしちゃったんですね、自分に。

だって啖呵切って大学辞めたのに、何で私はそんなささやかな単位使いたいなんて馬鹿なこと考えたんだろう、って。いいじゃない、ゼロから出発っていうのも、って。

うちの両親の学歴はたいへん低いです。普通だとずっと思い込まされてきましたが、それは真っ赤な嘘でした。私が大学を辞めることにしたと告げた夜、父は土下座をしました。

「お願いだから辞めないでくれ」と。

私が帰国したのはこの父がガンで闘病することになり、死んだあとの処理でしばらく残らずをえなくなったためですが、彼が大きな涙をぽろぽろこぼして泣くんですね。

「私の人生じゃない?私が決めてもいいでしょう?」
「そうだ。おまえの人生だ。決めて悪いってことじゃない。お願いしてるんだ。」
「どうして私がパパの思い通りにお願いをきかなくちゃいけないの?」

長い話が始まりましたよ。父がどれだけ故郷を深く愛しているか。本家の次男だった彼が子どものない分家に養子に出されて6年後にその家に子どもができたときに返された話や、東京に出てからどんなに苦労して働いてきたか。

話の最後に「お父さんとお母さんは紀久美にずっと嘘をついていた」と言われ、「まさか、こんなに正直な人たちが嘘なんか」と疑う私に彼は土下座をもう一度しました。母はちょっと開き直ってたかな・・・。泣いてたけど。

小さい頃、国勢調査や学校からの家庭調査の紙ありませんでした?あれを書いていた記憶、父が同僚を家に招いて話すときの記憶によると、確か父は県立高校を出ていたはずでした。でもそれが嘘だったんですって。中学を終ってからすぐに名古屋に働きに出て、そのあとに東京に流れてきたんですって。空白の数年間が埋まったような気がしました。

母も中学中退でした。夜間の高校に行ったはずだったんだけれども、それは傍聴みたいなもんであとから聞いた話によると、彼女の最終学歴は中学中退でした。「小学校しかまともに出ていない」というのは今でも母の劣等感です。

学歴に負け自分の子どもに学歴詐称をしなければいけない両親。私が寝静まってから国勢調査を書き直す両親。友人にも同僚にも学歴を話すことができない両親。

お願いされたときは「おおだいら家」を背負っているような錯覚に陥りました。東京にやっと根づくことができた父の希望である私。

「大学を辞めてどうするんだ?」との問いに「お金貯めてアメリカ行く」と。

説明をする私をそのときの両親はきっとわかってくれていなかったと思います。紙と鉛筆と電卓で計算しながら説明する私の計画を「そんなことが可能なのか?」と言った父を思い出します。(きっとできないだろうから)「やってみろ」という最後の一言だったんだろうと思います。

私はそれから2年半4つのバイトを掛け持ちして合計600万を貯めました。あこぎなこともやりました(何か想像してるでしょ?爆)。でも朝から晩まで働いてお金を貯めちゃったので、両親は文句を言うことができませんでした。

で、私はアメリカに来ました。1988年4月26日のことです。なぜ日本脱出したのかはまた次回に☆別に私の半生記を書くつもりはないんですが、何かこのお題リクエストしていただいたので>なぜ渡米したのか。

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