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女がなぜ子どもを産みたくないのか その1

07/25/2006にアップした文章です。

 

いや、産みたい人もまだまだたくさんいると思います。

私の場合は、産むんだったら16歳くらいで産みたいと思っていましたが、それどころではなく、貧乏どん底で自分の口紅さえ買えず、教養も身についておらず、やはり自然の成り行きで断念し、その時期を越えてからは、自分のことで精一杯でした。渡米し、西さんと出会い、当然のごとく、私は子どもなど欲しくないやつ、といろいろな人に思われ、そのようには振舞ってきたのですが、私の心と頭の中では、「まだまだ考える時間があるからいいや」と思ってきたのが実際のところです。生物を習い、進化論が何度も登場し、自然科学と宗教、哲学に埋もれた中で、私はやはり「これ以上遅延できない」と子どもを持つことについて、沈思していく年月を送るのです。大学は終わらず、「子どもを持ちたい」のほうに65%ほど考えが傾いたところで、レイプ&脅迫事件が起こります。そこで、私の夢は途絶えました。そもそも持病を持っており健常ではないところに、椎間板を2枚失う事故があり、それでも私は「子どもを持ちたい」に65%傾いていたわけです。体力ではなく、経済力と知力で子どもは育つだろう、育てたほうが自分のためにいいだろう、という結論に至ったところで、他人の手により可能性の芽を摘まれました。

そこからは、健常はおろか、ゾンビから「日常生活をただ持つこと」に復活するまで、ほぼ3年かかります。イチバンひどい状態のときが半年以上続き、1ヶ月でまともに「寝た」と感じた時間は10時間もないような状態が続きました。ダメだとわかっていても、アル中を復活させて意識を無くしたりせねば、目の下の隈が消えないし、体重は不健康に減り、シャワーに入れない。ネコたちに話しかけたいのに、文字通り口が開けないほど元気がないわけです。撫でていっしょに眠りたいのに、自分の腕が重すぎて動かない。それでも涙だけはなぜか次から次へと出てくる。電話線をコンセントから外した状態にし、TVをつけても音は出さず、PCを起動しても読み物ができず、本を開いても同じ行から微動だにできず、が半年ほど続きました。レスキューに来てくれた母を頼りに、セラピーに通い始めることがなければ、私は自殺にいつか成功していたことでしょう。

西さんは台湾から飛んできたい様子でしたが、私はあんな姿を見せることはしたくなく、気遣いをさらにせねばならぬことを考えただけでうっとうしかった。着ている衣服でさえうっとうしかったのです。シャワーに入れないがゆえに、自分の皮膚をかきむしりたいほどにすべてがうっとうしかったのです。

3年経ち、まずは大学を卒業することを目指し、その後、私はBiological Clockのチックタックを確かに強く受け止め、もうそのことについて考えることは止める決意をします。自分の血肉を分けた子どもはもう要らないことにしよう、と。この世には、親に先立たれたり捨てられたりはぐれたりした子どもたちがまだまだたくさんいます。親が刑務所に入ったり行方不明になったりして親といっしょに住めない子もいますし、望まない妊娠だったがために、赤ちゃんのときに養子や施設に預けられている子たちもまだまだたくさんいます。特に自分のDNAにこだわる必要など何もなく、そもそも私の持病はDNAに組み込まれているわけなので、それを子どもに伝えてしまうことも怯えの種でした。

こうして、わりと正当に聴こえる「子どもを持たない」理由がある私は、特に誰かに責められるようなことはもうありません。あと数年は初産も可能なのですが、一度した決意を翻すような性格ではないのです。

が、わりと正当に聴こえない理由しか持たない女性たちは、20代後半や30代の頃の私のような、事故前の私のような罵倒を浴びせられているのだろうか・・・。そう思うと胸が痛みます。

日本が先進国の中でも稀に見る少子化を呈するようになり久しいです。宗教を生活や信念に根ざして持っていない文化であることが、他の先進国との差異を醸し出しているのだろう、と私は考えています。多神教である多種多方面に向けての偶像崇拝や、誰でもが死ねば神になれる神道、たくさんの御仏がいる仏教、しかもその宗派は多すぎて、日本人のほとんどが理解していない域です。それに比べてやはりキリスト教の中でもカトリックはわかりやすい。さらに、カトリックに反対するとして派生したプロテスタントの各種も、やはり規律や生活信条は、多神教に比べてとてもわかりやすくなっています。わかりにくいものをわかろうとするエネルギーは、動機や熱意がなければそもそも難しく、いいところ取りをする傾向は否めません。日本人はかなりな広域で、いいところ取りをし、自分や自分たちのバックグラウンドに合わせて物事を変化改良させてきました。それは長所にもなり、同時に短所にもなりうることです。生命の大切さについて、本当に真剣に子どもたちに伝えられる大人が少ない現状で、子どもを産む年齢層にいる女性たちが迷うのは、至極当然のことだと、私は思っています。

シンプルすぎるように表現すれば、宗教などのヒトを超越するであろう絶対的力がもたらす信念や信条を持たない人々の考え方の中心は、『損得』であることが多いわけです。資本主義はコレで発展したわけですし、私はそれを揶揄したり非難したりするつもりはまったくありません。自然界でのサバイバルもコレに拠るものが多いですしね。恋愛や結婚だってこの部分がなければ、ただのドアマットになるわけです。

では、同じ問いをこの問題に当てはめると;子どもを産んでどんないいことがあるのか?逆に子どもを産まないとどんないいことがあるのか?さらに、子どもを産んでどんなイヤなことがあるのか?逆に子どもを産まないでどんなイヤなことがあるのか?この4点は、年齢層に当てはまる女性は特に考えているのではないかと思うわけです。

私の母も含めてですが、ものすごい素っ頓狂でリアリスティックで身勝手なことを言う人たちはかなりいます。「子どもを持たないと自分の老後がたいへんよ、さみしいわよ。ひとりくらい産んでおかないと」ってのが大きなひとつ。それって、子どもにヤドカリや寄生することを予定して、子どもを産んで育てているってことなんでしょうか?すごいよね・・・。どうして自分が産んで育てた子が、経済的成功をして、さらにやさしい気持ちで同居したり、別居でも面倒を見てくれると思えてしまうのか?この前提はどこから来ているのか?と不思議です。こんなのに説得される女性も、悲しいことに確かにたくさんいます。が、実際の現状は、養護施設や老人ホームが増え、国が運営している割安の施設が不足状態で、有料で高価なところに入るしかないわけです。老人の孤独死もいつだって報道されています。彼らの子どもはどこにいるわけなんでしょうか?「自分だけは大丈夫」というメンタリティは捨てないとね・・・。

長くなりそうなので、分けることにします。男性でこんなことを考えたこともない方々は、ぜひコレを機会に考えてみましょう。女心が理解できたほうが、男の人も倖せになれます。とは言え、私の考え方傾向は、男女に厳密に分けられるものではないし、どちらかというと男性寄りかもしれません(笑)。

子どもを産んでいいことと悪いこと。まずはここから考えてみないとね。

 

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