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威圧的な存在

威圧:威光または威力でおさえつけること。おどしておさえつけること。
威光:人に畏怖されるような、犯し難い威厳。威勢。
威力:他を圧倒して服従させる強い力。
畏怖:おそれおののくこと。おじること。

動物たちが主役のドラマや漫画や映画では、なぜかゾウやトラやライオンがこの役回りをさせられているような気がします。それに抵抗してしまっていた私は、かなりおかしな感性だ、協調性がない、と先生に言われたことが何度かあります。

具体的に言ってみると、『ジャングル大帝レオ』なのですが、白い色が純粋であり、崇高であり、大きな身体で力があって、統率力や智恵に満ち溢れたレオは確かに、「すごーい!」ではありましたが、「いちばん!」「コワイ!」ではありませんでした。それは子どもだったので、社会性がついていなかったのよ、の一言で終わればそれでおしまいなのですが、私は未だに白いライオンに対して、ボキャブラリーが増えた今でも「威圧的」という形容詞は使えないなぁと思っています。そう思おうと努力した時間もありましたが、どうしても倣えなかったのです。そう思う人が多いことには納得しました。

そしてTBSでやっていた『野生の王国』を見て育ち、今でもNature Channel(自然番組局)を見ていて思うのですが、ヌーであろうが、カリブであろうが、ホッキョクグマであろうが、ライオンであろうが、どんな種と比べて威圧的である、能力がすぐれている、ということはないという子どもの頃の、社会性がまだついていなかった頃を思い出します。「ふぅん、へぇぇ」と思ううちに、それが私の常識にならなかったことを、何となく感謝してしまう今日この頃です。

もちろん『ジャングル大帝レオ』が表現しようとしたものも、見る人それぞれによっていろいろな受け止め方があっていいと思っています。ある人はその威圧的な存在であるライオンの勇者からの統率下で、自分の能力を発揮してジャングルを人間から守ることが自分の生き方(あるいは自分の種の生き方)である、ということを学ぶかもしれないし、また別の人は種のあいだには差が明らかにあり、それは自然界の掟で逆立ちをしてもひっくり返るものではない、という法則を見出すのかもしれません。それらがまだまだ言葉にしきれず、表現が理解できない段階であっても、何かを感じ、そこから考えることは身体的機能である感覚器官が脳に繋がっていれば、「何か」が生まれる刺激です。

私は手塚治虫が表現しようとしたものはたくさんあると思っていますが、「あきらめ」がそのひとつにあったとしても、それがメインであったとは思いません。ゆえに、ジャングルは守られ、数々の事件に立ち向かうストーリーになっていたのだと思います。力のあるモノが力のないモノを統率してあたりまえだということを、彼が啓蒙していたり、表現して伝えようとしていたとは思いません。そして『ジャングル大帝レオ』だけでなく、「弱肉強食」という名の下に、人々は自然界の掟に社会的附加をつけて、いろいろなことに使っています。けれども真実は、おそらくみな力をそれぞれに持っていて、間尺が違うがために、それが大きいだの小さいだのと言っているだけで、その差は見方によっていくらでも変えられることではないか、と私は考えるようにしています。この世にあたりまえのこと、普通であることがあるのだろうか?と私はいつも思っています。その尺によって躓いたことがあるのは、私だけではないと思います。

だから白い大きなライオンが威圧的で力によってジャングルを統率している、というふうに私には思えませんでした。白い大きなライオンが特別なものだと知ってからも、その理由が知りたいとは思いましたが、すべてにおいて圧倒的であるはずがないと思っていました。

レオの親友はオウムとインパラでした。オウムはずいぶん年上でしたし、インパラは同年であっても自然界においては「食べるモノ」と「食べられるモノ」の関係であり、ケンカをしている場面もありました。でもレオはインパラを食べることはありませんでした。ジャングルの賢者はマンドリルでしたが、彼の言葉がレオの父親に受け入れられることがすべてではなく、撥ね付けられることもありましたし、撥ね付けられたことによって賢者であることが失われ損なわれたことはありませんでした。安定した関係のなかにも小さな動乱があり、不安定に見える事件のなかにも安定した関係があり、ごちゃごちゃ加減がとても心地よく、私にはとてもおもしろい映画・テレビシリーズだったのですが、誰かと話すときに「ずれ」が出ることを感じずにはいられませんでした。それは大人になってからも同じです。それをそれでいいと思うようになれてからも、同じことは際限なく起こりました。今でも起こります。

そして「変わっている、おもしろい、斬新な、希に見る意見を頻度にしてたくさん言うこと・偉そうなことを言い放つこと・理想を語ること」などなどが、他のいろいろな力学からのエナジーを得て、威圧感へとなります。だってねぇ、口がきける動物たちだったから…。白い大きなライオンはたまたまそう生まれただけでしょう。ライオンという種が実際にハンティングにかかるたいへんな労力は草食動物のそれと比べることはできません。けれども生きていくということや生きる場所をシェアしていたり、食べなければ生きていけないということなどのCommon Denominator(公約数)があります。何だか私はそれだけで充分で、それが等しいのならばいいや、と思っています。それがシンプルなゼロ<無>ではなく、存在するよ、という意味の1という数字。数や質についてはここでは考えなくていいことにして、まずこのゼロと1を理解してみよう、というところです。種によってそれが2になったり10になったり100になったりすることはないと私は考えています。それが守られない場面に遭遇することが私を怒らせ哀しませるのですが、それは私という受容体にも問題があるのでしょう。

でもそのCommon Denominator(公約数)でさえ守られない場面多すぎるのかなぁ。シンプルでなく複雑になって、<無>と<有>のゼロと1の二進法がなおざりになります。数字の大きさや質をたくさんたくさん語って、混乱します。世界が狭くなってきたように感じられるから仕方ない、とあきらめることもできず(だって『ジャングル大帝レオ』他で、あきらめていいとは教わらなかったし…)、いろいろな角度から見ていろいろと原因やそのプロセスでの作用反作用を見ています。そして私は私のためのジャッジメントをしているのですが、レオやレオのお父さんのように誰かを統率しているように見えてしまうんでしょうか?ま、でもこの世はPerfect World(完全なる世界)ではないので、許容することも妥協することも大切なのかもしれません。でもレオもレオのお父さんも、ジャングルの仲間を統率していたとは私は思わないのです。みんなと協力してできることをやり、できないことに立ち向かっていたように見えます。協力できない部分が人間とのあいだにあったときにも、彼らは努力をしていたでしょう。安易に折れることもなかったし、すぐにがぶりと噛み付いて終わりでもなかったし、牙を剥けて威嚇してもそれが即、殺すことを目的としていたのもではなかったと私は思います。そこに威圧感を感じていたのはお互いだったのかもしれないし、人間だけだったのかもしれないし、威圧感などという言葉が白い大きなライオンには超えた言葉だったのかもしれないし、元々そんなものなかったのかもしれません。

話はばんばん飛んでいるように見えますが(笑)、手塚治虫も自分のことを「僕にはもっと表現したいことがあるのだけれど、絵を描くのがうまくないからなぁ」とぼやいていたとのことです。昨日のFabに書いたユーミンやマドンナについても、私は同じようなことを考えています。芸能人だから、漫画家だから、という職業割や、年齢や、その表現がすべてだと思わないことで、私にとっての彼らへの親近感はとっても近いものになり得ています。けれどもやはりどこかが理解できない、見えない、わからない、というのがあって、それが畏怖になり、畏敬へとなり、相手も私のどこかにそれと似たようなモノを見出してくれても不思議ではないと思っています。ああ、才能とかいう意味じゃなくて、「うがぁ!どうしてもここがわかんない!」というところです。

誰にとっても恐ろしい対象になる力なんてあるんでしょうか?その普通とは、当たり前とは何でしょう?この世には死ぬことさえも恐れない人が実在します。父の最期がそうでした。ガン告知の苦悩から解脱できた彼は、すんなりした尊厳を以って逝きました。けれども、また他の個人にとっては「あがき」「馬鹿な死に方」と映るかもしれません。最期の彼は多数決の終結のような葬式についてももうこだわらなくなっていました。レオのお父さんの死に方もそうでした。敵だとみなされていた人間を守るために寒いキリマンジャロの雪を白い毛皮にかぶり、人間を自分の体温で暖めます。

私にも威圧感を感じる種類の人は実はたくさん居ます。そう思わないようにしたいなとまだまだ奮闘中です。幽霊を見ているのかもしれないなぁと最近は思えるようになってきていますが、でも白い大きなライオンよりも、怖い人間はたくさんたくさん居ます。つけた力を間違えないように、白い大きなライオンになりたいのか、食べられないインパラになりたいのか、みんなが選べるジャングルがあるといいなと思っています。

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