05/20/2008にアップした文章です。
昨日は、現代社会を教えたところで、時間がなくなってしまいました。おじいちゃまがガンに罹かっており、自宅治療をしているのですが、いっしょにごはんを今後は極力食べようという初日だったのです。高校1年の勉強というのは、このように簡単なものだったのか・・・と今さら思うのは、あまりにボケだなぁと感じつつも、同時にとりあえず中身が伴った大人になれてよかった・・・と安堵感で胸を撫でるのでした(笑)。ではどうして学習できないのか?というのが問題で、昨日の現代社会は、まさしくそこのところを説明してあり、「教科書ってそれほどくだらなくもないよな・・・」と改めて感じたわけです。大人になっている読者のみなさまは、最近、教科書をまじまじと見たことがありますか?
青年期というのがどんな位置づけにあるのか?ということから、現代社会の先生はやらねばならぬ、と感じたようで、試験範囲は第二章からでした。第一章はちなみに、日本国の形態を改めて学ぶというものだったのですが、それよりも大切だというのは正しい選択だったと思えます。けっこう感心しました。発達心理学の枠組みのところで習う内容なのですが、もちろん、このくらいのことは高校1年生でわかったほうがよく、自分がいる位置というのはわかっていたほうがいいですもんね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AB >分類はこちら この分類の元になっている Erik Erikson発達段階についての細かい説明はこちら>
http://en.wikipedia.org/wiki/Erikson%27s_stages_of_psychosocial_development >英語版
青年期における心理的なことはこれらのサイト:
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/koneko/3hattatu2.html >容易な表現なので読みやすいです。
どんなふうに先生が生徒たちに教えているのか、ちょっと想像すればわかるのでしょうか?パラサイトシングルという言葉や劣等感など、多彩な言葉をそれぞれどのように説明しているのか?と思うと不思議です。正解のないことについて、ある種の現象について、本人の価値観を交えずに、生徒たちに考えてもらえるような導きというのができているのか?
ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer)が19世紀に残した『ヤマアラシのジレンマ』は、つい最近、2時間ドラマでも見かけたのですが(午後の時間帯の推理モノ)、偶然1週間以内に教科書で見るとは(笑)。
http://anond.hatelabo.jp/20070502103355 >説明はコレです。確認してみてくださいね。
これを考えたときに、高校1年生の女の子は、「誰でも棘のひとつやふたつ、いや、もっと持っているものだよね」と言えることができてよかったです。彼女は、4月に入学式を終えたあと、ご両親によると「遊びすぎ」傾向にあるのですが、これはお友だちや新しい環境での模索行動なので、私は心配すらしておらず、早いところ見切ってくれて、英検の勉強ができればいいなぁと悠長に構えています。昨日も、この教材があったので、とても説明しやすく、彼女の優先順位のつけ方についてもいろいろ考えるところがあったようです。
今、おじいちゃまがご病気なので、おじいちゃまやその看病をするおばあちゃまの人生についても考え、お父様とおじいちゃまの関係についても考え、高校生の多くの悩みは、「進学・勉強」だという統計を見て納得し、友人関係に悩むのは女子のほうが多い、というのにもやたらと感心していました。
青年期に入った彼女が、モラトリアムをもらえている状態については、「よかった・・・」と胸を撫で下ろしており、今月の23日のお誕生日には、Sweet 16なので、「結婚なんて16歳でするのはちょっと・・・」だとか、繁華街で遊ぶことがいかに危険かということなど、よくわかったようでした(援助交際で、不特定多数の人と乱交をしたり、誘拐やレイプは実際にあるのだということなど)。いやー、いい教材だったし、やたらとタイムリーだったなぁと、教えていた私のほうが感謝だった・・・。これが、中間テストの範囲なので、彼女も真剣に勉強するのだから、きっと頭と心に沁みるのだろうなぁ・・・。英語もぜひそうなってほしいのですが、英語はまだまだバックグラウンドのほうが気になるようで、Jack Bauerの人となりについてやアメリカ全体についてなど、いろいろ質問が出ていました。彼女がステキなのは、質問をそのままにしておかないところです。『聴くは一時の恥。聴かぬは一生の恥』をすでによくわかっているようです。Maslowの欲求もピラミッド式になっており、彼女にはホームレスや実在の人物の不満などを通して理解してもらいました。「そうかー、だからイヤなことがあると、食べに走るのか・・・」などと交えながら(笑)。防衛本能についても楽しく理解していたようです。
学習というのは、タイミングが合っているときにやるのが最も効率がよく、吸収がいいものなのです。私が小中高を通して、ロクに勉強をしてこなかったのは、私がバカだったからではなく、まったくやる気になっていなかったからで、いまさら言い訳をするつもりもありませんが、押し付けがましいやり方に我慢ならなかったということなのでしょう。救いは、よく遊んでよく読書をしたことでしょうか。
西さんにも、「私といっしょに住めば賢くなるから、そろそろいっしょに住む方向性を見出そう」と提案したのです。彼に書いた文面をコピーしちゃおう>手抜きなんですが(笑)。
人間の賢さなどというのは、実際大差がなく、
その限界をもたらすのは、人間関係から来る縛りなんですよ。
西さんは私といる限りにおいては、その縛りはさほどありません。
ゼロではないですが、とても少ないです。
だから賢くなると言ったわけです。
個体化(つまり内面)に向けられる時間が多ければ多いほど、
人は外に出せる賢さを模索できるわけです。
社会化を押し付けられてばかりいるうちは、
賢くなる気もおきないし、実際に表現できる場も
強制的だったり、権威的だったり、義務的だったりと、
まぁ、ややこしいわけです。だから私はOLはしたことがないし、
これまで私が好きなことは読書や映画や勉強だと
恥も外聞もなく言い切ってきたわけです。
西さんの山登りや走ることも同様です。
私はそれを阻害しないですからね。賢くなりますよ♪
なんだかいいタイミングだったので、書き直しもせずにこのまま載せてしまいましたが、時間の縛りが多い西さんは、私のこのブログはほとんど見ませんので気にしていません。言っているんですが、まぁ、縛らないやつなので(爆)。
結果、学びのむずかしさというのは、ヒトがヒトである限り、逃げられないところから来ているわけです。恩恵もあるが、むずかしさも伴っている・・・。うまく中庸を見出すことが大切ですね。
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