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学生生活で得たもの

10/24/2006 にアップした文章です。

 

いやー、学生生活が長すぎて、しかも年を食ってからも学生にさらに戻り、その後、今回の起業が順調になったあともまだまだ学生に復帰と思っている私が、何を力説するのだ?と疑問でしょうが、若い方々にはきっと学校に通うことの意義というのは明確じゃないのかもしれないなぁ、と、ふと思ったのです。

さらに、教えている側の立場にしろ、親御さんが子どもたちに説明するにしろ、「学生生活で何が得られるのか」などを、しっかりくっきり語れる人のほうが少ないのかもしれない、などと思い当たった次第なのです。コレも、市民講座でマーケティングに通った成果のひとつです。

市民講座には、22歳以上の人しか参加していません。大勢はスーツを着ていますので、会社に言われて来ているのかもしれません。女性も会社帰りの方々が多いようですし、商店や零細企業・中小企業の主軸としての経営者群も来ています。そんな中、またも、さとみちゃんと私はかなりな場違いで、最前列に陣取って、眠くなったらガムを噛み、質問し、返事をし、こそこそコメントをし、ノートをしっかり取り、時間いっぱいいっぱいにエンジョイしています。

おもしろい人はけっこう居ます。さとみちゃんの隣の30前半くらいの男性は、やたらと揺れる・・・。教授の話に頷いて揺れているようなのです。貧乏ゆすりじゃないんだよねぇ。隣人に振動が伝わるほどの納得をもたらす感動的な話を、聞いているとは思えないのだけれども、彼にとってはそうなのでしょう。さらに、同じ最前列で、やたらと相槌を打ちながら聞いている人がいます。「うんうん」「なるほど」「はぁはぁ」という具合に。おそらく、18歳から25歳くらいまでの人が主流の大学のクラスでは、このような人はいないと思うのね。いたとしても、最初の数回で終わる現象でしょう。ということは、教授冥利に尽きるのかもしれません。

私が学生生活を一部に持つ生活の何が好きかって、「日々新しいことが最低ひとつでも知識として得られること」です。大人になって、バイトを掛け持ちしてうんざりしたのは、ヒエラルキーに従ったパワーゲームに支配されているシステムの中では、よほどのことがないと「逆転満塁ホームラン」や「逆転ランニングホームラン」や「サークル(同じゲームで1・2・3塁打とホームランをすべて打ち出す)」など、レアものなのです。ドラマはそこには実際のところないので、あんなにもドラマは人々を魅了しているのでしょう。かく言う私は、ドラマが好きではないのですが・・・(爆)。大した波風もなく、アップダウンもドキドキもなく、社会生活というのはむしろ「安定」を目指していることを知りました。

子どもの頃から「安定」の中の「不安定」に楽しみを見出してきた私としては、それはかなり物足りない、かなりつまらない、かなり予測展望の利く、アドレナリンのない暮らしに思えたのです。これには生物学的なバックアップがあるのですが、分泌物(脳内ケミカルでもホルモンでも)はパターンを癖化する傾向があります。ドキドキしやすい人はますますドキドキしていくことになる。性生活を活性化させる人も同様で、特に女性の場合、安定した性生活がある場合にはなければかなりつらい。心と頭の場合、密接に脳内ケミカルの分泌に繋がっていくので、やはり事件が多い刺激的な暮らしのほうがずっと楽しい。

いや、その人にとっての「刺激的」であり、爆破事件や殺人や天災などがある必要はないのです。その人がそれまでの歴史の中で残してきた軌跡になかった体験がある生活のほうが楽しい。コレは確実です。新しい体験では、生命体の身体全体がしゃきっとします。が、しかし、それが続くとサバイバルゲームのようになり、あるいはサバイバルそのものになり、かなり負担がかかり、生命の存続にとっては不利になります。適度な刺激がある生活というのは、学生生活中が多いのよ・・・。

最中にいる人々にはコレは「宝の持ち腐れ」になっているパターンが多いのではないかと思うのです。しかも、自分がソクラテスの「無知の知」をしっかり踏まえれば、未来の果てしない楽しみはそこに見えてくる。それが学生生活中に得られる展望に繋がります。別段、勉強だけではなく、ね・・・。私は京劇だけは見たことがないですが、文楽も歌舞伎もオペラもその他いろいろ、出かけて見に行く素地を、学生時代に身につけました。「新しいものを拒否しない態度」というのは、ゆとりと冒険心と刺激に対する求心力があるときに癖化できます。

40代になり、おばさん化・おじさん化した同年代を見ると、「どうやったらこうなるんだろう」と嫌悪感を持つ人がいる「勝ち組」テキ発想をする人たちがいますが、その「どういう道筋」を想像することもまた楽しく、誰かを勝ち負けで決め付けないゆとりが持てていることは、学生生活で得たもののうちのひとつです。26歳のさとみちゃんを「若いからダメ」と決め付けてしまうことは簡単すぎることです。彼女のコレからを+αして査定することができるゆとりが持てていることで、私は自分が押し付けられてきた査定に関する不満を、偽善者面だけをして理解している振りをするだけではなく、実行に移せているという矜持になります。しかも、コレには若い・年取ってる、などなどはまったく関係ないし(爆)。「自分の信念や常識がすべてに当てはまるわけがない」を知らねば、学生生活で何かを得たことになるとは思いませんね。ただ、システムに組み込まれるための準備ができ、学位を権威として使うための意気込みができただけです。日本の問題点の多くは、ここから生まれているような気もします。

小学校や中学校の卒業文集で、「友情は宝物」などと書き記した子たちがたくさんいました。私は小学校のときからうーんと醒めていたので、「あなたたちの友情は長続きしないと思う」とクチに出さないまでも思っていました。そう思っていた私は、小学校と中学校時代のお友だちとは、連絡すれば昨日のように会えると思っていても(まぁ、全員じゃないけど)、特に今いっしょに遊んでいません。続く友情をずっと持っている人々には敬服します。質にもよりますが、成長して変化がある中、それでも友情が保てている人々はすごいです。ささやかな違いだけで人々は離れていくものです。そもそも、私は友だちと遊ぶことをそれほど楽しいと思っておらず、ひとりで遊ぶことが楽しいと思っているせいがあるんだな、きっと・・・。社交的に見えてしまうのは、多面性のひとつであって、私はひとり遊びがやはり好きなのです。なので、学生生活で得たものの中に、「友情」を入れる浪花節は私にはありません。

が、カラビナ1本で生命を預けられる相手を見つけた人たちは僥倖を掴んだと言えるし、たとえその後離婚しようが、運命共同体をその時期に見つけられた人たちも離婚後、友人でいられる確率は高いのではないかと思います。自分の情熱がピークに達していた頃の証人たる人をキープしておくのは、とてもいいことではないかと思うのです。振り返ることが楽しくなるかもしれないし、苦い気持ちになるがゆえに初心を忘れない気持ちが持てるかもしれない。書き物で残しておく人もいますが、生きた証人を作ることは自分史にとって得られる大切なことです。誰も見たことがない、誰も聞いたことがない、誰もその場にいなかったようなことを飲んでほざく惨めなおっさんなど、たまに見ますが、それはそれは切ない風景です。

さて、まとめです;

「日々新しいことが最低ひとつでも知識として得られること」

「新しいものを拒否しない態度が保てること」

「自分の信念や常識がすべてに当てはまるわけがないことを理解できること」

「自分史の生きた証人を作れること」

私の場合、Intermittent(途切れ途切れ)に学生生活を続けていますので、こんなにすばらしい要素を繰り返しできている、というアドバンテージがあり、どうしてもまた1学期でも早く学生に戻りたいわけです。それにはジェニ(銭)なのよねぇ・・・(苦笑)。さ、がんばろ♪

 

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