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弱者の反撃

1999年に書いた文章です。リハビリ中ですね。

今日も筋肉痛に伸びを入れて(←とてもストレッチとは呼べないくらい、まだ身体を動かしていい範囲に制限がある・爆)、トークショーや映画を見ていました。しかし、Blogのネタがないじょ、と思いつつ、最近はものすごく納得いかない事件が多いなぁとため息ついていました。

アメリカには People‘s Court(人民の裁判)、Divorce Court(離婚調停裁判)、JudgeOO(OOには人の名前)などの、公開裁判番組がたくさんあります。そうして洗脳されきってしまうのもよくありませんが、「自分がもしそういう事態に陥ったら?」という参考にもなるし、判断力の見極めにもかなりいいです。野次馬根性はいけません。登場している人たちは、実在の人物で実在のケースを持ち込み、待ちが長いCivil(民事)裁判に決着をつけたいがために、テレビに顔をさらしてまでも深刻に悩んでいるのです。大笑いするために見るのは失礼です。ま、それも自由なんだけど…。

映画 Rainman(邦題もそのまま)で、Dustin Hoffman(ダスティン・ホフマン)扮するRaymond(レイモンド∴タイトルはレインマンなのだ♪)が毎日欠かさず見ていた番組のなかにもありましたね。思い出していただければいいんだけど、ああいう感じです。思い出せない人はレンタルしてきて見てね。あれもいい映画です。自閉症の兄弟が繋がり合うっていう…(でも個人的にトム・クルーズは嫌いです)。音楽が切ないので注目して見てください。

そういった裁判によくあるのが、商店主が消費者に訴えられるもの。クリーニングやさんは多いです。「プロの仕事でもこれは落ちません。リスクがありますが(洋服がだめになることがあります))やってみますか?」と注意され、レシートまで受け取っているっていうのに、訴える人がいるのもおもしろいところです。けれども、予測してみると「そのやり取りはされていなかった」かもしれないし、「紙に小さく書きすぎていて見えないくらい」だったのかもしれないし、事情はさまざまです。ふたをあけて、そのやりとりを聞いてみるとたいへんおもしろいです。ああ、真実っていうのはこうやって検証するもんなんだよな、っていうことが、少なくとも裁判に巻き込まれる可能性がある庶民に学習の機会を与えています。

Judge Judy(裁判長ジュディ)という人はものすごい感情的になります。声を荒げて叱ります。もちろんこういうところのJudgeは引退した、元現役裁判官なのです。おもしろかったのは、ライブハウスでめがねを壊された女性が、彼女のめがねに直接手をかけた男性(たくさんのお客さんがいました)を訴えたケースでした。状況としては混んでいるライブハウスで彼女がどこに居て、どういうふうにめがねを壊されたのか、というのがポイントで、その見解が女性と男性で違うのですね、明らかに。女性は「もちろん人がたくさん集まる場所という認識があるので、自分は拍手喝采をしている場所におらず、バーの脇に立っていた」と言うのですが、男性は「ライブハウスで人と人がぶつかりあうのは当たり前。それをいちいち訴えていたら俺は今ごろ裁判成り金だ。第一彼女のめがねに直接触ったのは俺かもしれないが、俺を押したのは他のやつだ」と。

うーん、どっちも正当である。どうやってこれを解決するのか?とCMが終わるのを待っていたのですね。彼女は見積もりを二つもっていました。修理用のと新品のもの。不思議なことに修理用のほうが高かった。だから新品を買うほうの金額を彼女に払うこと、としたのです。リスクがあることを知っていて、注意深く行動してもこういうことは起こる、とした上で、さらに男性には、ライブハウスという文化がすばらしく発展していくためには、そこに集う人のマナーが大切ある、他人を押しておいて、他の他人に責任転嫁はできない、と叱っていました。

うーん、気持ちいいですね。こういう怒り方♪

トークショーで最近よく目にするのが、弱者である女性や子どもが、強者である夫やボーイフレンドや父親を殺して、裁判が起きている事件について取り上げるものです。どれだけ虐待が潜伏しているのかわかりませんが、これは他人事だとは思えなくなります。「正当防衛」という名の下にいくら虐待されたからと言っても、人殺しをしていいものか。なぜ虐待が殺人に進む前にどうにかできないのか、をみんなでよく考える機会になります。

もちろん暴力はいけないことです。話して済まないことはないと私も強く信じたいです。けれども、どうしてかドラッグやお酒の力に惑わされていたり、ストレスで身体がきちんと機能していないだろうときに、弱者に手をあげる人は後を絶ちません。「どうしてこんなこともわからないんだ!」という怒りで、事の前後がまったくわからなくなって、話すことより先に手が出てしまう、というパターンが多いですが、何度も何度も続くのは、言い訳にはなりません。ましてややられる側が防衛したときに殺人にまで至ってしまうというのは、頻度も一度の長さも質もかなりの暴力なのでしょう。

いろいろなケースがあります。アメリカの場合は閉鎖的であるRural(郊外)とオープンすぎて人付き合いのないUrban(都会)があり、どちらも他人には無関心です。Ruralのケースでは学校も近所も薄々感づいていますが、他人の家庭について干渉なんかできない、家庭にはそれぞれのやりかたがある、として結果的には、無関心でいて殺人まで起こってしまった、ということになります。都会の場合は密閉されていて、近所で何が起きているのかまったく付き合いがなく把握できていません。無関心以前に、そこには繋がる何もなく、ただの乾燥したHelloしかないわけです。もちろん、例外は何にでもあります。けれども、大筋のふたつのパターンはこうなります。私が自分に当てはめてみると、やはり都会に居ながらも、くっつきすぎないで離れすぎないこのご近所はいいな♪と思います。そういうお付き合いだと、「OOさんのお家、子どもを叩いているのよ」なんていうゴシップはすぐ入ります。誰がどのような根拠でそんな重大なことを言っていたのか、きちんと確かめ、次回子どもを見掛けたときは、ちゃんとアタマから足までチェックしてしまいます。疑うというのは嫌なことですが、生命を左右することに関してのこの程度最低限なことには、やりすぎということはないんじゃないか?と私は個人的に考えています。ただ軽はずみに根拠もなく、他人を責めるのはいけません。けれども確証を取る努力を怠り、子どもが死んだり殺人が起きたら、もうどんな善意も水泡に帰すのです。

「ん?他人のあなたに何ができるの?」と質問はたまにあります。「自分の家族や友達にその時間を当てたら?」と。アメリカというところはたいへん便利にバックアップシステムがすぐ形成されるところで、社会問題になると市の単位なり、法人寄付で必ず団体が発足します。それくらい人々の意識が高いのか、犠牲者が多いのか、それは卵と鶏の問題でしょうか?私は自分が覚醒して、今までにない問題にぶち当たると、必ず調べモノをして、自分にできる範囲のことを考えます。あ、私が天使だとか威張るものではありません。これはいい人になるためにやっているんじゃないわけです。他人によく思われるためではなく、自分がそうなったときのもしものために準備をする目的と、そうならないための学習です。

そして実際にその団体がどのような活動をしているのかまずは回報を見て、HPを見て、そのあとにチャンスがあれば訪問します。寄付を求めていたらできる範囲で寄付をし、勉強会の案内があったら一度は参加してみます。ものすごく魅かれるものがあれば、ボランティアワークについて尋ねます。うーん、今はボランティアワークどころの身体じゃないのですが…(汗)。

こういう草の根運動のようなモノや、マスコミで正しく弱者の立場が検証されることは、間違った方向に行くこともままありますが、悪いことばかりじゃないような気がします。テクノロジーがいくら進もうが、どれだけ世間に情報があふれようが、人々を人々として成り立たせているものの基礎はココロの動きにあり、どんなに世間の力が大きく、問題が地下に埋もれていても、無関心でいるよりはずっといいことではないか?と私個人は思っています。

そのためには日々心のアンテナをピキピキピキと伸ばして、いつでも身軽に動き、新しいことを学習して取り入れる準備がなければなりません。だからまずはリハビリなんだけど、明後日はSPCAにネコの缶詰を寄付しに行ってきます>社会的リハビリ第二弾♪もー、うちのネコたちはPicky(選り好みする)なのだ。

こうして私は弱者の反撃に与しています♪確かに哀しい事件は多いけど、希望だけは自分のために棄てたくないな、と。あ、でも勝負じゃないんだよ>反撃って言葉。

 

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