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情けは人のためならず

01/27/2007 にアップした文章です。

 

この古い言い回しを誤解しつつ理解した気になっている人たちはかなり多いと見受けるのは、ネットに引っ掛ること。本当の意味は、「情けを人にかけておけば、巡り巡って自分によい報いが来るということ」なのだけれども、「情けをかけるのことは、結局は他人のためにならない」と解釈している人々が相当数に達するらしい。あなたはいかが?

真剣にこの意味の履き違えについて語っているサイトがいくつかあります。
http://www.nagaitosiya.com/a/laissez_faire.html
http://www.k-a-joho.net/bunkaya/zakkei20.html
http://www2.odn.ne.jp/seimei/essay100.htm

利他(Altruistic):(1)自分を犠牲にしても他人の利益を図ること。(2)〔仏〕 自己の善行の功徳によって他者を救済すること。

心理学の文献で、この利他主義・利他的行動を調べている社会心理学の学者はけっこういます。そもそもの人間の「他人に尽くす」出発点は、「己のDNAの温存」から発展していくもので、本能に近いところから始まります。本能に組み込まれた生命体の使命は、1.遺伝子を次世代に伝えるために子どもを作ること。2.その子どもが生殖できる年齢まで育てること、なのですが、それは断たれることもあります。ここ100年の医学の発達はめざましいものですが、それまでには女の出産は命がけだったし、子どもが成人する率も呪わしいほどに低い数字だったのです。欲しくても恵まれず、親を全うできる人間も少なくはなかったのです。が、ゆえに、自分に近しい血を残すことを考えるのですが、それがDNAを残すことにDNAについてわかっていない時代もちゃんと実行されていました。そのせいで、従兄弟などと結婚することも多かったようです。これほど人口が多かったわけではない時代では、当たり前の考えだったのかもしれません。等親についてご存知ない方は、こちらの表をどうぞ→ http://www.estim.co.jp/modules/tinyd3/index.php?id=4 

それでも、社会が広がり、社会の基盤を作る中で、似た考えは浸透していき、「仲間を助ける」気持ちはどんどん発展していきました。罰を受けるのもいっしょ、という江戸時代の五人組制度などを見てもわかるように、人が人を律して、その代わりに人が人を助けもして生きてきたはずでした。そのへんのことは、山本周五郎の『無償』シリーズによく描かれています。さらに、『鬼平犯科帳』の粋な計らいもたくさん見られます。昨日は、電車の中で、山本周五郎の『かあちゃん』を読んでポロポロ泣けてしまったので、学校帰りの高校生にジー見をされてしまいました(笑)。

ストーリーは、貧乏きわまりないエリアに住んでいる5人の子持ちの43歳のかあちゃんは、夫に先立たれ、内職をして子どもが5人。イチバン上が20歳になって、下が7歳。7歳の子どもですら、鉄くずを拾って家計を助けており、小さい2間と土間に重なり合うようにして暮らしているのです。2年前までは、近所に困った人があれば、いくらでも惜しみなく手助けをする一家だったのですが、2年前から近所の人も助けず、ケチケチ三昧。どうしてお金を貯めることになったのか、近所の人はまったく知りませんでした。理由は、大工の長男の職場で、源さんという人のおかみさんが生まれた子どもの世話もできないほどの病気になり、お金に困り、職場のお金2両に手をつけてしまい、1年半も牢屋に入れられることになったのです。そこで、貧乏がゆえに、次の職に困るだろうと、一家揃って、源さんが出牢したときに「酒と肴」のお店を出せるよう、6人で力を合わせてお金を貯めることになったのでした。2年弱で、お店を借り、必要な器具を揃え、源さんたちにも近所の長屋に住めるよう手配をし、自分たちには一切見返りを求めず、それだけのお金を貯めたであろうメドがついた夜、盗みに入ろうとした24歳の男に、かあちゃんはこの説明をするのです。「お金ならあるよ、欲しいならあげるよ、でも私の話を聞いとくれ」と。ごはんを半分に削ってまで他人のために貯めたお金ですが、かあちゃんが食べ残したうどんを食べながら、その話を聞いて男泣きした男は出て行こうとします。が、かあちゃんはその男を自分の家に住まわせ、職を探し、家族の一員として、源さんを迎えるまでに至るのでした。最後のオチがいいのよ、また・・・。

いやー、ポロポロ泣けてしまいましたね。私にできることであろうか?と、しみじみ身につまされてしまいました。できる人間でいたつもりだし、自分にゆとりがあるときにはしてきたのですが、ここまですさまじいAltruismには脱帽です。

貧乏暮らしに年季が入っている母も、Altruismに溢れた人間だと思っていたのですが、やはりお弁当を作るのにも文句を垂れたりしますので(笑)、私に対しては利他する気持ちはないらしい・・・(爆)。いや、私は利他などしてもらうと、恐縮しておつきあいができなくなってしまうのでいいのです。していただくよりは、してさしあげたいので、まったくもってしていただかなくていいのですが・・・。恩など売るつもりは毛頭なく、ただ、何かをさせていただくのは、本当にうれしい。私は、この「情けは人のためならず」を実感しています。いつか、ひょんなところで、思いもつかぬときに、「運がいいな」と微笑むことができるようなことがめぐってくる感じです。

昨日も、アメリカ時代の友人から電話があり、「骨休めに2・3日温泉でもいけたらなぁ」と思って電話してくれたらしいのです。が、私はタイミング悪く、その思いがけずいい話があり、仕事が忙しくなってしまっていて、このエッセイもまともな時間にアップできない有様になっており、丁重にお断りしました。

私は自分が犠牲になるようなことはありません。
犠牲:目的のために身命をなげうって尽くすこと。ある物事の達成のために、かけがえのないものを捧げること。また、そのもの

それほど重い助けが必要な人には、まだ日本に戻って5ヶ月、出遭えてはいません。毎日の中で、久しぶりに電車通勤じみたことを、横田基地までしているときに、席を譲ったり、荷物を持ってさしあげたり(旅行用のスーツケースを持っている方、昔に比べて多くなりましたなぁ・・・)、道を聞かれたり(つい最近は、英語でCoco’sはどこか?と聞かれました。が、それはファミリーレストランらしいのですが、近所でもなければ、そんなチェーン店も知らなかったというお粗末さ・・・)、できることはいろいろあります。

もー、こんなですので、除菌器のサンプルを回収する業務も滞っております。けっこうな数を出しているのでそれほどのショッキングなことでもないのですが、1つ返してくださらない担当者様の会社もあります。しっかりしたホームページを持っており、業界では「あー、あそこ」と言われるほどのところなので、ちょっとがっかり。とはいえ、製品に自信があり、サンプルの貸し出しはどんどんやりたいのでいいのです。しかも、私は親切にしていただくと、弊社製品をプレゼントしてしまう大バカモノです(爆)。こんなんじゃ、儲かるわけもないよねぇ(笑)。

情けは人のためならず、なので、ま、いっか・・・。

 

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