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愚民政策とは

07/02/2006 にアップした文章です

 

歴史的に見て明らかなように、「強い者は弱い者をうまく統制する」ことに知力と財力と時間をかけてきました。なぜなのか?そうすれば、自分たちが安泰で、富を増やすことができ、自分たちの子孫を反映させ、さらに生き延びるチャンスを増やすからです。

サバイバルはすべての生命体の使命ですから、これに関しては何の異議もありません。誰でもすればいいわけです。が、他人のサバイバルチャンスを減らすことについての意識、モラル、やり方等には、誰でも一歩立ち止まって考えることができるわけです。ヒトは特に、そのキャパがある大脳を持つようになりました。使わないのは損ですし、弱肉強食のみを前面に強調した生き方、犠牲者を出したままの放りっ放しの無責任さは、ヒトを含む社会生活を営む種の中では通用していません。失脚や交代、サバイバルそのものの危機などへと簡単に繋がっていきます。サルやライオンなどの群れの観察日記などにもよく顕れています。

愚民政策: 為政者が民衆を無知・無教養の状態におしとどめ、その批判力を奪い、支配体制の維持を図ろうとする政策。

無知: (1)何も知らないこと。知識がないこと。また、そのさま。 (2)学問のないこと。無学。(3)知恵がないこと。おろかなこと。また、そのさま。

知識:(1)ある物事について知っていることがら。 (2)ある事について理解すること。認識すること。 (3)知恵と見識。(4)知っている人。知人。友人。 (5)〔哲〕〔英 knowledge; (ドイツ) Wissen〕認識によって得られた内容。厳密には、独断・空想などと区別される真なる認識によって得られた客観的に妥当な命題ないしは命題の体系をいう。あやふやな信念と区別され、一般に「正当化された真なる信念」として定義される。

教養: (1)おしえそだてること。 (2)社会人として必要な広い文化的な知識。また、それによって養われた品位。 (3)〔英 culture; (ドイツ) Bildung〕単なる知識ではなく、人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させるために学び養われる学問や芸術など。

たいへんなことです。私が有知・教養のある人間を目指してきたのは、つい最近のことではありません。読書が適うようになった頃からずっと、言葉にきっちりできなかったものの、ずっと追いかけて来続けたのだと思います。そして、それは悲しいことに完成品やプロトタイプや理想などはなく、人類の英知の集積を受け継いできた私たちとしては、この先に繋げて行くようにせねばなりません。

注目すべきは、「教養」の(2)にある「品位」で、大してその人のバックグラウンドがわかっていない相手にも不思議と伝わるような、「尊敬・尊重したくなるようなおごそかさ」です。私はまだまだのようで、最近また書いてしまった掲示板で叩かれています。自分が思っておらずとも、どこかでにじみ出ている部分があるのかも?と反省しているところです。ひとつを立たせれば、もうひとつが立たず、ということもあり、難しい部分ではあるのですが(論理・証拠に基づいた話を展開しようとすると、賢さを強調しているかのように見え、それが自己アピールのように受け取れることも多々あり)。

何度か書きましたが、私はJefferson他が草案した、独立宣言の文章がたいへん好きです。愛していますね。「全ての人間は平等に造られている」と唱い、不可侵・不可譲の自然権として「生命、自由、幸福の追求」の権利を掲げた前文は、アメリカ独立革命の理論的根拠を要約し、後の思想にも大きな影響を与えたばかりでなく、福沢諭吉(1万円札)の「学問のすすめ」の冒頭にも引用されていますし、1946年に公布された日本国憲法の第十三条にも思想が盛り込まれています。

それを基礎としたものの発展した形で、万民の中のひとりとして、権利だけではなく、使命(義務とはここではあえて言いません)として邁進する覚悟が必要なものが、さらに有知・教養のある人間になっていこう、と目指すことなのだと、私は解釈しています。

が、タイミングやパワー(学歴や金銭、職業なども含む)を利用し、為政者が人々の判断力を奪い、支配体制の維持を図ろうとする場面には、今でも、残念ながら多々遭遇します。

『見ない・読まない・聞かない選択』にも書いたように、娯楽や必須時事を知るニュースや新聞などでさえ、そのパワーを使い、人々の判断力を奪い、マインドコントロールをしようとしていることに、ゆるやかな日々の流れでは気づけない人も多いのではないでしょうか。ご飯を食べたり、仕事をしたり、子どもの送り迎えをしたり、習い事をしたり、勉強をしたり、と日々しなければならない消化事項を優先して、しっかり頭で物事を考えることを、二次的に済ませていることは多いはずです。

私の場合は、日本を長く離れていたこともあり、社会全体について考えることが仕事であるし、こうして毎日長文めのBlogを毎日書いていることで救われています。先ほど、「福沢諭吉は1万円札だよね?」と今まで Hamilton, Washington, Lincohnに慣れている私は、つい確認したのですが、実際にお財布を出してけなげに確認したさとみちゃんは、「1000円札は夏目漱石」と思い込んでおり、野口英世になっていることを2年近く気づいていなかったわけです。それをネットでしっかりと検索するさとみちゃんはステキです←うが、私が用事を増やしただけ、とも言えるんだけどさ・・・(汗)。さらに、その時期にはまだカナダに居たさとみちゃんは、日本に戻り、仕事や新居、合宿免許などたいへんだったので、いつ徐々に野口英世になったのかわからず・・・。彼女は、「どうやって新札に変更するのか」もネットで調べているようです。

(パチンコやさんや駅やらその他にものすごい数の自動販売機があるし、けっこう、この回収って謎だよね・・・;きっと校長センセあたりが教えてくれるかな・笑)

なぜ愚民であってはいけないのか?なぜ有知・教養のある人間になっていこう、と目指す使命があるのか?私が明瞭に答えられるのは、ひとつには、生命は長い長い時間をかけてここまで進化してきたからです。私たちが止めるほうに加担してはいけないです。生命は尊いものです。可能性をたくさん秘めたものです。その可能性を摘むようなことはしてはいけない。ふたつめには、どうしても地球上の人々全体で、「全ての人間は平等に造られている」を証明していきたいと思えるようになったほうがいいからです。ある一握りの為政者たちを中心に、地球も日本国も政界も財界も、自治体も、各種業界も、職場も学校も動いていないのです。先生でも社長でも大統領でも、間違ったことを無理強いしてやり通せば、必ず罰も平等に与えられるようにしていくことを目指したほうがいいです。でなければ、もともと生まれ落ちた場所が、貧乏で暑いか寒いかの厳しい条件で、地理的にも発展する産業がない場所などだったならば、ますます独立宣言の主旨を信じられなくなってしまいます。

最後の理由として、有知になり教養を身につけるのは、単純に楽しいことだからです。Simply fun! 私にとってはマジックショーを見ているように楽しい。コレは、背中をきれいにお風呂で洗えたくらいのささやかな達成感から、縄跳びで二重とびが100回続けてできるようになるくらいの長いすごい努力を必要とする達成感、カラオケで歌いたかった曲をつっかかりなしで歌えたのと似たような達成感など、またまたバラエティがあってよいのよ・・・。運が左右するものは、それほどヨロコビを大きくカウントできませんが、自分がやることで無から有へ、はとても楽しいです。

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