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戦士の休息

 [1999年08月21日(土)]に書いた文章です。

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我が家のネコたちの縄張りは広い。特にうどちゃんの縄張りはどこまで広いのかわかったもんじゃないです。朝・晩のテリトリーチェックはもう日課で、それは何度家を引越そうと変わらぬ習慣です。

うどちゃんが生まれたのは8年前の8月23日で、私たちはまだまだ貧乏学生暮らしでペット禁止の一軒家に住んでいました。元々ネコといっしょに住むなんて身分ではなかったのでしたが、ある日隣りのネコが虐待されているのを聞き漏らし、彼女が放浪している姿を見つけてはネコ缶をあげていたんですね。ったく、隣りの家族は訴えられるべきでした。

そんなふうになかよしにしていたある日、西さんがベースメントに勝手にもぐりこんだマミネコを追いかけたら、ネコが子ネコがいるではないですか!それもふたりも☆すぐにリビングに上げました。するとマミーは子ネコの首根っこをくわえて、またひとりどこかからリビングに連れてきたのです。そしてまたひとり。合計で4人の子ネコがいました。それが8月23日のことです。

虐待され続けてきたマミーは子ネコを育てるのがとっても下手でした。おっぱいを上げることも嫌いでしたし、尿道の近くをなめて刺激しておしっこをさせてあげることもできなくて、西さんと私は無理矢理マミーを寝かせて時間を見計らって授乳時間を設けて、指でこちょこちょ刺激してティッシュでおしっこを出してあげました。

驚いたことに、その子ネコたちが世話なしで歩いて遊べるようになったら隣人に直接交渉しようとしていたら、彼らは引越してしまったのです・・・。困った困った・・・。

大家さんの巡回が月に一度あったので、これは法律違反でもあるしまずい、と思った私たちは、西さんが大学院を終えたらネコOKの家に引越す予定にしました。大家さんはドウブツに理解のない人たちで、水槽に入っている金魚までも禁止していたのです。「タンクが割れたらカーペットの補償はどうする?」などと言い・・・。

すぐさま「ネコをもらってくれる人大作戦」を展開しました。うどちゃんは4人のなかでいちばん大きくてとぼけてた顔をしていたネコです。縁があったんでしょうねぇ、4人のなかで最後まで残りました。サニーは1週間で裏に住んでいたネコ娘(彼女は不登校少女で「ネコと遊ばせて」と毎日5回くらい家に来てた・爆。本名は Tiffany だったんですが、私たちはネコ娘と呼んでいました)の従兄弟にもらわれて行きました。

ちびちゃんはある日帰ってこなくなりました。ネコ嫌いな反対側の隣人が籠に生肉をつけた罠にはまったのを見たとネコ娘が報告してくれました。ネコ娘とそのママがSPCA(日本で言う保健所のようなところ)を2・3当ってくれましたがいませんでした。あきらめました。きっと山に棄てられてしまったんだろう、とネコ娘ママは言っていました。

初めてのクリスマスの朝、うどちゃんが鳴くので「大家さんに見つかったらたいへんだ☆」と急いでキッチンから出てみると、ドアマットの前にちょこんと座った4ヵ月のうどちゃんはねずみをドアマットに乗せて、なんとも誇らしげではありませんか!「ありがとね、クリスマスプレゼントなのね」と言ったモノの、西さんにも褒めてもらってから外のごみ缶に棄ててもらったのですが、またもやそこから出してきたのか、新しいねずみだったのか、そのいたちごっこはその日3回起りました。

日本の住宅地にはいない Raccoon(あらいぐま)との戦いはそのときから始まります。初めてのハト狩りもその家でした。あんなにぼーっとしているうどちゃんが、こんな戦士だったとは・・・!オドロキの止まらないママでした。西さんはひたすらヨロコんでいました。

うどちゃんだけが残り、西さんが大学院を終えた頃、私の父が日本で具合が悪くなりました。西さんは会社の人たちが密集していないアパートに移り、私はうどちゃんを連れて日本に帰ることにしました。西さんとは離ればなれになることができたんですが、うどちゃんとは離れられないと思ったのですね、私←問題発言なのか?

そんななか、パッキングが済みあとは飛行機に乗るだけとなった折り、ある晩3件先の隣人がトントンとドアを叩いたのですね。「オレンジとホワイトのキャットは君の家のネコか?」と。「そうだ」と答えると、泣きそうな顔になりながらその男性は「君の家のネコが僕が妻の誕生日にあげたうさぎを食べちゃったんだ」と言うではないですか。そこで完全なる叱責を認めるのはまずいと思った私は、「もちろん新しいうさぎちゃんでは奥様の心は癒されないのはわかりますが、ネコの本能なんで許してください。もしも新しいうさぎかそれに代る何かをプレゼントするようならお金はうちが出します」ときっぱりした態度を取ったのですが、私は背中で泣いてましたよ・・・。西さんはハンティング肯定派なので「やったな、うどちゃん」とアタマを撫でている模様・・・。うどちゃん、うさぎを食べるのはまずいって・・・。

そうしてその隣人から連絡もないまま、JALに乗ってうどちゃんと私は日本に帰りました。Americanだとキャビンのなかには入れてくれない、カーゴだと言われたからです。日本のネコとも縄張り争いしてたんですね、うどちゃん。新参者でしかもまわりは飼いネコではなく野良ちゃんばっかだっつーのに、強いつよい。狩りが好きだとは思ってたけど、我が子がこんなに強いとは夢にも思いませんでした、私。そうやって英語と日本語ちゃんぽんで育てたうどちゃんは、私の両親ともなかよく日本語で交流することができるようになり、日本の夏にも耐えてくれたのです。

うどちゃんの新たなるチャレンジは、私が茨城学園都市の「肉のハナマサ」で拾ってきた痩せたタビーの出現でしたが、うどちゃんはいい子でした。兄弟がいたことも助けたのでしょうが2日目からすぐに仲良くなりました。そのかん太くんとうどちゃんはアメリカに戻ることになります。母は「ったくあんたは。どうして次々ドウブツ拾ってくる癖は直せないんだろうね」とこぼしていましたが、父となかよくしているネコを見てたいへんうれしかったようです。

父は闘病しすぐ死んで、そのときとその後にうどちゃんとかん太くんが居たことで救われたことは語り尽くせません。そして事後処理が済んだことを見届けた私は日本を再びあとにします、うどちゃんとかん太と共に。かん太には初めてのアメリカで、うどちゃんがした逆留学をできるのか心配でしたが、アメリカのほうがネコにとってはいい環境だもんね。

JALもキャビンにはかご1つという規則があり、その大きさが定められていて、今度は泣く泣くカーゴでしたよ・・・。ネコがいるからって離れたくないからってチェックインをぎりぎりにして、グランドホステスに搭乗案内をさせて成田で走らせてごめんなさい。犯人はわたくしです。

戻ってきてうまくアジャストしたうどちゃんはまたまたハンティングに命を賭けます。やだよぉ、カウチでひるねしてるときに「ボリボリボリ」と音がしてるのって・・・。「それは鳥さんの骨が砕ける音だったのね?」という感じ。羽根と砂肝とくちばしだけきれいに残してあとは全部食べてしまううどちゃん・・・。すごいね、あなたってば。

そんな平和な日々がしばらく続いたあとかん太くんが車に跳ねられて死んでしまいます。どこも損なわれていないかん太の身体をグルーミングするうどちゃんを見て、私はしばらくかん太から引き離せなかったです。

そしてタンゴとハイジが来ても、うどちゃんのテリトリー巡回もハンティングも変りません。実は8歳のお誕生日を目前にして、うどちゃんは宿敵クロネコちゃんとケンカをして、アタマのちょっぺんと右手付け根に怪我をして膿んでしまっているのです。いつもはあんなに元気なうどちゃんもじっとしています。クロネコちゃんがうろうろしていないところを見ると敵もかなりの痛手を負っている模様。裏庭にじっとうずくまってそれでもテリトリーを守ろうとする戦士は休息中です。抗生物質を飲ませて様子を見ることになりましたが、アタマの手術は避けたい・・・。

うどちゃんは怪我の手術をしすぎているので、もしもあの長毛を全部刈ったら傷だらけです。去勢をしてもハンティングの本能は損なわれませんでしたし、家を引越しても同じことの繰り返しです。誰が彼を止められるっていうのか・・・。そういう彼を不憫に想う獣医さんは家ネコにしたら?と時々言いますが、この戦士はこのために生まれてきているのだからそんな権利は人間にあるわけないな、と思います。

休息しているこの戦士はそれでも目を細めてじっと自分のテリトリーに舞い下りる鳥を追います。どうにかお誕生日にはいいハンティングでお祝いしてもらいたいもんです☆

うどちゃんは日本にいっしょに戻ってきたのですが、17歳4ヶ月で死にました。最後の10日間はたいへんに本人がつらかったのですが、看取ることができました。日本に戻ってきて2年も経たない頃で、なんのためにUS―日本を1往復半もしたのか?とたくさん謝りました。が、日本のネコちゃんたちの平均寿命よりは長いんですね。今でも私のSkypeの写真はうどちゃんです。コレです。

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犬を飼いたい!とも思うのですが、今のところは朝晩2回の散歩がままならぬことと、家が狭すぎてかわいそうなのでダメですね・・・。USに戻ったら来てもらいます!あ、いつか帰りたいです(笑)。

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