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放浪へのあこがれ

定住してしまうとどうもフットワークが鈍くなってしまって、もしかするともうここから動けなくなるのかな?などと思えてしまいます。安定した環境で、安定したメンバーを保ちつつ、少しずつ世間を拡張していくのもひとつの手ですが、Hobo(ホーボー:渡り労働者、放浪者)な部分が自分で感じられる私がときどき「これでいいのか?」と騒ぎます。

東京に居たときには早く親元から抜け出したかったですが、大学も仕送りが期待できず、学業優秀でなかったため奨学金も得られず、結局東京に居ることになりました。ならば家から通えということで、それがもっとも合理的ではあったものの、早く脱け出したい、自分とそのちょっとした身の回りのモノだけで「まっさらな新しい生活がしたい」と願ったものです。住居を替えるというのはかなり大きな転換になることが多いですね。

このHoboの血があったため、地方でのお仕事というのは進んで手を挙げて出かけました。バイトであったので、数日期間がいいところでしたが、世間の狭かった私にとっての新しいモノ・珍しいモノ・おもしろいモノを見るのはとっても楽しかったです。それが病みつきになると、少しだけ小金を旅のために貯めることにして自分が選んだところに出かけていきます。その「非日常性」にストレスが溜まらない率が高いので、放浪者の血が入っているのかな?と誰も知らない新しい風景のなかで笑っていたものです。

悪く言うと「飽きっぽい」と指摘されることもありますが、私は家の間取りや地理や環境には、身体は簡単に馴染めます。人を介していないものであれば自分だけの問題なので、そんなに順応するのに時間はかかりません。むしろ慣れすぎたための怠慢や粗雑さのほうが心配で、包丁を握ってじろじろ眺めていたりします。そうやって単調な刺激に新たな刺激を加えていかないと、何だかだらけてしまうような気持になるくらいの脅しめいた観念さえ生まれることもあります。

父の実家に預けられたときでも、家や納屋や川やりんご畑などの地理にはすぐ慣れてしまい、あとは人々。やぎでもやぎと私だけならすぐになかよしになれますが、そこにその家の人の監視が入っていると伸び伸びできないものを感じました。でもそれは仕方ないです。かわいいやぎです。子どもは時として突拍子もないことをするので、やぎにひけでも書きはしないかと心配だったんでしょう♪

望みがかなって渡米するときも、スーツケースひとつとボストンバッグと母にあとから送ってもらった日記と本と辞書だけで来ました。ダンボールにするとみかん箱で3つにも満たないくらいの量でした。それでもなぜか「うーん、これは多い」なんて思っていたのはどうしてでしょう?きっと小さい頃から見ていた時代劇や西部劇の放浪者が身軽だったせいなんだと思います。季節工という人々が居て、季節ごとくらいの短い期間くらいに、忙しい時期と暇な時期のある仕事に就いている彼らの荷物も、ものすごく身軽で、ボストンバッグひとつだけだったことが脳裡に焼き付いていたせいもあります。

「外国なんだからこれくらいは必要よ。サイズだってあるかどうか」という心配していた母の言い付けを受け入れて詰めた荷物でしたが、やっぱり私は気に入った服を親の敵のように着て、きれいなそぐわない服は一度も袖を通しませんでした。「持ってこなくてもよかったじゃん」というモノたくさんありました。あって邪魔ではなかったけれども、なくてもちゃんと生活できたようなもの。

今でもそういう傾向はあります。小旅行に行くときに、あれもこれも必要だと思ってそれなりに詰めて行っても、結局まったく使わないモノに笑っていて、運ぶだけエクササイズ♪なんてことが多いです。キャンプならば車に積むからいいのですが、飛行機旅行だと友人の家やホテルの部屋で自嘲するわけです。だってちゃんとホテルで下着洗って、バスルームに干してるし(爆)。地味ですな…。数度だけ、本当に小さいまとめバッグができたときにはすごく感動しました。「うわぁ!これで放浪者になれる♪」と。

テクノロジーが発達してサイズダウンが始まってしばらく経ちましたが、人々の荷物って本当に減っているんでしょうか?うーん、でも今はちょっとした時間で現地で買えるという利点もあるしなぁ。減っているのかもしれません。使い捨てチックなものならば買うのもいいですが、持って帰ると思うと私はなかなか買えないことが多くなります。で、

さらに「非日常」だと同じ服を着ていても気にならないのは不思議ですねぇ。まぁ、私は同じ服を家という自分の日常環境でも着ているのですが…。「清潔なら何でもいいんだよぉ」と開き直りつつ、煩悩と闘ったりしています。持ち始めるとキリがないぞ、と自分に言い聞かせるわけですね。そのときにどうしても放浪癖について考えます。なぜかいつでも「必ずまた移動する」という覚悟みたいなものがあるのかもしれません。事実、明日事故でも起こらない限りはここに死ぬまで住むということは有り得ないだろうしなぁ。

けれども、ネコが我が家に来たときから、西さんと私の放浪癖はかなりなあこがれへと変わりました。ネコは平均で14年ほど生きるらしいです。個体差があるけれども、それは簡単に家に来てもらえるような期間ではありません。「犬は人につき、ネコは家につく」とよく言われるように、ネコはやっぱりキャンプにはいっしょに行けないみたいです…。彼らは安定した環境が好きです。もしもの場合を考えて鎖で繋ぐなんてことは金輪際させてくれないだろうし、もしも無理矢理やったら心労で死んでしまうかもしれません。けれどもうどちゃんは引っ越し歴が3回、全部で家を4軒経験しているのですが(うち1回は日本)、彼はものすごく順応が早いです。鎖に繋ぐのはだめだけれども、すぐに外に出て簡単にテリトリーを決めて、どんどん拡張していけます。最高記録は引っ越して30分で家のなかを全部チェックして、匂いを憶えて、すぐ外への探検に2時間かけて帰ってきた、という今回の家です。ちなみにタンゴとハイジはうどちゃんと同じことをするのにやはり何倍もの時間がかかりました。彼らにとってはこの家は2軒めです。これも学習と個体差でしょうねぇ。

安定した彼らがもたらしてくれるものはとてつもなく大きいですが、不安定な環境や物事や出来事がもたらすモノも捨て難く、抵抗するかのようにふらふら旅したり出かけてみたりします。短い時間の定住地さえあれば、ネコを連れてでも、彼らの寿命を縮めない方法で放浪できないか?と検討もします。彼らと私が離れ離れになっていられる最高記録は3週間ですが、日本に着いてすぐに電話で確認したり、夜思い出して泣いてみたり、やっぱりネコ離れのほうが放浪を実行に移すよりも難しいようです。西さんがネコについていてくれてもこんなもんだから、ふたりしてどこかに少しでも長いあいだ行くのは無理でしょう。

私の両親は弟が幼稚園前、母の母、祖母がいよいよ危なくなったときに、2ヶ月近く弟を父の実家に預けていました。私は弟といっしょに小学校1年のときからほぼ毎年夏に1ヶ月預けられていました。それを想うと彼らの子離れは早かったのか?それとも便利だったのか?なんだかよくわかりません。複雑な気持だったので、簡単ではないけれども便利だったので我慢しつつ夜に泣いて、それらをたまに忘れて自分たちをエンジョイしていたのでしょうか?

けれどもうちのネコたちはたいへん自立しているので、1週間弱くらいならば、家に獣医アシスタントのプロがごはんをあげに来てくれて、少し遊んでくれれば、それでまったく体調にも振る舞いにもストレスがかかっていません。帰ってきて「おかえりにゃさーい!」のあとに、健全な範囲での「むくれ」があったり、ヨロコビを身体いっぱいに顕わして甘えてくれておしまいです。けれども1週間以上はとても私のほうができません。根負けして獣医アシスタントに出先からチェック電話を入れるのは私です。

こんな事情で、私の放浪の血はネコたちに阻まれています。いつかこの放浪の血の騒ぎは鎮まるのか、それともあこがれがもっと大きくふくらんで本当にいつかネコ離れができて、西さんに預けてぶらぶらできるようになるのか、それはわかりません。延期しまくっているインド・トルコ・アルゼンチンへの留学と旅行、できるようになるでしょうか?うーん、どうだろう???

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