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教えることの基本 学ぶことの基本 その1

08/02/2006にアップした文章です。

 

昨日の深夜、何をとち狂ったのか、F-1を見る手を止めて日本テレビのドキュメンタリーを見てしまいました。この手の教育に関するお題に弱いのです。今でも帰国のたびに飲む仲間の中に、AOLのチャット友だちの人々がおり、たいへん気が合う皆様です。『教育を考えるスクエア』という土曜日の夜11時からひどいときには朝方までチャットをしていたわけです。私はタイプが速いせいもあり、さらにこの性格なせいもあり、紅一点扱いもロクにしてもらえず(いや、昔からそうだからそれが心地よいんだけどね♪若い頃から会費制の飲み会でも男子料金だったのよね・・・)、気づくと7年以上続いています。

私はモータースポーツもかなり好きなので(大昔の彼氏は全日本選手権のプロのバイクのレーサーだった)、迷いに迷った挙句消去法で・・・。F-1ならばネットでも見られるし、次のGPで決定的瞬間のVTRも見られるよな・・・。でもこの深夜のドキュメンタリーはこれっきりちっくだよな、と(笑)。

そして番組を見たのですが、教員になる人々って「基本的に善い人」がやはり多いのね、ということ。私は「基本的にけっこう真面目」ではあるのですが、決して善人ではないのです。行いは、社会のスタンダードから外れることが多く正しくはないですし、正直ではありますが、性質は決してよくありません。勝気だしああ言えばこう言うし、ダメだよ。私みたいな子どもや妻や母やその他が自分に居たらかなり不幸だと思いますもん。

善人:(1)善良な人。おこないの正しい人。(2)気のいい人。好人物。

善良:正直で性質のよいこと。実直で素直なこと。また、そのさま。

教員になりたい人々は、やはり仕事の質からしても情熱や希望を大きく胸に抱いた人が多いのかもな、という予測に反し、「公務員だからさ」と安定にしがみつく人もかなり増えてきたと聞きます。本当なんだろうか?いろいろ読んでみました。登録まで必要だったんだけれども、『みんなの仕事日記』というサイトで、「学校教師の仕事」という書きこみをざらっと目を通してみました。読むのは苦痛じゃないのよ・・・、内容によるというか・・・。http://shigoto.nikki.ne.jp/bbs/200410011223340910/

やはり、仕事内容への情熱・自己を表現するアウトプットのためのインプット探しのため、などなどと、食っていく糧としての安定性などなどのふたつのバランスを取るのに、書き込みをしている人たちも揺れているようです。このサイトはまだ教員になっていない人々がいろいろな相談や意見を書き込むところで、教員経験者がアドバイスや意見を書いたりしています。比較的、率直な意見が書かれている場所だと思うのです。

実は私も日本で大学に入学し、夢がしぼむ前は教職課程を取る予定にしていました。陳腐ですが国語の先生になろうと思っていました。それが数年後には、書く日本語がぐちゃぐちゃになるとは・・・(汗)。教師になるつもりはなかったのかもしれません。ただ、夢が破れたときに食うのに困らないように、という父の言葉に重みを感じ、ただ「そうしたほうがいいかも」と思っていた程度で、結果的には大学そのものを辞めましたから(結果的にはクビ)、私のせいで悪影響を受けた子どもたちはいなかったことになります。が、どうなんだろう・・・。私は教師には向いていたのではないかと思うのです。今でも英会話講師のバイトをしたくてうずうずしているくらいなのですが、かなり放置型なので文部省本来のスタイルとは異なるものの、生徒になった人たちにはとてもラクなのではないかと思えるわけです←無責任だって?(笑)

「教える」「学ぶ」の根本的な本質については、学生をとても長くやってきたせいなのか、持論に自信があります。昨日もTVのZappingをしているときに、Robert Kiyosakiの『金持ち父さん、貧乏父さん』という本がベストセラーになっているということを、いまさらなのでしょうが知りました(爆)。彼が住むアメリカでもinformatial (インフォメーションコマーシャル)で販売やセミナー案内をしていますが、私も30分じっくり見たことがあります。とは言え、プレゼンテーションが上手な「彼自身が金持ちになる創意工夫されたScheme(計画・たくらみ)」だという結論が、私の中では出ました。

あの手の「金持ちになろう」「経済的自由を手に入れよう」というのは、誰かに教えられているようでは・・・とも思うのです。そんなに誰でもがお金持ちになれるのであれば、そんなに簡単なことはないです。そんな秘密をなぜ教えるのか?この動機を問うてしまいます。それは、0から10スケールの尺があったとしたら(0が社会貢献で10が自分本位だと考える)おそらく、この自分のノウハウを他人に伝えるというのは3から7のどこかに入ることなのでしょう。ただ、ものすごい値段なわけです。12枚のCDと3冊のドリルで31000円。なので、7よりに思えてしまう私のような人間がいても不思議ではないです。他に彼の寄付についての活動を見てみたりして、買いたい場合には決定しますが、そもそも7だったので調べてはいません。気力さえ萎えさせられたというのが正直なところです。これが9800円だったら、などという妥協ラインはやはりあるのです。「教える」という行為に対しての「代価」がコレほどまでに高いのはなぜなのか?は、やはり疑惑の種です。コスト的にCDとドリル3冊の元値はわずか300円にも満たないことでしょう。それにコピーと印刷を施して中国から持ってきたとして、どんなに譲っても3000円にもならないはず。彼の知恵とプロモーション・広告費用が28000円の価値があるのか?とやはり「お金に対する彼の執着」が見えてしまうようなのです。そんなやつの言うことを、「お金に対してなのだからそれが正しい姿だ」と受け止める人々がたくさんいるのかもしれません。が、私はやはり違うと思うのです>弊社のHPの企業理念をお読みいただければ・・・。

「教わること・学ぶこと」は実際のところ、どっこにでも転がっているわけなのです。が、生活に追われていたり、他の問題を抱えていてゆとりがなかったり、自分の先入観や自分の愛する人や日々触れ合う人々の意見に左右されていたり、学習の仕方がそもそもわからなかったり、学習意欲がないがために、転がっている物事を見ることができない人々がほとんどなのです。真実や事実を見るために、問題を取り除いてくれる自助のためのアドバイスをしてくれる人々には、感謝はしたほうがいいです。が、崇めたてたり、大金を払ったりする必要はありません。自助というのがポイントなのよ・・・。それこそ、自分で学習しなければならない通信教育やこのような教材は、コピーコピーコピーなわけで・・・。安価でなければ、発売元の意図は「儲ける」一色に思えてくることでしょう。

これを子どもたちの立場に立って考えてみてほしいと思うのです。「お金をもらっているから教えているんだ」と考える思春期の子どもたちはやはり確実にいます。「公務員は安定しているから」「退職金が多いから」「休みが長いから」などという実利面を前面に出してしまえば、子どもたちから懐疑心が出るのは否めません。大人の私でさえそうなのですから、純真な子どもたちはさらに感じることが多い、と考えるのが論理です。が、その事実を隠していていいわけもなく、教える立場の人間は、自分の実利と教えるという仕事の内容への情熱のバランスが合致していなくてもかまわないのだ、という意気込みが大切でしょう。

私の英語の最初の先生だったMary Sharpは、毎日拘束時間が10時間で、家で授業の準備に3時間。それでも毎月1300ドルのお給料でした。彼女は教えることが本当に好きだったのだと思います。人として信頼することができました。そのせいもあり、私は英語を楽しく学ぶことができました。深く感謝しています。

飛行機学校でも短大でも四年制大学でも、本当に先生たちにはお世話になり、実利の何倍も価値があると本人たちが感じ考えている「教えるヨロコビ」をいつも感じてきました。私はそのせいで、大人になってからも学校にフルタイムで行き続けることを選んできたのだと思います。さらに、まだ学校に行き続けたいのもそのおかげなのだと思うのです。

 

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