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最後にはやっぱり自慢なのね・・・

11/20/2006 にアップした文章です。

 

TVを見ていても、町を歩いていても、人と話をしていても、ここのところ日本に戻ってから感じるのは、「結局最後にはやはり自慢なのね・・・」と私が感じてしまうからなのでした。それがここのところ、帰国以来のストレスの強さに拍車をかけているようだ。アメリカに居る頃のアメリカ人の自慢は、たいへんにオープンで最初から飛ばしてくれたので、聴く側の私としても「引きよう」があったのです。まずは、自慢やさんとは最初から挨拶だけで済ます。あるいは、最初から自慢になる話に次回からは持っていかないぞ、という準備(爆)。ナニジンであれお酒が入ると、自慢をする人は多い。私がカリフォルニアで行きつけていたお店のお客さんの中には、たいへん上質のお話上手なアメリカ人がいて、とにかく「褒め上手」に遭えたことをうれしく思っていました。私は褒められるのをほぼうれしいと思わない性質なのですが、ありきたりではない、本当に私の奥から引き出してもらいたいものを褒めてくれる人がいたんですよ、数人・・・。オタカラだったなぁ、と思う・・・。

自慢:自分のことや自分に関係のあることを他人に誇ること。

私がアメリカに居る頃、『自己チュー』という流行語があったのだそうです。なんだかイラストでは虫になっており、ちょうど当時 Piajet(ピアジェ)を習っていた私は「すごいな」と思ったことしきりだったのです。彼は発達段階での「自己中心性」について研究をし、発達段階についての大家です。フロイトと違ってそれほどのダメだしはされていませんが、多少あり、目下、発達心理学も証拠として脳神経学が大いに使われており、論破される論理がボツボツ出てきています。子どもの発育段階での自己と他との認識能力と思いやりなどの情緒の発達と、大人のソレとは明らかに違います。10代でも同じだなぁ。ピアジェは自我発生からそののちの発育段階について述べているんだもんなぁ…。そして、みんながジコチューというボキャブラリーを使えるってすごい。私はなかなか使えず、まだ「聴いて意味がわかる」段階で、自分の口からちゃんと出てきません。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A7 

自慢を聴くたびに思うのが、「ああ、人ってどうしても自分が他人に認めて愛されないと生きてはいけないのだなぁ」ということ。母などにはこのせいでうんとけなされてきたのですが、私は本当に他人にどう思われてもいいと考え続けてきたのです。好かれなかった負け惜しみではなく、私は自分が欲する以上に好かれてきたと思います。感謝はしていますが、一過性の「好いてくれる気持ち」を見透かしてしまうと、もう本当にどうでもよくなっちゃうんだよなぁ・・・。私は一過性で好かれたくもなく、好きたくもないので、特に自慢して人に自分の情報をアピールする必要も感じず、あった出来事や考えることなど、情報として使えるならば自分のことも使いますが、自慢する気持ちはかなり希薄です。

母と今日は内職をいっしょにしたのですが(来週から開始するチラシ配布のチラシをポストに入れ易いように折り、さらに数える;デザインは西さん)、そのときに世間話をしていてまたもや感じたのでした;人は少しだけ「他人とは変わった人間でいたいと望む」ということを・・・。母の口癖は、飲み屋さんでの「私ってちょっと変わった女なのよね」というもの。が、今日は、洋服のことを話しており、母のワードローブが300だったか500だったかあるすごい数だということを指摘したら、「女だったら誰だって着飾りたい」という理由だったのです。うまく逃げたつもりだろうが、逃げてねーよ、と思った私は、「私だって女だけど、別に洋服なんて欲しくないよ」という返事に、「あんたは特別に変わった人間で、女じゃないから」と、口を尖らして答えていたのでした(爆)。

私は「変わった人間でいたい」と欲したことはただの一度もありません。結果的に大勢の人に「変わった人間」だと言われてしまったことは数多くあります。できたら中庸でいたいよ・・・。でも曲げられないものもあり、効率が悪い愚かなことはできない。が、母は私の「変わった加減」に憧れることはなく、「うんと変わっている」ことはイヤらしいのですよ・・・。

↑コレが自慢かって?(爆)いやいや、人と違うことを自慢の種にするやつは違ってはいないのですよ。本当に違っているとつらいことのほうが多い。たとえば、左利き。左利き用の文具は本当に少ないのです。彼らがいかに苦労したか聞いてみてください。苦労した人ほど、左利きを自慢していませんから・・・。スーパー美人もそうですし、スーパー賢い人もそうです。スーパーリッチな人も自慢しませんから・・・。

チャットをしていて、「在米6年」などとと自慢する人がけっこういたのですが(どうも在米期間は5年過ぎると格が上がるらしい。ちょっとした留学ではそんなにお金が続かないから真剣で、上の学校に通っていたり、仕事を得ていたりするゆえに)、私が12年だとか言うとざざーっと潮が引いたようになります。結果としてなってしまった18年半の在米も、私にとっては自慢の種ではなく、「いかに日本を18年半知らないか」を簡単にご理解いただく言い訳として使わせていただいています。あとは、日本語がおかしいときにもよく使うかな(爆)。でもなぁ、どこかに長く暮らしていることは自慢の種じゃーないよね・・・。

私にとっては自慢の種として感心することはただひとつ;自分が念じていること、自分が言ったことをしっかりやっているということ。

人によっては、どんな有名人と知り合いなのか、持ち物にいかにお金をかけているか、世界中のどこに行ったことがあるか、どんなにすごい仕事をしているのか、特技や容姿や学歴、その他さまざまいろいろな種があるのでしょうが、私はその話し相手、対峙している人の言っていることをしっかり有言実行していることを評価するので、さらに有言以上のことをしていると感心してしまいますねぇ。

倖せ自慢をしたり、不幸自慢をしたり、井戸端会議ちっくな話は本当に忙しい。なぜにそんなことを自慢するの?ということがたくさんあります。特に子どもさんの出来がいい・悪い自慢や、だんなの出来のいい・悪い自慢など、かなりキリがない。本人がどう思っているのか?を知りたいところなのですよ・・・。本人がしたいこと、言ったことだったのかどうか、目指していることを成し遂げたのかどうか、ってことが私にとって肝心なことで、代弁者が何を自分に関連していると自慢しても、あんまり感動はないのだった・・・。じゃ、いろいろ言っているあなたはどうなのよ?としまいにはうんざりしてしまうことも多い。いつも「結局最後にはやはり自慢なのね・・・」と感じることが多くて疲れています。おのろけならいくら聴いても微笑ましいのですが♪

西さんは、ここのところイラストレーターでチラシのデザインをしたり、メルマガをサクサク作っているのですが、仕上がるたびに「すごいっ!」「きれい!」「簡単!」と自慢をします。彼の場合、私がそれを微笑ましく見ているのは、これまでの48年のうち、このようにノビノビ自慢できたことがなかったという事実。いわゆるいい学歴を歩んできて、そこそこいい年収のサラリーマンをしてきても、彼は自分のことを誇れたことが一度もありませんでした。どんなにすごい山を登ってもそれをむしろ「足りない」と恥じるばかりで、どんなスポーツをしても、日々努力しても、クラスでトップを取っても(30歳過ぎて大学院に行ったときにテストはたいてい1・2番だったのよ)、自慢することが一度もなかったのです。ここのところ、何を開き直ったのか、初歩的でたいへん幼児ちっくに自慢をするので、「なんだかいい傾向♪」と、私は微笑ましく見ているのでした(爆)。

私は悲しいかな、自慢をすることがあまりに少ないことに気づき、今日はコレを書いて落ち込んでいます。せいぜい、スピード関係なのですが、速くてもそんなにいいことは特にないのかもしれない。図書館の本は相変わらず相当量読んでいます。横溝正史にしてから、漢字が難しいのがたくさん出るのと、時代背景が192・3・40年代なので映像にするのに時間がかかっているところです。結局私が自慢できるかもしれないところは、諸刃の剣の短所要素がたいへんに大きく、大した自慢にはやはりならないのであった・・・。「無私」「滅私」な話ができる人と、じっくり3・4時間飲みたいなぁ♪←ただいま禁酒中ですが(笑)。

 

 

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