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条件付の愛

05/11/2007にアップした文章です。

このタイトルは大昔使ったことがあるかもしれない、と、普段は記憶力のいい私がコレについて定かではないのです。これまで書いてきた駄文は、いつのまにか1000近くなっているので、きっと酷似タイトルも多いと思うのではあります。なんたって同じニンゲンがやっていることですから・・・。しかも、プロでパーソナルアシスタント(秘書というのは失礼なのかもしれない・・・でもこの漢字はステキだ・・・)がついているわけでもないし・・・。条件をつけて愛するというのは、脳が発達しているがゆえの悲しさでもあります。なぜならば、その条件が多様だからです。

条件:(1)物事を決定したり約束したりするときに、前提あるいは制約となる事柄。(2)物事の成立あるいは実現に必要な事柄。ある事態を引き起こす原因。(3)〔法〕 法律行為の効力の発生を制約する、実現が不確実な将来の事実。(4)箇条。項目。
前提:(1)ある事が成り立つためのもとになる条件。(2)〔論〕〔premise〕推理において結論が導き出される理由ないし根拠となる命題。
制約:(1)制限や条件をつけて、自由に活動させないこと。(2)物事の成立に必要な条件や規定。

ネコたちが私を無条件に愛してくれていることを、日々実感しながら生きてきたので、さらに、ここ7ヶ月離れて暮らしているので、その無償で無条件に限りなく近い愛には、私はもうメロメロなのである。そして、私が西さんといっしょに人生を歩むことになって、はや18年だかいっしょにいるのも、きっと彼が私に対しての条件の数が少なかったり、私が納得できうるものだったり、ということなのでしょう。

悲しいかな、親に対してはコレが選べない・・・。イヤイヤ、母を取り替えたいなどといまさら言っているわけじゃーないんですよ(汗)。ただ、彼女は西さんに比べると条件をキツメに出してくるなぁ、と苦笑してしまうのです。そんな母を見て育ったのに、私は条件を他人にキツメに出さない。が、弟のほうはキツメに出す。これはまたもやおもしろいな、と。弟と私は、同じ親とその親や周りの大人が与えた環境とその中での要因たち、近所や他の人々や教育や生物学的要因(空気のきれいさや樹木の多さや水や食べ物など含め)、も同じなのに、なんだか結果はとても違っています。男女の違いというのがひとつと、生まれた順番の違いというのが、大きな違いのふたつでしょうか・・・。

幼い頃は、番長(って、この言い方も相当に古ぼけた言い方だ・・・)めいたところがあり、自分より能力が低い子たちに対して、面倒を見ていた反面、命令や指示をしていた傾向は強かった。けれども、間違えないでほしいのは、私がそれをしていたのは「徹底的に遊びのルールのため、遊びがスムーズに行くため」であり、他になんの野心もなかったのです。家では仕事がありました。それは手伝いなどではなく、真剣な労働で、その八つ当たりをみんなにしていた、ということはありません。それじゃー、6・7・8歳から、ガード下や居酒屋で愚痴ったり、弱い部下に仕事を押し付けるなどのサラリーマンメンタリティじゃーないですか(笑)。おそらく、私がそうしていたのは、ただただ遊ぶことそのものに享楽していたからでしょう。なんであんなに楽しかったのか、今となっては謎なのですが、でも楽しかったなぁ。

その後、成長するにつれ、私が姑息なのは、「他人に命令されたくない、指示されたくないから、こっちも出さない」というもの(爆)。16歳でアルバイトを開始したときは、マニュアルを教えてくれる社員や古いアルバイトさんがいたから、それに従順であればよかったので、それほど命令や指示に不愉快などはなかったのです。家でも相変わらず封建制度を敷いていたい父もいましたし、それに年々似てくる弟もいましたし・・・。ただ、どうなんだろう?「鵜呑みに聞き入れていていいのか?」というのはいつも不安感として持っており、気づくと19歳で契約社員になり、オープン店舗を廻ることになって、指示が多くなりましたが、命令はしていなかったつもりなのだが・・・(でもしていたかもしれない・爆)。

ただし、私は年上の友人が多かった。別に同い年や年下に偏見があったわけではなく、性格的にも生物学的にも、なぜか「生き急いで」いたので、たくさんの知識や経験や縄張りやその他を、どうしても知りたかったし、できることであれば私自らも習得し、経験したかったのだろうと思うのです。なので、特に指示も命令もできない環境を、わざわざ選び取っていた、というのが実際なのかもしれない・・・。

たまにある「同じくらいの立場」という意識がある人々とのお付き合いや、私のことをえらいだのすごいだのと言ってくれる引っ込み立場の方とのお付き合いなどに、やはり「他人に命令されたくない、指示されたくないから、こっちも出さない」というルールは使い始めました。駐在員の妻たちと腹を割ったおつきあいができなかったのは、おそらく、こうした立場を最後まで振り捨てるようなステージまで行かなかった、いわゆる、「知り合う前に別れる状態」だったからなのだろうと思うのです。けれども、私は指示も命令もせずにつきあうことを癖としています。依頼はするんですが・・・←ここが微妙なのかしらね?(苦笑)そして、それを徹底していたら、いつのまにか本当に誰かに対して条件など出すことは必要としなくなってしまったのであった・・・。習慣って本当に怖いわね・・・。

関係が成り立つための条件というのは、なんだか空しいけれども、やはり瑣末であれ、いくばくかないと果てしないので、誰しもやっていることなのです。私が今ぱっと思い浮かぶ前提は;

・ 自分で自分の面倒をみられること>でも効率を追いかけたときに依頼や分業はあっていいと思う
・ 大義を自分なりに持っていること 大義:人間として踏み行うべき最も大切な道。特に、国家・君主に対して国民のとるべき道をいうことが多い。
・ 生きているモノはすべて死ぬまで学習・発達を続けていくのだということがわかっていること
・ 有言実行を心がけていること

くらいがざらっと思い浮かびます。ということはまだいっぱいあんのか?量はないと思うんだよなぁ・・・。こういう大きな前提がかなりの範疇をカバーする仕組みになっており(言葉遊びじゃないよ・・・)、うまく要約できていると思うのね。だからそれ以上に求めることはあんまりないと思うんだけど・・・。とはいえ、わかんないか・・・(汗)。

男だって料理や育児や掃除はできたほうがいいと思うけれども、それは「おまけ」をエンジョイしていないんだよ、という意味で、オトクか損かという話をしているだけに過ぎず、やらない男の人は大嫌いっ!ってことじゃーないしな。禿げでも別に何でもないし、詐欺師でもOcean’s 11(シリーズ)に出てくる人たちは嫌いじゃないしな・・・。シリアルキラーもみんな人殺しだからって憎んでいるわけでもないし・・・。

私は無条件の愛をくれるうどちゃん・タンゴ・ハイジ・さくら・寅次郎には無条件の愛を返していますが(というか、使われてる!?)、条件付の愛をくれる人には徹底的な無条件の愛を返していません。認めますし、むしろ、無条件の愛を人間が与えるというのは人生に一度きりだとか稀にしかない、でいいと思うのです。だからドラマなのだし・・・。西さんだけではなく、全おつきあいする方々にも「自分の面倒は自分で見てね」が基本です。

ただ、無条件の愛ちっくに限りなく無条件だと思っていると、やっぱりコミュニケーションの誤解が出てくるかもしれません。なので、私は西さんと母に今晩、私の条件と彼らの条件の合致度をチェックしてみるつもりです。相互通行なので彼らの条件も再チェックしてみます。みなさんもぜひ愛する人たちにチェックしてみてね♪

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