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母のしあわせ、私のしあわせ

しあわせ:1.めぐりあわせ。機会。天運。2.なりゆき。始末。3.幸福。幸運。さいわい。また、運が向くこと。
幸福:心が充ち足りていること。また、そのさま。しあわせ。

みんなそれぞれの感性が違い、環境や生きる目的が違い、タイムゾーンまで違う場所にいる場合もあるわけですが、「しあわせになんかなりたくない」と思っている人はかなり少ないか、あるいは失意かネガティブな状況での比較的短い感情であるかと思われます。

私の好きな番組に、Lifetime(アメリカの製作局のひとつ。女性向けの番組をテーマにしている)でシリーズでやっているIntimate Portrait(個人的な、うちとけた)(詳細な描写、肖像)というのがあります。http:www.lifetimetv.com いろいろな女性の生い立ちから今までの人生の奇跡が見られます。大切なイベントを逃さずにきっちり造られているなぁ、メディアの操作ではなくて本人のインタビューや知人のバックアップがあっていいぞ、と、興味のある女性が予定されているときにはかなり見入ってしまいます。

誰のPortraitを見ていても、やはりみんなそれぞれに自分なりのしあわせを追求して、その実現に向けて日々がんばっているのだなぁと、感心させられ、私もがんばらないとねぇ♪とやる気になっちゃう番組です。もちろん有名人のモノが多いのですが、成功の裏にどんな苦労があったのかわかるのって売名行為に見える視聴者もいるのかな。私もかなりナイーブなところを固持していますが、本人のインタビューを受けているときのジェスチャーや声のトーンや言葉の選び方を見ていると、それが真実かどうかある程度わかるような気がします←おまえは事情聴取する刑事か!(爆)

そして母のIntimate Portraitを想います。

幼い私が母に関して目を背けたくなるほどいやだったことに、「私はこれくらいしかできないのよ」というのがありました。天運や生まれながらの才能を強く信じて自分に限界を設定し、その範囲でできることを一生懸命いつもやっているのだ、という自己弁護。この小さい箱のなかでのしあわせさえも失ってしまうのは怖い、という勇気のなさ。父に暴力を振るわれても忍び泣き、内職で貯めたお金さえも自分のために使えない母。

私は口うるさく、「ねね、ワンピース買っちゃえば?」だとか、「パパなんか警察に電話しちゃえ」だの言っていました。私は彼女のしあわせはきっともっと違うものであると思っていました。あきらめることがどうしてもできませんでした。離婚話が何度出ても「離婚しないでぇ」と泣いた記憶はありません。「哀しいけど仕方ない」といつも物分かりがよかったと思います。けれども離婚することもできませんでした。結局、父に死なれておよそ7年、母はやはり離婚しなくてよかったと胸を張って言います。

それに比べると父はどんな逆境にあっても立ち向かうことだけは止めない姿勢をいつも維持していました。たとえ力や運が届かなくても、できることはすべてやらないと気が済まない激しい人でした。彼なりの美学を持っていることが伝わり、母の愚かさ、学習をしない姿勢に腹立たしかったことも、子どもながらにわかっていました。私はそのそばで賢くなろうと決めていました。父は自分自身が愚かであったことにも腹を立てていたからです。

母と長いお酒を飲んだり、繕いモノをいっしょにしたり、おいしいごはんをおいしいレストランで食べたり、ふたりで旅行に行くときに語りあってから後日わかるのですが、そのあきらめの姿勢は学んでしまったものだとわかります。そしてやはり彼女にはどうしようもできなかった、何のサポートシステムも本気で関わりあってくれる人々もまわりには居なかったのであることを知ります。私だけはいつも本気で、離婚だってしてもかまわないし、これ以上貧乏になってもかまわないと伝えていました。けれども彼女にしてみれば、私はまだまだ力のない子どもでしかありませんでした。

けれども母にもちゃーんと学習能力はあったのです。彼女の母親、私の祖母が死んで運転免許を取りに行き、内職ができると自分で納品をしに行くようになり、お友達を作り、海水浴にも連れていってくれて、飲み屋さんにも通い始めました。10代の私がたくさん稼げるのを横目で見て、私にお金を請求できるようになったのもお見事であるし、父の暴力に暴力で返すなんてこともできるようになりました。冷蔵庫やエアコンを父に黙って買ったり、自分のミシンを何台も買って(彼女は今でも4台もミシン持ってるよ…)少しずつ自分のしあわせである瞬間を多くしていきました。それには摩擦もたくさんありました。

まだ中央高速道路が名古屋まで通っていない時代、調布から八王子を過ぎ大月まで高速に乗り、そのあとは一般道で長野県飯田市まで8時間のドライブ。雪の降るなかを、母は私たちを連れて「おばあちゃんとおじいちゃんに聞いてもらう。今度は絶対に離婚する」と、寒くて白くなった息をはいてチェーンをつけ、たった8歳ほどの弟に手伝わせ、私に懐中電灯を照らさせて、彼女なりの学習をしました(しかし、弟はえらかった♪)。

私が渡米することが決まる頃には、私べったりだった父をよそに、彼女は時給が高い仕事を探してきて夜の11時まで働いていました。できる範囲での自立をしているあいだに、父はそんな母の変化に気づいたのか、年齢を重ねてヤワになったのか、社会の風潮が変わったのか、家族で飲みに行くようになりました。私が渡米してから両親はデートと称して食べ歩きをしていたようです。万年貯金のない一家ではありましたが、それでいいと思っていたふしがあります。

そして父に7年前に死なれて、彼女はまだまだしあわせについて検討しています。経済的自立が母にとってはいちばん簡単な方法だったのでしょう。最近では私に国際電話を自分からかけてくることも少なくなりました。60歳を過ぎて仕事にあぶれる日が増え、経済的に苦しいこともあるからでしょう。けれども、300着ほどの衣裳(これはもうワードローブって感じじゃないですね。すごい戦利品みたいなもんです)とミシンと自分の冷蔵庫にテレビに鏡台に少しの宝石。物欲と食欲はどうしても解脱できないみたいです(爆)。

私が帰国するときにいつも「欲しいものは?」と尋ねるのですが、今回はスニーカーと美容液でした。うーん、多少物欲は収まってきたみたい(爆)。仕事を辞めて何年かしたら私と住みたいようです。私はいつでもいいと言っているのですが、彼女のほうの準備が…>英語で暮らせないと言い張っているが、ここは英語でなくても暮らせる場所がたくさんある(爆)。実際そういう人、たくさん目撃してるし♪

両親のケンカを目の当たりにした私は精神が歪んで育った、と心配してくださる人がいます。うーん、それってやっぱり余計なお世話。貧乏に育って何事にもハングリーだったから強気で厳しくて心がざらざらしている、とさらに心配してくださる人もいます。うーん、本気で関わりあってくれる気持ちがないならそういうくだらないことは言わないでね♪私の性格は親の責任じゃありません。生まれもった部分をどうやって咲かせたかという私の責任ですので親のせいにしないでいただきたい。

私は両親にたくさんの機会をもらい、生きていくうえでどうしても大切なものを見せてもらいました。しあわせに完全なる形がないこと、このしあわせでいいということはないこと、至福であると感じてもそれがつかの間であること、もきちんとわかるようにいろいろなイベントや会話で学びました。深い感謝に充ちています。親をひとりの人間として対峙しつきあうことの大切さも学びましたし、そのほうがお互いにとっていいことも学びました。

私を親不孝だと思うのは親戚や他人の勝手で、死んだ父も今東京にいる母もカケラも思っていません。私の選択のそれぞれがしあわせな瞬間を得られる大いなるチャンスであったから、ということもきちんとわかりあっていたからです。

私の母は私がこの先レズビアンになろうときっと驚かないことでしょう。今回の別居もまったくごく自然なこととして電話でこれからの計画を聞いていました。Risk(危険)を覚悟しない限り、私はしあわせにはなれないことを熟知してくれている親をもててしあわせです。私が私であることを丸ごと受け止めてくれる人がこの地球の表面に確実にいます。「子どもがいるといいわよぉ」などとは一言も言ったことがない母です。それもひとつのしあわせではあるけれども、いなくてもしあわせになれると思える人です。

親心というものは「私ができなかったことをせめて子どもには」というのがあるらしいですが、母は「あんたのやることは私ができなかったことばっかだからよくわからない。でも自分で決めたことだからがんばってね♪」という感じです。そして46歳で初めて冷麺を食べて「ああああ、46年間もこんなしあわせを知らなかっただなんて」と子どものように地団駄を踏み、53歳で初めて飛行機に乗り緊張しまくって飛行機で酔っ払い、58歳で初めて鹿児島に行き温泉の多さに感動してしあわせを味わい、まだまだ彼女のしあわせ追求は続きます。

彼女が彼女のしあわせをあきらめないことが大きな私のしあわせです。それは他の西さんやうどちゃんたちや私の大切なおともだちや叔母や知り合いまでにも望みをかける共通したしあわせです。そのために、私はいつも何事にも本気で取り組み、まるで明日死んでもいいと想ってるんじゃ?と思えるほどにちゃかちゃか動くわけです(最近、かなりちゃかちゃか動けるようになったんよ♪すごい回復力ですな☆引っ越しのおかげか?)。

私がこんなにどんどんしあわせになってきたんだからだいじょうぶ。きっとあなたにもできる♪

それはIntimate Portraitで誰の人生を見ても想うことです。彼女にできてなぜ私にできない?いや、きっとできる、と。天運よりも努力のほうが効果的であることはみんな知っているはず。それならばまずはしあわせに向かってあきらめずに一歩踏み出すことです。たくさんの深いしあわせに向かって☆(とか言いつつ、私は飲み会でさえもしあわせだからな…汗。星の数ほどしあわせを感じていまする)。

大きくて深い自分だけのしあわせを求めないで、言い訳をして他人を見て負け惜しみを言うくらいなら、長い時間をかけてもいいからしあわせの方向に向いていきましょ♪できたらみんながしあわせになれるといいね☆

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