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淋しさの根源

Feb 7, 2006

淋しい:(1)あるはずのもの、あってほしいものが欠けていて、満たされない気持ちだ。物足りない。さみしい。 (2)人恋しく物悲しい。孤独で心細い。さみしい。(3)人けがなくひっそりしている。心細いほど静かだ。さみしい。 

私はここのところ、この淋しさに対して鈍感です。気管支炎とひとりで戦っていたせいもありますし、掃除がたいへんだったこともありますし、買い物もけっこう多かったのもあります。郵便の整理はそりゃーたいへんでした。そのせいなのか?

私は「悲しい・哀しい」よりも「淋しい・寂しい」という感情のほうがどうも苦手です。うまく説明できるかどうかわかりませんがトライ・・・。

悲しい:(形)[[一]心が痛んで泣きたくなるような気持ちだ。つらく切ない。《悲・哀》 [二](古くは「愛し」と書かれた)(1)身にしみていとしい。切ないほどにかわいい。《愛》 (2)心にしみるような趣だ。深い感興を感ずる。 (3)見事だ。感心するほど立派だ。 (4)残念だ。くやしい。 (5)貧苦がつらい。 

切ない:(1)(寂しさ・悲しさ・恋しさなどで)胸がしめつけられるような気持ちだ。つらくやるせない。 (2)大切に思っている。深く心を寄せている。 (3)苦しい。肉体的に苦痛だ。 (4)せっぱ詰まった状態である。 (5)生活が苦しい。 

うーん、辞書を引き合いに出すことは、今回それほどあまりいいアイディアじゃないかもしれない・・・(爆)。

毎日泣いていることはすでに何度か書いてきました。この悲しい気持ちになると泣けてしまうので、けっこう引き受けられるのです。心がアップダウンすることを引き受けるのは、得意なのです。喜怒哀楽のジェットコースターのひどさと言ったら、私のそれはものすごい幅なので、慣れています。胸がしめつけられて、心が痛いことは、まったく引き受けられます。

が、淋しいがちょっと違うのは、「そもそもあるはずのもの、あってほしいものが無くて物足りない気持ち」になることです。だからゆえに切なくなってしまうことです。私がそれを感じたのは、まずは両親と離れ、父の実家に長いこと預けられたときです。両親がその場にいなくて淋しい、という気持ちはなかなか切ないものでした。が、キャッシュ(現金)な子どもだったので、昼間はごぼうのように汚くなって遊び、夜まですっかり忘れていたことも事実です。暗闇で、外のトイレに行くときだけに淋しかったが、「恐怖」にエスカレートさせられていたというのが、実際のところで、両親は「なんだ、ホームシックないのか・・・」と落胆していたくらいです。

さらに、小学校では、違う意見を持ったときにいつも感じていました。少数派の違う意見。とても淋しかったです。私はどうしてあっちに属せないのだろう?と疑問を持つたびに、こうなんだか、「みんなでまとまろうよ」と投げかけられていることに、その当たり前な姿に、自分だけが抵抗しているようで、とても外れた気分にさせられて淋しかったのです。子どもの頃はアレでアレなりに真剣で、「(遠足の)おやつは200円まで」と公平のための発言をする子どもがいたりするではないですか。私はそれに対して「そんな基準をつけなくてもいいと思う」などと、冷静に言ってしまう子どもだったのですね・・・。「じゃぁ、500円持ってきた人はどうするの?それでいいの?」などと言われても、「買えるんだから、食べられるだけ持ってくるかどうかは、好きにすればいいんじゃないのかな」などと、今とスタンス的にはそれほど変わりがなかったのです。特に先生も仲裁に入るわけでもなく、たまにしか同意見が見つからず、私は淋しい思いをしょっちゅうしたもんです。

特にねぇ、体育ではブルマーではなく、男の子用の白いトレパンなんかを履いていたので、周りの攻めも容赦なかったです(爆)。

けっこういい歳になってからは、雑踏の中でしばしば経験しました。渋谷の駅前で信号を渡ろうとしているときに、ふと、「こんなに見渡す限りの人の波の中、私はひとりぼっちだな」と思うと、ぐわわぁぁぁと淋しくなったりしたものです。山の中の星空の下の孤独は、「当たり前のひとり」であるがゆえに、まったく淋しくはないのですが、人が片寄せあって暮らしているはずの都会で、私はぐーんと淋しくなったりしたものです。24歳までひとりで喫茶店やレストランに入ることも、さみしくてわびしいがゆえにしませんでした。あ、ツーリング先では、大衆食堂なんかにも平然と入って、納豆定食(イチバン安いだろっ!)なんかを食べていたんですけどね・・・。

なぜ最近、淋しい気持ちにならないのか、なんとなくわかってきた気がするのですよ。私は人や物事を「当たり前のようにそこにあるはず」とはみなしていないのです。これは父が死んだときの大きなレッスンでした。彼を29年間、存在がそこにあって当たり前とみなしていた罰は、1年ちょいのへビィなアル中という代価で支払いました。私は、彼がいなくて淋しいという気持ちに押しつぶされてしまい、自分を無くしてしまうため、意識しないようにしてしまうため、泥酔を繰り返し、どこをどう通って家にたどり着いたのかわからない日々を続けました。

そして、ネコの長男、うどちゃんが15歳になり、そろそろ私も覚悟を決めなければならず、あの時と同じ振る舞いはしないようにしなければ、と思っています。淋しいだろうが、そこにいて当たり前だった日々を、今、うんと感謝して満喫しよう、と思っています。痛みや悲しみは引き受けられるのに、コレほど淋しさにナイーブなのはいかん!と少し立腹気味ですもん(笑)。

パートナーと離れて暮らしてすでに足掛け6年めに入りましたが、コレも特に淋しくはなくなりました。メールっていう便利なものがあるし、国際電話も驚くほど安くなりました。18年前は1分360円だったのに、いまや、USからだと1分5円とかですからね・・・。ただ、携帯にかけると割高になるっていうのがガンです・・・。このあいだ、中国系のスーパーで20ドルのカードで6時間ほどかけられることが判明したのですが、いちいちいろいろダイヤルせねばならず、けっこう面倒は面倒です。が、まだIP電話は不明瞭で、仕事の話のときはイライラすることが多いです。ですから、採用していません。

日本に居たときには、ネコたちと離れていたことが淋しかったですけども、今回は家に住んでくれたHouse & Cat Sitterさんがいたので、気持ちは軽減され、仕事がうんと捗り、空いた時間に社員Sちゃんとパチンコに行き(おいおい、教えるなよ・・・)、さらに読書もして、40度の高熱まで出し、医者にも行けてしまったわけです。淋しい気持ちに内側から食べつくされてしまうと、何も手につかずいけません。

人の欲というのはキリがないものなので、キリを持つ私には、それほど淋しい気持ちに対峙せねばならぬ場面が発生しないのかもしれないです。「あって当たり前なはず」という考えは、やはり持てない。持つと自分の防御がたいへんになってしまうからです。会社がうまく行って本当に辞められるのかどうか、どうか長い時間をかけて見ていってください(笑)。家をどんどん大きくしたりもしないし、車をものすごい派手なやつにするつもりもありません。ただ、学校にだけはお金をふんだんに使いたい、と心から準備しています。新品の教科書だらけにしてやるぞぉぉぉ!(爆)

このエッセイ、けっこう役に立ってくれるといいな、と思うのは、理想の恋人探しをまだまだしている人たちの考え方に関連性が、実感を伴って持たせられれば、と。赤い小指伝説などは、ロマンをかき乱すためのでっち上げであり、特に運命づけられた理想の相手が待っているわけではないのですよ。「いつか遭って当たり前」を捨てれば、きっと淋しい気持ちに追い込まれたりしないはず。

この世で当たり前のことなんて、たぶん、あまりないのです。何かをアテにしてはダメですね。アテにできるのは自分の言動、と心したほうがたぶん、淋しくならなくていいと思います。

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