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点と線

05/27/2006 にアップした文章です

松本清張というすごい人のタイトルを借りてしまいましたが、最近、ものすごく人生について振り返ってしまっているところです。私の、という意味でもそうですが、人が生きていくことそのものについて、というのがメインです。

うんと子どもの頃は、早く大人になりたくて、毎日指折りお休みを数えていた学校には遊ぶために通っていた子どもでしたし、小娘になってからも早く30代になりたくて仕方ありませんでした。そして、30代はつらかった(笑)。ちっとも優雅ではなく、30代の最後のほうはPTSDの闘病で過ごし、記憶の引き出しにいいものとして残っておらず、「ちきしょー!」って感じでケチがついています。が、それを払拭するために、しっかり休学後、卒業して、今に至っているわけですが、40代はかなり楽しく暮らしています。

注: 本来年齢は、医者と政府にしか言わない主義にしているのですが、エッセイを読むときっとバレてしまうと思うので、だいたいのターゲットは言っておくことにしました。

まだ疲れていられないほど先は長いのですが・・・。戦後から見ると、栄養失調などから程遠く見える経済状態で、確かに寿命も伸びたし、私が想像していた40代とはまったく違い、最近もダッシュで買い物カート(アメリカのは日本のと違ってでかい)を押して、カート置き場に戻し、「なんだよ、すごい元気じゃん」と他人事のようにびっくりしてしまいました。エクササイズも始めたのですが、なんか調子いいですよ・・・。

社員すまいるが、突然ぎっくり腰をしてしまい、ほぼ1週間安静にしていたのですが、家から新宿で催されたセミナーに出かけるため(Bidders社長じきじきのセミナーだった)、同年代の私としても、とても心配したのですが、「通勤ラッシュにもまれるのはイヤだ」と急行で旅行気分でお家に帰ったようです。セミナーリポートは、メールでその晩さっそくいただき、正式リポートはノルマにしようかどうか、まだ考えています。病み上がりだもんね・・・。座位がイチバンいけないんだもんね・・・。私の場合は、椎間板を2枚削る手術だったにしろ、今後もまた『腰痛仲間Bonding』で絆はさらに深くなることでしょう。

人々は、往々にして人生を点で捉えており、なかなか線で繋げられない、というのが、お決まりの概念のようですが、私は逆なのです。いつも、線で繋がったものを見ており、なかなか点にしてあげて、一時期の失敗や問題を振り切れないという欠点を持っています。学生を長いことしたせいなのか、すべての点(テストの点と掛けてダブルだわ・・・)は、線になっていくわけです。線として考えなければ、A狙いもできないし、卒業するまでのGPA (Grade Point Average)も予測できません。パッケージングにしてしまっていたわけです。いい歳こいてから大学にまた戻ったので、「エンジョイする」「カルチャースクールの延長」「資格を取ればいい」という態度で臨めばよかったのでしょうが、そこは勝気な私ですから、わざわざいい大学に入ってしまい、競争にまたまた揉まれ、セミナーでの発言前に緊張し、ゴテゴテしすぎないが清潔感溢れ、勤勉さをアピールするリポートの表紙まで考えあぐね、いつも予習を前倒しにしようと心がけ、当然、主婦であることなどはできませんでした。というわけで、考え方が、点ではなく、線になってしまい、いつも足し算をしていたせいか、人を見るのも加点法ばかりで、減点を躊躇するところがあります。

認めたくはないですが、私はいろいろな人に騙されましたね・・・。まずは、10代のときに、バイトを始めて、中学時代の同級生に万単位のお金を貸して、返済してもらえなかった(爆)。そりゃぁ、すごいショックでしたよ、信じていただけに。が、ここで立ち直ってしまったのは、「貸してあげる=あげること」と定義してしまったことにあります。16歳の頃のことをまだまだ活用しており、20数年経った今でも、私は他人にお金を貸すときには戻ってこないもの、と自分の口座や持分として計算しないことにしています。バクチのお金も同じです(とは言え、戻ってくるとうれしい♪)。

他にも、騙すつもりなどはなかったし、私を傷つけるつもりなどはなかっただろう人々に、たくさん騙されてきました。が、ここで私が思うのは、「とりあえず、騙す側じゃなくてよかった」というもの。私がしてきた数々のことは、エゲツないことも多々あります。鼻にもかけずに、チャンスも与えずに、男の子を振ってしまったことなどがいい例です。24歳半までやっていましたから、けっこうな恨みは蓄積されていたかもしれません。が、始める前に、悲劇を最小限に抑えるにはそれしかなかった、というのが、私の今の言い訳です。騙すよりいいよね・・・??

そこで、私がここ数年考えているのは、私のことを騙そうとしたり、傷つけようと思っていたわけではなく、彼らは若くて未熟だったり、理解しようとするゆとりや時間や情熱がなかったりしたのだ、と思い、解決しているのです。点をやはりまた線にしてしまう、いい傾向です(笑)。ひとりひとりとの出会いは、点。が、私はその点にほんの少し現れていた、ただの登場人物でしかなく、彼らとしてはそれぞれ成長し、自分に合った人々に出会い、きっと倖せに生きていてくれているのだろうな、と願ったり祈ったりして、線を繋げているのです。

点だけを拾い上げれば、きっと腹立たしいことでしょう。いや、腹立たしい気分に今でもさせられる事件はけっこうありました。でも、点だけを拾うのはやっぱりフェアじゃないでしょう。人にはそれぞれの成長率があり、その時々によって心を掛けている物事の対象が違い、大事に思っている人々が違うのだから・・・。

たとえば、西さんが、私よりももっともっと若い、ステキで魅力的な女の子とある日突然恋に落ちたとします。あるかないかは、誰にもわかりませんから。その恋を心だけではなく、行動に移したとします。私は、そのとき、西さんが私を選ぶのが義務だと思われることはとてもイヤですね。線で物事を考えて単純に私を選ぶのではなく、点をエンジョイしてから線にしていく方法を模索して、西さんにちゃんと選んでもらいたいと思います。二股かけたいって西さんが言ったらどうするかって?いいですよ(笑)。条件つきですが・・・;お金で恋心を縛り付けないこと。決して彼女と私を比較しないこと。が、完全にできるのであれば・・・。若い女性は、経済的に自立できていないと、お金の安定を求めるために、いくら自分が働いていても経済的な依存をしようとします。愛があれば、それを「長らく続く売春行為」とは厳密には解釈しなくなる。グレイラインがあって、その領域を出なければいいわけですが、台湾に6年住んできたのでありえない話ではありません。ま、日本でもどこでも同じですが・・・。自分自身を評価してもらっているのではなく、お金を評価してもらっているならば、それはあえて始めないほうがいい、と私は思っています。西さんも賛成しています。てか、こんなことを話している私たちって、かなり用意周到ないやらしい冷静さを持ってるわよね・・・(笑)。

比較は、失礼な話です。若い彼女が持っているものを、今の私が持っているはずもなく、長い時間をかけて私が培ってきたものを若い彼女が持っているわけもなく・・・。比較癖があまりにひどいようであれば、たとえ無意識でもしているようであれば、やはり始めないほうがいいのです。悲劇ですから。

とは言え、この条件をクリアして、She is my destiny (運命の人)に出遭うことは、西さんにだってこれから先ある可能性は大いにあります。そのときは、私は悲しいだろうけれども、笑って見送らないとなぁ。線を考えると冷静なのですが、点の時点でそのことに対峙しているときは、今書いてきたようなことがしっかり話し合えるのか?と謎なので、ま、先に話し合ってあるわけです。が、そのときに私が立ち直れないのは、もう子どもが持てなくなっている歳になっていたら、ってことだな・・・。西さんに子どもができたら、すごい裏切り感を募らせてしまいそうです。要らないと言いつづけてきたわけですから。

が、西さんだから話し合いが可能なだけであって、そうでない人には、裏切られたり騙されたりしてきた気分が大いにあります。人の心は変わるもの、だからと言えばそうなのですが、変わったときにはすぐ言えよ、と思うわけですね・・・。これ、西さんにもう一度見せるために書いたようなものなので、とても私的に感じられた方、お許しを♪

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