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終末期ガン、現場の実情

02/28/2007 にアップした文章です。

 

ここのところ、精力的に書き貯めをしているせいで、季節はずれなニュースを拾っているように感じている方がいらしたらごめんなさい。3月12日過ぎまでは、たいへんに忙しいと予測できるので、できたら、今日と明日中に、3月3日分までのエッセイを書いておきたい。そうすれば、朝4時に起きることもなく、5時半まで眠っていられるのだ。誠に身勝手ではありますが、これも生きていくための手段と笑ってやってください。今、「確実な歩み」参照していただければわかるように、歯ブラシ除菌器のプロモーションがやっと具現化しつつあり、ある時間をどうしても無駄にしたくない、メリハリづけたDiscipline(規律)に溢れた暮らしをしているのですよ。エヘヘ。

ニュースの元分はこちらです。厚生労働省調べなので、無責任であってはいけないアンケート調査です。http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070218k0000m040083000c.html 

何度か書きましたが、私の父もまた、1993年の1月30日に、胃ガン原発の末期ガンで死にました。54歳でした。そのときに、私が「告知」を親戚一同に促しましたが、見事に拒否され、私は孤立しました。が、父は自分で真実に到達し、ひとりで退院を決め、家で最期を過ごすことを決め、喀血し、痛みに耐えられなくなるまで、私のそばにいてくれました。死ぬ2時間前まで話ができ、最後に看取ることができた私は倖せでした。余命3ヶ月以下と言われましたが、実際に1ヶ月1週間で死にました。告知は、寿命を確かに縮めるかもしれません。が、「時間」を捉えるだけではなく、内容を吟味しなければならない。そして、それは本人の意思が反映されたものでなければなりません。

14年経った今ですら、現状はこんなもんです。葬式も、死んだ人のためにするのではなく、「送る側の自己満足」や「別れるための踏ん切りの儀式」や「体裁を整え社会人として機能するための儀式」として行い、死に方すら、回りに振り回される現状は、あまり変わってはいないのです。かたつむりほどの進歩でもいいから、とにかく、ひとりひとりの意識が必要です。

自分がガンだったら?余命が区切られていたら?何がしたいですか?ここは真剣に考えてみてください。だからこそ、ガン保険が日本に上陸しました。余命に何がしたいのか、残された日々にお金が助けてくれることで、しておきたいことがあったらできるよ、という悲劇の中の便利な保険です。

しかも、このアンケートでは、「患者が意思決定できる場合に限定し」ているのですよ。ここは大きなポイントです。そもそも、本人が意思決定できない場合というのが、中度以上の痴呆症を併発しているだとか、こん睡状態にすでに陥っているとか、幼すぎるなど、以外に思いつかないのですが、他にありますでしょうか?意思決定ができない人間、特に大人は、あと6ヶ月生きられる場合とみなされる場合、末期とはいえ、ほとんどの人なのではないのでしょうか?まず、誰彼かまわず告げろと言っているわけではない。例外は認めた上で、限りなく自分のものである命について、プロから聞けるだろうとみなしている、私たちのナイーブさがあまりに皮肉なことを、このアンケートは暴いています。

自分の命について、自分に告げてもらえる、その「心の強さや死に方選択の判断力」を認め尊重する医師は、わずか0.8%だけ。こんな状態を見て私が思うのは、「人は何のためにできうる限りのすべてを傾け生きてきているのか?」ということ。最期、終焉に、こうしてまったくの他人にケチをつけられることがあろうとは、このシステムはうまく機能していません。もちろん、医師側だけのせいではありません。いつ患者側に立つかわからないひとりひとりに問われていることです。自分の配偶者や子どもや親の命を、自分の延長命と考えるのは、おこがましいことです。「人はひとりで生まれてきてひとりで死んでゆく」のは真実です。心中などができたとしても、やはり魂は同じものではなく、物理的存在としても一個です。似ており、人生をシェアした歴史があるにしろ、それは決して同一(Identical)ではありません。そこを尊重できるかどうか、が、問われています。

英語では、Let goと言いますが、「行かせてあげる」と直訳し、あきらめたり、思い通りにさせてあげたり、意見を挟まずに手放すことなどを指します。人の命の終わりが見えても、コレができない人がいかに多いか。もちろん、簡単なことをしろ、と言っているのではなく、難しいことだからこそ、直面したときに、これまでの思想や生き方が反映されるのだということをわかっていただきたいのです。

検査をしなかった人のその行為について、後悔することは失礼です。もちろん弱い心はそうしたことをしがちです。でも、経済的に無理だったかもしれず、仕事のスケジュール調整ができないほどの重荷を背負っていたのかもしれず、優先順位がまずかっただけのことです。私の父の場合、健康保険の限定ができる衣料業界で、後回しにされたこともあり、病院ではなく、診療所の検査で2回も「疑いあり」程度で済まされ1年が簡単に過ぎたこともあり、父の心根の弱さもあり、それはとやかく問題視することでもありませんでした。思いついたように、「そういえば大蒜(にんにく)が徹底的に嫌いだったもんねぇ」などと、バリバリ大蒜を食べて思い出すことはありますが、本人が選んだことです。尊重しています。

家族ができることは、前もって、家系図を遡り、それぞれの死因や疾病歴を調べておくことにより、自分にも確率が高い場合には、健康なときに一筆とっておくことです。そうすれば、医師がどんなに「ご家族が決めてください」と下駄を預けようとも、本人の意思は反映されます。書いたものがイチバン証拠になるのです。自分のためにも、愛する人たちのためにも、一筆を準備しておくことは、義務とすら言えます。

医師にしても、この「家族の意向を尊重」の理由が、プロとしてのモラルを備えているとは思えず、保身に走っているところがありありと見えてきます。「家族に後々不満を言われる」ことから逃げているとしか思えず、こんなのを見ると、赤ひげ先生は怒るんだろう・・・。さらに、4人にひとりの医師はこんな傲慢な言い訳が通ると思っている・・・;「患者の意思を直接聞くことは終末期という状況になじまない」。その人がどんな生き方をしてきたのか、インタビューすらしようとは思わないのか・・・。すべてを丸く、ラクに収めることだけを目標としているわけなのか・・・。

こんなふうに、プロと呼ばれる人たちが信頼できない現状なのに、プロを盲信する傾向は、まだ日本にはたくさん存在します。だから、自分でできることはしなくてはいけませんです。一筆くらいは、ある夜、ドキュメンタリーやニュースを見ているときに、家族みんなでやってしまえることです。

しかもこの数字が怖いのは、46%が家族の意向を尊重と結論づけているけれども、実際には、本人に言うのが順序として先、と思っているのは、10人にひとり以下だということ。家族がいない人たちのことも考えてはおらず、こうした現場での身寄りがいない人たちの扱いがどうなっているのか?を想像するのは、ホラーに近いものがあります。だってねぇ、西川史子女史のような医師がTVで好き勝手なことを言えていること自体が、なんだか間違った世相を反映しているいい例だ・・・。あれをおもしろいと思うのはなぜなのか、私にはさっぱりわからないのだった・・・。怖いって・・・。

こうしたことには、多くの人が直面します。ぜひぜひ、準備はしておいてください。お願いします。

 

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