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表裏一体

04/24/2007 にアップした文章です。

 

ここのところ、またもや池波正太郎にお世話になっており、今は、『真田太平記』を読んでいます。最近、頻出する「知っていそうで知らなかった事柄」は、播髄院長兵衛や加藤清正だけではなく、今後もポロポロ出てきそうです。すでに突き当たっているのが、真田家の家計図で、読み進めてきてようやく判明したところ。途中、将来のことにも触れているのでわかってきたのです。さらに、疑問が出るたびに、ネットで調べることになっているので、知恵とまでいかずとも、トリビアはちゃんとまたこの頭の中へ。

六文銭:1.仏式葬儀の際、遺体に添える紙。一文銭が六つ描かれており、三途の川の渡し賃とされる。現代では火葬の都合で紙に印刷されたものが代用されるが、本来は硬貨を六枚持たせた。2. 信濃国の豪族真田氏の家紋

ここで、六文銭のデザインを見せようと思っていたら、こんな記事を見つけてしまった・・・。ちゃんと池波正太郎の文章の抜粋もあり。http://osaka.yomiuri.co.jp/katati/ka60320a.htm 「真田 六文銭」で検索すると、ヒットは32300です。少なくとも私の名前の数百倍くらいの数がひっかかってきます。

いわゆる戦国時代に台頭した武家の思い入れというのは、この旗印に象徴されるようなものだったのだろうな、と思えます。武田信玄の風林火山にしろ、生きて生き抜く果てに死す、というような、本当に刹那を極めたものだったのだろうな、と。

しかも、私はまだ1/3しか読み終えていないので、これから和歌山に移動してからの、忍びの里の話などもてんこ盛りにやってくるし、壮絶な兄や父の最期などもあるわけです。この物語の主人公は、まだ1/3の段階では、真田幸村ではありません。が、そうなることは予感できるようにはなっています。

真田幸村はこんな人>でも、ここにもあるように、生存していた頃には実際にはこの名は通用しなかったようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%94%B0%E4%BF%A1%E7%B9%81 
風貌は、小柄で小さく、醜男ではなかったにしろ、美男ではなかったらしい。小説の中では、童貞を捨てたことなども、創作であるにしろ描かれており、その歳が23歳ということになっていて、「ああ、なるほどな」と思わせる、いいイメージつくりにはなっているように思える。が、ドラマではいい男でさんざん評判だった草刈正雄が演じており(1985年放映)、なんだか違うような・・・、でも原作は同じだぞ・・・(汗)。私の感性が鈍すぎるのだろうか?と、ふと困ってしまうのである…。かと言って、作者を全面的に信用しているわけでもないからね(笑)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%94%B0%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E8%A8%98_%28%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%29 

表裏一体:相反するかに見える二つのものが、根本では密接につながっていること。また、その関係。

この粋を理解するかしないかで、生命は左右されるように、ここのところ本当に噛み締めています。本・ストーリーだけではなく、日々においても、です。たとえば、銃撃についてとやかく言う人たちがいろいろいますが、裏を返せば「自衛問題」にもなり、どこまで自衛していいのか、彼らは本当に言い張れるのだろうか?と。そして、「銃撃をしかけた能動者がひょっとして自衛行為として、それしかもう手段がなかったのかもしれなくて及んだ」と考える余地はないのだろうか?と。サバイバルというのは、譲り合いやムードスウィングや、一言に傷つくなどの細かいものから、こうした集大成めいた表裏一体な概念で左右されていきます。なので、底抜けに身勝手な人々は、戦国時代にはかなり早く死んでいたことでしょうね・・・(汗)。

恐ろしく単純な登場人物がいて、真田家の兄弟の従兄弟にあたる純粋な男が、幼年時代には兄を慕い、それがゆえに、父の側室を殺そうとし、そののち、決戦の折にそれまで彼を否定し続けていた弟が彼の武功を讃えると、兄にはこれまでずっとしてもらっていなかった、なぜだ?と恨みに思うというくらいなのです。そして、今度は弟一筋に愛を、執着にまで変えていく。この明快な単純構造・・・。この表裏一体を、私たちひとりひとりが日々抱えており、それが生命問題にまで発展することは、実際のところはそんなに少なくはないのだろうと思えるのです。

がゆえに、派閥や学閥や閨閥や財閥は消え行かぬし、人気はイメージで操作されるし、お金の高を数字だけの上っ面で見て物事を判断することは止まないし、TVも視聴率や経済効果を生むものばかりが先行し、人類の脳が、どんどん縮んだたらどうするのか?と、私などはたいへんに心配してしまうことになるわけです←ひとりで抵抗したって、なんら変わるものじゃーないのだけれども(笑)。

それほど責められないからこそ困るのが、お金に困った人が、生命保険や健康保険や養老年金保険などを解約してしまうこと。将来がないのだから、ここぞという今使っているのかどうか?を判断するのは、本当に難しい。ここを切り抜けたとしても、表裏一体の特質があるこの世のすべてに例外はなく、生き延びてしまったがゆえに、この解約を将来必ず悔やむことになるのです。ここを切り抜けて、また効率が悪いとはしても、生命保険や健康保険や養老年金保険などを再整備できればいいのだけれども、「ここぞと思うほどの窮地」から抜け出せる可能性は、一体どのくらいあるのか?

父や母を知らない子どもに対しての、人々の考え方もそうです。閨閥(妻の姻戚関係で結ばれた勢力・集団)で繋がったトレンドがまだまだ重きを置いて見られる世の中では、孤児や親に早くに死なれた子どもや、親を知らない子どもたちは、すでに特典がひとつないわけです。こうして、「ある・ない」の2進法だけで、表裏一体な問題を左右していく事柄が、この世にはいかに無数ほどあるものか・・・。

もちろん、それが基数だとみなすことが悪いというのではありません。まず大切なのは、相反するように見えるその基数のふたつは、根本では密接に繋がっているということを認識しているかどうか、です。その次には、その先にもっと果てしないたくさんの枝分かれがあることで、かなりどうでもいいことなのかどうかをわかってから、熱くこだわってもらいたいな、とつくづく思うのです。ほら、私のカニなんてのは、熱いだけでかなりどうでもいいことなのね・・・。だからカニだけに熱心な時間数と、粗食を重ねる時間数は圧倒的な比に、意識的にしているのだけれども・・・。

社会科学を長く続けてきてよかったな、と思うのは、こんなことも本で毎回楽しめるということです。誰が正しい、何が正当だ、何が理想だ、などということは、コインの裏表論議であり、かなりどうでもいいことなのだ、と、いつでも投げて負けられるというのが、私のサバイバルにおけるゆとりなのだろうと思います。母の場合は、この「負けるが勝ち」が負け惜しみになることがたくさんあり、本当に貧乏はつらかったのだろうな、と慮れるところですが、他人の褌で相撲を取っている分には、「かなりどうでもいいこと」のほうが圧倒的に多いというのは、今、私は強く感じています。社会的な問題について、無関心であることは哀しいことですが、それらに対して何が正しいと大上段に構えることも、同等に哀しいことなのではないだろかな・・・。何しろ、物事は、表裏一体のサダメからはどうしても抜けられぬのですから。

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