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親の存在

1999年に書いた文章です。

 

私の両親に関する内容のエッセイをいくつも書いてきましたが、私には親に対する「恨み」はありません。かっこつけるとかいい子ぶるわけではなく、純粋にそんな時間はもうもったいない、それに費やす時期が終わったということでしょうか。それは人により違って当然であると思われます。親はSignificant Others(重要な他人・重要な影響を与える個人)のうちのひとりです。たとえ育てられなくてもそれには代わりも変わりもないし、自分がどこから来て、どんなプロセスで今の自分になってきたか、という出発点に近いところに居たことは確かです。

チャットでAOLのメッセージボードの話をちらっと聞いて、読んでいなかったのですがけっこう深刻そうなので覗いてみました。ちょっと多すぎて情熱と時間不足になってしまいました。大体の主旨はつかめました。教育を考えるスクエアチャットにも毎週お邪魔していますが、そこでも親に対する恨みやつらみをまだまだ持っている成人は多いです。

なぜなんでしょう?何年も何年もかけて親を恨み、それでも子どもを産んで育んでいく。ある人は自分が親のようになることが怖くて子どもがもてないでいる。私が自分の体験を丸ごと忘れてしまったのではありません。私も自分のDue(当然与えられるべきもの、支払)はありました。父に関しては父が私を渡米に出してくれたときにほぼ解決していましたし(24歳)、母に関しても父の一周忌が終わったときにはほぼ解決していました(30歳)。どうしてもそれぞれが人間として立ち戻ったときの意見の相違は受け入れました。まだまだわだかまりがあった親から受けた傷痕の残り・私が親に与えてしまったであろう傷痕の残りは、石灰化して、風に放たれていきました。今ごろはどこにその感情があるのか、かいもく見当がつきません。けれどもたいへんにラクです。逃げたわけではなく、抵抗してきた死骸がやっと風化したような感じです。そしてその風がまた巡りめぐって戻ってきたときに、大きなエナジーに変換していることを頬に感じたりします。大きな風車になれた私にまた戻ってきてくれたような気がしてならないときがあります。

それを「親を超える」と呼ぶ人もいるようですが、私が精神的に両親と対等になったと感じたのは11歳のときです。彼らを人間として見始め、「親」というのが社会的役割に過ぎず、その権威の下には性があり、人間としての一個の彼らがいることをきちんと理解できました。そんなわけで、親としての権威をふりかざす場面に矛盾点をだめ出しすることができるようになり、そのいさかいのような抵抗は私が大学を中退(結果的には除籍)し、渡米のための手続きが終わるときにはもう終わりました。その後から私と両親のInteraction(相互関係)はたいへんなごやかであり、真摯であり、率直なものになり、心理ゲームみたいなことはなくなりました。こんなにラクなことをなぜもっと早くやれなかったのだろう?と今は思います。しかしこれも必要であった、成長のためのプロセスであったと今ならば思えます。

親は子どもが成長して超える存在でもないし、年老いたときに面倒を見てさしあげる存在でもない、というのが私の考えです。超えて何かさらに親が生きてきたことより立派なことができるのか?と傲慢なことは考えられないし、時代の変遷を考えたら比べることがおろかでしょう。人間として「したい」ならすればいいことで、それが「親だから」ではないでしょう。相手が了解するならば歓んですればいいことで、老いることにネガティブなイメージがあるがゆえに起こる気持ちではないでしょうか?生死観はそれぞれが宝物にすればいいことですが、私はそのように考えると相手も自分もラクになれると思います。

私がいくつか書いてきた両親とのInteraction(相互作用)は平等な立場への広がりまでの関係を書いています。子どもだった私がどのような視点でモノを見ていたのか、それに両親はどのように反応したのか。逆に彼らがどのような視点でモノを見ていて、それに私がどのように反応していたのか。それが正しいとか悪いとか、ではなく、こういう積み重ねがあって私という人格の一部が成り立ったということを説明しています。このような経験が何をもたらすのか、少し考えるヒントになってくれればいいな、という願いを込めて書いています。社会の世相や時代背景にある象徴的考えが歴史の教科書よりも楽しく込められていて、更に、人の「生きる意志」を伝えられればうれしいですが、まだまだ未熟であるようです。

自分という人格が形成された出発点がいくら親であったとしても、どうしてその後の人生までも親に支配され続けなければならなかったのでしょうか?子どもだからお金がなかった?反抗したら殺されるところだった?このようにひどい例は数えるほどじゃなくなってきていたのでしょうか?今、大人である私たちが子どもだった頃に、そんなに親たちはひどいことをしてきたでしょうか?少なくとも私のまわり、私が大人になってから聞き得たこと、雑誌新聞記事の当時の様子からしてみると、統計的には今より少ないようです。けれども表面化していない潜在的なものの数はわかりません。私のひどい例というのと他の個人が感じるひどい例は違うとも思います。学校にも行かせてもらえなくて監禁されていたケースはいざ知らず、親以外の人間とのInteractionの力に対してはどういう考えがあるのでしょう?親御さんたちに不平不満をまだまだ積もらせている人たち…。何に対しても文句を言いつづける傾向にあるなら少し納得できるような気がします。どんな個人に対しても不平不満があるのならば、親も例外でない、というのであるならばそれはそれで個人の傾向のひとつです。その動機がさまざまであっても。愛憎の裏返しがもっとも色濃く出るのは恋愛と親であるのも確かなことなのかもしれません。

親がしたことはきっといろいろな要因が重なった結果、そのときに個人が正しい、いちばんよいと思ったことです。「親はこうあるべきである」という囚われに誰がどれくらい左右されていたかは私には直接ひとつひとつのケースを尋ねて廻るしか知る手だてはありません。それに対してどのような反応を示したのか、どういう感情を抑え込んでいたのか、子どもであった個人に聞いて廻るしか手だてがありません。時の流れによってドラマ化されたものを引き算する手だてもそう厳密ではないです。

ですから、こういったパワーゲームを前提にしないことで親子関係もまたSecure(安定した、安全な、保証された)なものになるのではないか、というのが私個人の考えです。ですから、個人を測るには「その個人の過去・現在・未来の可能性まで見据えて存在を肯定する」というのが私のモットーです。変化を容認しない人には未来がないように感じてしまうのは、このモットーのせいでもあり、「生きる意志」が感じられないのはまぬがれません。自然の法則のなかに生きている私たちは、この変化を受容しつつ、自分なりのSecurity(安定・安全・保証)を自分のものにしていくしか手はないでしょう。それがいつまで経っても変わらない、「自分が大切にしたいこと、もの」です。

それが「子どもである、無知である、非力である、正しい物事を選び取れない」という理由で押しのけられて常に却下されていたならば、大人になった今、何とかして挽回することは可能でしょう。子ども時代に親からの上から下へ圧迫されるパワーゲームに翻弄されたからと言って、未だにそれにこだわりつづけ挽回の機会を見られないことは、変化へのOverture(交渉開始・提案・建議・動議・序曲)さえも手の内に持たない状態です。

ここで人によっては「目には目を」という考えが横切り、大きく分けると二つに分かれます。親がしてきたことを反面教師にし、恨みを支えに二度と同じことをしないと誓う行動を反映させる方法。それでも恨みは残っていきます。もうひとつはパワーの矛先を変えてどんな力でもいいですが、恨みを動機として社会の中でのパワーを欲する方法。恨みはそれでも親に向けても残るでしょう。どちらもむなしいはずです。「目には目を」ではないはずです。それを選ぶ人の徒労や今ではなく先になってからする後悔を想います。

私は渡米まで両親の家から一度も出させてもらえませんでしたが(家出未遂3回・爆)、そのあいだに抵抗感が極微量になって本当にわだかまりなく留学生活を踏み出せました。それは私がしてきた抵抗に成果があったからで、彼らが私という人格に力を以って物事を押し通さなくなったということ以外の何モノでもありません。「親なんだから当たり前」「子どものくせに」という言葉は以後使われなくなりました。

昨日のチャットでも少し話をしましたが、親という存在にどうしてそのような重きを置くのか、私はそれが不思議です。恋をしたときの鼓動は親から受けた愛と比べられるたぐいのものであると、今でも思えるのでしょうか?都会の雑踏のなかを薄明るくなるまで遊び歩いたヨロコビは直接親への罪悪感にそのまま繋がっているものだったのでしょうか?親から与えられた1000円と自分で稼いだ1000円の重みは同じに感じたのでしょうか?お風呂に入ったとき、親御さんとまるっきり同じ場所から同じ順番で身体を洗う癖は今もあるのでしょうか?ピアスを開けた最初の瞬間に親御さんの顔を思い出したほうがちくり、痛い!というよりも先だったでしょうか?

親の存在は環境の一部です。大きな一部ではありますが、個人の大きな部分をすべて支配するものではありません。自分をコントロールするのは自分以外の誰でもありません。まだまだ物理的に離れていても離れられなくても、どうしてそんなに支配されたままでいるのでしょうか?どんな関係にも依存と自立のジレンマはあることでしょう。けれどもパワーゲームを止める準備はできないものでしょうか?親の存在とはなんぞや、ということが考えられ、彼らをSignificant Others(重要な他人・重要な影響を与える個人)とシンプルに考えることで、かなりな部分のわだかまりが消えていくような気がします。

簡単に言うとこれも「運命を親に委ねている」状態です。親の保護から保護をどこに移しても、恨みを親だけにぶつけ自分のしてこなかったことやしてきたことに対峙できなければ、Self-esteem(自己を大切にする心)は確固たるものになりません。

風はそこにいつもあり、水や火や土と共に私たちのそばにいつもいます。形を変えてもエナジーは脈打っています。だったらその恨みというエナジーを純化させてみてほしいです。そして自分が経験し終えた恨みの死骸が風化してさらさらな砂になり風に飛んでいく後ろ姿を大きくなった心で見送ってあげてほしいです♪

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これ、35・6歳のときに書いているんですが、特に考え方が変わっているところはありませんね。毒親という言葉が日本では流行して久しいですが、その負の感情に支配されながら暮らしていることは、やはり自分の負けだと思えないでしょうか?どうしても親と付き合えないのであれば断絶するなり、中距離や遠距離に置けばよいでしょうけれども、それも現実逃避や自分の一部から目を背けている状態であることは、理解したほうがいいかもしれません。自分の現在と未来のために、できうることをすべてトライしてみたか?をぜひとも胸に問いかけてもらえたら、と思います。このパワーゲームに負けたら、おそらく、他のパワーゲームにも負け続け易いはずです。

 

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