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親友とは

06/04/2008にアップした文章です。

 

昨日の英語のレッスンは、親友とは、というお題でした。感情的だったり、観念的だったりする英語表現だったので、いつもより進みが遅く、ディスカッションまで入れてしまったら、2個やらねばならぬ題材のうち、ひとつを残してしまった・・・(汗)。でもねぇ、意味が深いことなのでいいよね、とひとりごちて、そのまま進めたのである。親友とは、どんな存在なのか?といろいろ考えると、私は友だちが少ないしなぁと、けっこう反省しきりなのである。ところが、最近、アメリカに行ってしまう看護婦さんや、最近知り合った生徒さんが、かなり近しい存在に感じられてならぬのです。この歳になったので、友だちなんてもう要らないくらいな、ネガティブな設定をしていたのですが、もしかするといいのかもなぁ・・・などと思ったりもするわけで・・・。

 

過度な期待をしないように自分を躾けてきたことで、私はこれまで、かなり自分への負担を軽減してきたのですが、なんだか最近ゆとりがあるのです。このゆとりがどこから来ているのか?というと、いい歳こいても稼げることがわかったり、これまでの自分が歩んできた道のりというのは決して悪いものではなく、むしろよかったのではないか?と思えていたり、今後の方向性も悪くないんじゃないか?という仄かな予測があるからなのでしょう。あれほど東京暮らしに苦しんでいたのに、かなりな順応をしており、Maladaption(逆順応;順応を悪い結果を招くようにすること)をしていないという確信が持てているのもいいのかもしれないです。

 

とはいえ、ほぼすべての失敗は、Interpersonal Relationship(人間関係)のもつれから起きているという統計が出ているので、やはり友だち作りなどには慎重になっており、友だちの数は少ないほうがいいと自分の力量をしっかりわかっており、ヒトに心のすべてを預けるようなことは到底できないでいます。

 

親友って一体何なのだろう?と再び思う40代(爆)。なぜならば、高校生を教えていて、彼女もまた人間関係に鬱陶しい思いをさせられており、母にしろ、それほど近しい友だちはなく、西さんにしてもそれほどの距離感を縮めてつきあい続けている人はなく、いろいろな人を見てみても、友だちが多く、それぞれと深い関係をずっと持ち続けているという例は、かなり統計的には少ないのです。校長センセの月例同窓会などは、たいへんに稀なのでしょうし、その会の中でも人間関係の想いへのスタンスはそれぞれ微妙なズレがあり、さらに交友図と深さや距離などを考えると、おもしろいタペストリーが織り成せると思えるわけです。

 

親友については諸説あるので、たくさんリンクがあることだろう・・・(笑)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E5%8F%8B >特記したいような目覚めなし(笑)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8B%E6%83%85 なので、もうちょっと基本から考えてみよう、と「友情」について。

 

基礎は、「信頼」と「共感」だというのは、心理学でも学んだよなぁ・・・。

Goldbergの説がここにも出ています。

1.「役に立つ友情」:どんな理由にせよ、双方に有利、有益なことをもたらしてくれる限り、繋がっていく友情

2.「目的志向の友情」:なにか特定の目的があって、たとえば余暇に一緒に草野球、釣り、ゴルフなどを楽しむための連れ

3.「友情」:特定の目標、目的、利用を追い求めることなく、ただなにかの機会に知り合って、互いによく熟知しあったという友人。この関係の中での利害は伴わず、ただ友情それ自体が目的

 

ふーむ。私は人間としての志向性が決まってきてしまっていて、それを変える大きな根拠などもそれほど見つからないので、この1.や2.はあまり使っていないのだろうなぁ・・・。

 

友だちと自分が呼んでいるヒトから、有益なことをもたらしてもらうことなど潔くなくてできない(笑)。こちらからであれば、何かしてあげたいと心から思うのだけれども、こちらから求めることなどはちょっと恥ずかしすぎてできないです。「考え方」に関しては別物ですが、コネやその延長にある有利性などを求めるのは、ちと姑息なのではないか?と思える。

 

ヒトを見るときに、何を見るか?というのに密接に関係していると思うのだけれども、名誉や地位や経済的状態や学歴などを考えていくヒトには、けっこうこれは大きなポイントなのかもしれないなぁ・・・。職業や能力を「売る」立場にいれば、きっとそれらは役に立つのだろうけれども、友情という心の繋がり、特に信頼や共感を基礎にするものには、これはきっと関係ない場面じゃないのかなぁ、と、私が思うのでこれは「オマケ」として転がってくるもので、積極的に求めていくものではないでしょうね。

 

2.についても、私はひとりで何かをすることが好きなので、特にないんだろうなぁ・・・。日本に戻って来てから、「飲むのが好き」というヒトにもかなり会ったのだけれども、それで友情を感じることはないし、映画が好きと言われても、私も好きだけれども、日本の映画館の料金が高すぎて行きたい気持ちにもならないしねぇ・・・(汗)。私は趣味がないやつだし、特にコレ繋がりの友情を求めたいとは思っておらず、いっしょに何かをすることでヒトは繋がりを密接・深くする、ともあまり信じていないのだろうな(笑)。しかも、私は初対面のヒトと飲んだって、相当楽しめるやつなのだからなぁ・・・。友だち甲斐がないとよく言われるのもそのせいなのだろうけれども・・・。アイスホッケーなども、そりゃアイスホッケー好きの友だちと行ければいいけど、ひとりでも大丈夫なんだよねぇ。アリーナに行けば、そこにいる3万人のほとんどはみなアイスホッケーキチガイだから(笑)。その一体感や臨場感というのは、よそでは味わえない感じ。サッカー好きの人はきっとわかると思うのだけれども・・・(ちなみに野球は、かなりピクニック気分が入るので、あまり熱意のボルテージは常に高いわけでもなく・・・。ゲームの性質によるのだろね・・・)。

 

3.については、熟知というのがどの程度までのことを指すのか?という疑問が残ります。当人ですら熟知など完璧には無理なのに、他人がどのへんまで知ることができるのか?誰よりもその人のことを知っている、というのが親友や友情のバロメータであれば、私は昔、西さんの会社の人事なんかも当てていたし、今でも生徒さんに「えー!なんでわかるんですか!?」を連発されているので、読みという意味では、大して知り合いでなくともできちゃいますよね・・・。

 

ただ、「いっしょに時間を過ごすことが楽しい」という気持ちはわかります。私でもいくばくかは・・・。一期一会的なことが多い商売ですが、どんな生徒さんと居ても、楽しいのでこの仕事を続けているというのはありますね。そこには、純粋に「次の予約に取り付けよう!」などという動機付けはなく、やはりこの刺激をしたらどう反応するのか?というインスタントに見られる結果が楽しいというのがあります。私がよく知っている英語のことについては、特にその微妙な差がわかるからなのでしょう。

 

というわけで、よくわからないまま、ページ数が埋まってきてしまいました。私の親友は、ハワイに住んでいる21歳からの友だちで、本当にいろいろなことが波乱万丈にあって、見せてもらえてきたことに僥倖を感じています。彼女はこれからも強くたくましく、時に弱く、生きていくのだろうから、ずっと見せてもらえればなぁと思うのです。特に、会う必要性も感じず、会ったら昨日の続きができることがいいところです。

 

それに、西さんや母は、私のことを彼らの親友だと思ってもらえており、これは大切です。私も思ってるしねぇ・・・。家族と同じボルテージで、やはり彼らは私の親友です。うーむ。今後、どんな友だちができるかわかりませんが、また飽きられてもいいように、このまま醒めてやっていくのかなぁ・・・。まぁ、それでもいいんだけれども、とは思いつつ、もう少し考えてみようかと思います。

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