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貧しい人を本当に助けることとは?

2008-11-14 にアップした文章です。

 

寄付にも歴史がありますが、実際に本当に「寄付を必要としている人々」に届いているのか?という制度については、かなりグレーなままで続いてきています。21世紀になってから、NPOが次々と設立されるようになり、本当に必要な人に届けたい人々が、その意志をシステム利用して具現化しようとしています。貧しい人々を本当に助けることとは、一体どういうことなのでしょうか?

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%84%E4%BB%98 >寄付についての概念と、その粗めの歴史が書いてあります。

 

かく言う私も、24時間テレビに絡めてこの件についてはすでに書いたのですが、めったな団体には寄付はしないですし、寄付まがいのことは、日々の生活の中に取り入れたもので充分だと思っています。それは、私に莫大な備蓄や預金がないからですが、防衛本能とも言うべき、クリアでないものに関する疑い深い気持ちが大きいせいなのでしょう。

 

校長センセがコメント欄で書いてくださったように、本当に貧しい人々の役に立っていない感じ、というのは否めず・・・。

 

そもそも、NPOをやっていらっしゃったり、やろうとしていらっしゃる方々は、善意の人々が9割以上なのでしょうが、どこにでも腐ったみかんというのは実在するので、それが露見すると、一般人はどうしても疑ってしまうことになります。残念な現象なのですが、私も同じなのですよね・・・。とはいえ、懲りない私は、今、NPOを何とか実現しようとしているわけなのですが・・・。その動機が、親友のDouglasのご両親が経営している病院であれば、その使い道がかなりクリアだということや、自分が関わった限りは、日本の会計もしっかりクリアになるということ。とはいえ、NPOの濫立というのは、オススメできることではないのですが・・・。

 

私も本当に貧しい人間のひとりだったのです。この前も、ちょっといろいろと話しているときに、「高校生のときには、ブラジャーが2枚しかなく、1枚を洗い忘れたときには、濡れたままつけなければならず、それがひんやり冷たく冬は最悪だった・・・」という話をしたときに、なんだか胸のあたりが本当に寒くなってしまったのには、苦笑してしまいました。1000円ほどのブラジャーが買えなかったんですよねぇ・・・。

 

ひとつ思うのは、貧しい人間が貧しさの悪循環からなかなか抜けられないのは、お金の使い方が愚かしいままでいるからなのです。私の母は、当時は「月賦」と呼ばれていたのですが、ミシンや冷蔵庫やエアコンなど、月賦で買ってしまいましたし、その相談というものをだんなである父にまったくしなかったのです。父は多少の経済観念があったので、反対されることがわかっており、それでも生活をまともに廻していくためには、彼女としては必要だと思っていたせいです。

 

なぜ、貯まってから買うということができなかったのか?と、今考えると、アレが「割高」な買い物をさせられていると思えなかった、悪循環だったように思えます。今も、ちょっとした稼ぎがあれば、消費者金融などで気軽にお金が借りられるようになっているので、そうした悪循環に嵌まっている人はかなり居るのだろうな、と思います。たまにニュースで借金苦などについて、やっていますもんねぇ。

 

アフリカなどの発展途上国では、それが原因ではないのですが、先進国の貧しさ悪循環の中にはそれがあるんだろうな、と思うのです。

 

私がアメリカの大学の町、BerkeleyのHomeless Shelterの前に並んでいる人たちを見てびっくりしたのは、ほぼ8割の人がホームレスに見えなかったこと。私より高そうな、NikeのT-shirtsを着ていたり、Reebokのスニーカーを履いていたり・・・。安価で買えるところを知っているのであれば、ぜひ教えてほしかったほど(笑)。モデルチェンジをしたり、新製品が出たあとの値崩れモノだとは思うのですが、それでも身なりはそれほど衛生的に汚くもなく、ホームレスに見えるような着こなしでもなく、印象としてはさほど貧乏とは思えなかったので、びっくりした記憶が強いのです。

 

日本の炊き出しなどで見るような、アメリカのSoup Kitchenなどで見るような、貧しくてひもじい感じというのは、今は先進国ではレアものなのかもしれません。小説などにも出てきますし、映画などでもそういったシーンがありますが、ホームレスになってもホームレスなりの仁義やルールや賢さがあれば、生き延びていくことはできるわけです。賞味期限がついているお弁当を出している場所を知ることや(廃棄処分になるので)、暖が取れたり、ひんやりしている場所を見つける知恵があれば、悪循環から逃れずとも、生き延びていければ、というところで立ち止まってしまうのでしょう。

 

そうした意味では、ナニが貧しい人々を悪循環から助けるのか?と考えると、かなり難しくて煩雑な問題になってくるわけです。

 

私が貧しさを超えたのは、なぜか依怙地に「学校を続けよう」と思ったから以外に、ちょっと考え付くことがありません。手に職をつける、というのは、父にすでに呪いのように言われていたことだったのですが、手ではなく、頭に職をつけるというほうがいいのだろう、と思ったんでしょうね。手に職のヘリコプターのパイロットは、頭もちょっと必要だったし、私の視力では英語が必要だった(笑)。

 

でも、長い意味で安定した貧しさからの脱出を図るには、やはり教育だと思えるわけです。健康の次に、教育。それが実現できなければ、NPOであっても、政府が関与しても、たいした成果は上がらない。情熱やお金があっても、時間や手段があまりないゆとりがある人々は、そこを見て、寄付するのがよいと思えます。長い目で見た救済をしない団体には、寄付しないほうがいいです。まだまだこの「健康」だけで終わっているところがたくさんありますが、実際は、教育までを視野に入れた長いプログラムが必要ではないか?と思うのです。とはいえ、私が教える仕事をしている正当化のように聴こえたら恐縮です。

 

昨日は、東大生のレッスンをしたのですが、素地がある場合にはレッスンの時間がとても短いので、準備していたものの倍の内容がこなせました。まず、ノートを取るのが速い!さらに質問が的確である!私は、中学レベルを把握していない人をかなりたくさん教えているのですが(むしろ日本の英語教育の弊害で、そういう方々のほうが人口として圧倒的に多い)、そういう方々というのは、やはり勉強法を開拓していないように思えるわけです。

 

だとしたら、やはり貧しい人々を本当に助けるには、教育で、その教育の中の中心や基礎になるものを提供していくのが、人類の同胞を助けるための真意であると思っています。確かに、とっかかりとしては、飢えを凌いだり、健康を維持することのほうが急務なのでしょうが、それが叶ったときに、次はナニを?では、ちょっと遅いし、視野が狭いでしょう。自力でできる人は少ないですから、そうした支えを提供するのが、人類のこれまでの英知をフルに活用していくことと考えています。

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