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連帯感

02/02/2007 にアップした文章です。

私には、社会性のスキルがそれほどあるとはみなさず、一度もOLをしたことがなければ、正社員扱いでの仕事に就いたことがなく、いよいよこんな年齢になって、自分の会社の役員になったのです。それは一重に、私がどうも集団の中で、いつもしらけた気分になってしまうせいなのだろう、と思っており、その源のひとつには、「連帯感」の欠如というのがあるのだ、と思い至っているのです。絆・繋がり・結束感、いろいろな言葉に置き換えられますが、連帯感持っていますか?

連帯:(1)お互いが、結びついていること。気分が一つになっていること。(2)二人以上の者が共同で責任をとること。
感:(1)物事を見たり聞いたりして起こる心の動き。(2)心が強く動かされること。感慨。(3)接尾語的に用いて、…の感じの意を表す。

私とて、連帯感がまったくゼロということはありません。しかし、数値化してみれば、たいへんに「頻度(回数)」が低く、連帯感を持てる相手という「数」いうのが少ないし、連帯感を誰かと持てる「事象の数」も少ないのではないかと、この全体的数値の低さを思うのです。が、質だけは人並みにあるのではないかと。あるいは、むしろ、回数が少ない分だけ、その充足感などの感じ方に関する感慨は深いのかもしれない、という推論まで成り立ってしまいます。

たとえば、私の不思議だと他人によく言われる「テスト好き」もコレです。連帯感があまり得られず(爆)。そもそも同意してくださる方々が圧倒的に少ないのである。それは、おそらく日本での義務教育+高等学校と大学での授業を思い描くみなさまのバックグラウンドのせいで、24歳を過ぎてからも、しつこく、これでもか!と学校に通い続けた私は、アメリカの教育制度に入り、回りも相当な大人にも囲まれ(アメリカの大学は、やはり日本とは違い、25歳以上の成人の学生の割合は見て取れるほどに多い)、授業の展開やシステムも違い、そこから受ける感慨はまるっきり人生の醍醐味の一部ともなってしまうわけです。その中でのテストは、他のみなさまと私にとっては受け止めるセンスに違いが出て当然。

私にとってのテストとは、自分がそれまでしてきたことを「わりとインスタント(即座)に測れるツール」であり、他人がそれほどの大きな割合で介在しないのです。先生やクラスメイトやその他の評価は、ほぼ気にしない。少しだけ気にするのは、クラスを落第するかどうか・・・のみ。そりゃー、そのクラスを落とすような危機は付き物ですが、C以上ならばクラスを落とすわけもなく、ここまで学校好きなので、C以下になるのならば、「ただのヘタの横好き」になってしまうので、続いてはこなかったことでしょう。AからCのあいだの評価で、自分がしてきた;勉強方法・時間配分・理解の度合い・動機や熱意・体調などが見事に測れるので、たいへんに重宝です。科目によっては、人生のあちこちからの知識や経験を使えるものもあり、なんだか勉強せずとも取れる点数については、オトク感すら得られてしまいます。

他にも、家事の中で料理が好きなのは、割と短時間で結果が得られるからです。ジャージャーと炒めて終わる料理は、切って炒めて終わりなので、最速で5分とか?(笑)手間をさほどかけない長時間の煮込み料理ですら、待ち時間に他のことがこなせるので、料理は好きです。結果がなにかしら、1日に数度出るようなものが、相当にうれしいわけです。パチンコも同様。打った分が出る。いや、たまに不思議な変則機械に当たってしまうと、当たりすら来ないことがあります。私はのべで300回ほど台に向かっていますが、これまでに5回ほどありました。確率的には2%以下です。事故の範疇なのでよしとします(笑)。が、あのジャラジャラ音は、「それまで数十分打ってきたことの結果」なわけで、私はたまらなくアレが好きですね。読書もそうです。読み進めれば、目に見えない知識や心臓や脳の揺れだけではなく、目に見えたページ数という軌跡がそこに残る。こういう手に取れる安心感が、どうも私は好きでたまらないのだ。

やはり、それほどこらえ性のある人間ではないのでしょう。結果が得られるものを好きだというのは、弱い人間な証拠。けれども、たいていの人々は、テスト怖いの理由が、他人への自己の露呈なので、連帯感は得られず。さらに、インスタントな結果についても、みんな他の方法があるんだろうなぁ・・・。何かインスタントな結果を得られる方法があったらご教授ください(ぺこり)。それに、少し斜に見てみると、結果を得ていてもそれを実感している人たちばかりでもなく、もっと直截的な結果を得ているのかもしれません。お笑いブーム(何次なのかわからず・・・)も、料理やテストや髪を切るよりもインスタントなのかもしれず・・・。ただ、私にはこれはそれほどツボに嵌まるわけもなく、さらに、同じ箇所で誰かといっしょに笑えない・おもしろがれないのが実感できてしまうので、どうもダメです(笑)。

あ・・・、また自嘲モードになってきた・・・。

仕事では、決まりきったルールそのもの、システムそのものが、どうも私には不合理に思えることが多い。それをこつこつとこなしているみなさまと、連帯感が持てることはごくごく少ないです。私はどうも「こうしたらいいのに」「このほうがミスが少なくなるのに」「こうしなければ動機も上がらないし、結果も得られないのに」と、口先人間に見えてしまうようで、そのせいで尖がってしまうことがあります。しかも、集団で活動するということは、それだけ無駄が目に見えるということです。ロスや無駄について、「もったいないお化け」が背後霊な私(爆)は、どうも気になって仕方がない。ある人々は、「そんなの会社もちじゃない」とさらっと言ってのけるかもしれません。が、私にとっては元は同じなのよ。地球の限りある資源なわけです。どうも賛同できない。連帯感は得られない・・・。

(ここでまた陽さんにご指摘受けるのだろうなぁ。喫煙も飲酒もパチンコも、ロスと無駄ばかりですよ、と。でも、私は最近、飲酒は月に2回以下だし、パチンコもトータルものすごく勝っているし、言い訳しがたいのが喫煙だけだわ・・・)

私は孤独が相当に好きなので、もっと強く言えば、孤独な時間が1日に1時間以上は取れないと生きていけないほどきついので、連帯感を得られる事象や人や回数は、それほど多くなくていいのかもしれません。このあいだも、泣いているときには「放置しておいてほしい」という私の意見に、賛同してくれるその場にいた女性は少なかった。慰めてほしい・話を聞いてもらいたい・これからどうしたらいいのかアドバイスをほしい・とにかく抱きしめてほしい、などが意見だったのですが、私はあくまで知らん振りするか、放置しておいてほしい。理想的には、別室に行ってくれるだとか、出かけてほしいぞ(爆)。西さんは私のこの気性を知っているので、なぐさめたことなどもないし、人前で泣こうとする直前になると去ります(爆)。本と映画は別です。が、それについてあれこれ言いません。

気持ちがひとつになるヨロコビはたいへんに尊いものです。が、そんなことは実際はめったにあることではない、と私などは醒めてみなしているので、たまにあるヨロコビがたいへんにでっかいのです。連帯感をしょっちゅう感じていると、感動に捩(よじら)れるようで身体も心も持たないような気がする・・・。それは私がそもそも醒めた人間だからなのでしょう・・・。みなさんはいかが?

 

A couple holds hands on a beach at sunset.
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