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運の尽き

10/27/2006 にアップした文章です。

 

運というのは尽きるものなのでしょうか?たとえば健康。コレは西さんがいつも口癖のように言うように、「健康貯金」なるものがあり、若い頃から身体を鍛えておいたり、きちんとした食生活や規則正しい食事、定期健診などで、貯金高は高いままキープできます。ま、こう考えるとお金も同じなのです。学力や記憶なども脳神経系の病気や事故がない限りは、老化における徐々に衰えていくものを除けば、貯蓄は可能です。

が、運はどうなのよ?

運:(1)人知でははかり知れない身の上の成り行き。めぐりあわせ。(2)幸せなめぐりあわせ。幸運。

いやぁね、何でこんなことを考えているかというと、パチンコが原因です。8月末に戻ってきてから、今日まで、まだ3日しか負けがないのです。すごいことですよ、コレ。のべ50回だとして、50分の3ですから。勝率は、94%です。金額にするとエゲツないのですが、100万前後は行っていると思われます。母の行きつけのスナックのママには、パチプロと呼ばれており、まるで昼間に仕事をしていないかのような響きを持っています。あらゆる人にご馳走をして、母にお小遣いをあげて、それでもまだ余る。会社の営業費用の領収書も溜まりに溜まっていますが、ゆとりがあるので急いで精算しようとも思えません。なぜにこんなにもツキがあるのか?

フツーに暮らしている人の意見は、やはり「運」に偏るのですが、私は、パチンコは統計学だと思っています。何回転していて、何回の当たりがあり、何回転くらいで1回の当たりが出るか、などなど、何日分のデータを解析するかで、かなりの勝率が得られます。さらに資本金が多いほうがいいに決まっており、時間が割けるのであれば勝率も上がります。負けた日の翌日は、同じ台に戻り、ちゃんと元分以上のものを勝てることがほぼ95%。ただし、夜遅くになると、同じ台は取られてしまっていることがあるので、いつもいつも叶うことではなく、流行台や新台にこだわっていると負け率が高くなります。この統計学は、ランダムだとはいえども、分布の傾向をしっかり抑えておけば、ものすごい法則破りは2割ほどしかありません。ゆえに、私は「パチンコは運2割、プランニング8割」と豪語しており、「そのベースには、体力・資本金・時間」と付け加えています。

さとみちゃんが一度ものすごい法則破りの台に座ったことがあり、大負けしたことがあるのです。私も昨日、ものすごい台に当たってしまい、確率変動ではなく、ただの当たりが5回連続して来て、時間短縮での当たりも5回連続なし。そこまでに使ったお金は、継ぎ足しの分も含めて6万5千円。が、しかし、じっと耐えればやはり確率なので来るのです。6万5千円すべては戻りませんでしたが、5万戻ったので、マイナス1万5千円。これがこの2ヶ月弱の3回目の負けでした。今まで不思議なくらい儲けさせてもらっているので、怒りなどはなく、ただの疲労が残ったのみ。

私は3日分ではなく、10日分のデータが読めるお店に行くことにしているのですが、そこでは顔見知りがたくさん居て、缶ジュースやコーヒーをご馳走してくれるのです。昨日も長くかかったので、入れ替わり立ち代わり、いろいろな人が負け状態を気の毒に思い、肩を叩き、飲み物をご馳走してくれました。ありがとう♪いつも勝っているので、私もご馳走します。玉で支払うととても割安なので、私はいつも玉でお願いしています。こんなことも半年前までは知らなかったのですが、今は習慣のごとくやっています・・・・。怖いなぁ・・・。

そして私の運は尽きるのか?たとえ自認している分の運が2割だとしても、この勝率はすごすぎる・・・。あるいは、私の数学的解析がたいへんに正しいのだろうか?もしかして、運が5割だったらどうしよう、などと思うこともあるのです。実はパチンコも止めたいのですが、「勝っているうちはやればいいじゃない」との声援があり、なぜか続けてしまっているところなのです。腰にも悪いし、空気は悪いし、音もうるさく聴覚にも悪い。それでも続けてしまっているのは、どこかで「運試し」を続けたいという誘惑に負けているのだろうと思うのです。

もしも、人生全体の運が生まれながらにして、あるいは血液型や生まれ月、姓名などで決められているとして、その運の浮き沈みは周期的に訪れるとします。いやいや、占いってそういう傾向が大いにあるのですが・・・。そうしたほうが平等に聴こえるし、すっきりするし、信心も深くなるから、意図的にそうしているものもあるのでしょう。とすると、私の運もいつかどこかで尽きるはず、という推論が成り立ちます。それがいつなのか?

私にも不幸なことはいくつも訪れてきたはずなのですが、今振り返ってみると、それほど不幸だったのか?と「平気の平左」なのです。考えるに、PTSDはつらかった。椎間板を失ったこともつらかった。健康面では本当に引きずることがあるのでつらかったとは思うのです。が、しかし、他のアクシデントなどは「かなりどうでもいいこと」「耐えられるがゆえに与えられた試練」だと解釈するような状況なのです。しかも、それなりの根本解決を常に求めるポジティブな気持ちは忘れないで来られたし、ネガティブな恨みや後悔などは持っていません。コレはとても大切。でなければ前に進めないし、自分の人生の言い訳を「運」だけではなく、他人、しかも自分が触れ合ってきただろう人々になすりつけることになります。そうでなくとも、政治家や行政、財界人などのせいにすることも多い日々です。自分で自分の責任を取らない悪循環の傾向にある人は、倖せになれるはずもなく、運も寄って来ないです。まぁ、運が本当にどのくらいの割合で実在するかに拠るのですが・・・。

私は秋生まれですが、秋生まれだという事実をかなり気に入っています。たいへんだったのは母だけで、私は記憶すらないしね(笑)。真夏に大きなおなかを抱えて、たいへんすぎたのは母だけです。人生を春夏秋冬に喩えた場合に、秋はおいしいところ取りなのでちゃっかりした解釈をいくらでもできるわけです。が、何月に生まれたかも、自分が選択できるわけではないので「運」とみなす人が多いです。が、私の場合は「父と母に選択肢があったにも拘わらず、当人たちはあまり考えていなかった」とみなしているので、特に運だとは思えないでいます。まぁ、結果的にいつ生まれてもラッキーだったな、と。よく4月生まれの子は有利で、3月生まれの子は不利などという見方をする人がいますが、私はそれにも一長一短があり、特にそんなふうには思えないでいるわけです。

「運」の解釈そのものが、そもそも違うのかもしれない、という懐疑心は、いろいろなところに影響しているのかもしれません。多くの事柄に「運」の存在を認めていない。この傾向は、マイナスとしては自分が不幸な事故に遭ったときに、マグニチュードの高いショックを与えることになりますし、さらに幸運なアクシデントがあったときに、自信過剰に陥れ、感謝の気持ちを薄くします。が、「運」の存在を強く認めすぎている傾向は、マイナスとしては自分が不幸な事故に遭ったときに Learned Helplessness(学習してしまった無力感)の下地を強く持つことになりますし(運命として簡単に受け止める)、さらに幸運なアクシデントがあったときに、大きく驚き、自己評価や現実評価を正確に査定できず、必要以上の感謝をすることになります。Self-Esteem(自己尊敬心)が悪い意味で低いのは、運に左右される方で、もしかすると悪い意味で高いのが運を信じない人たちかもしれません。私は後者になる確率が高いので気をつけねば・・・。

しかし、本当にいつ運が尽きるのか?を自問自答する日々です。いつしか50回を超えてしまったので、数値的に不可思議な気分です。バクチはHouse Always Winsなので、勝率は50%以下というのが設定値なのです。それが94%ってぇのは解せぬ・・・。どう思います?

 

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