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音楽への愛着

10/09/2007 にアップした文章です。

 

西さんは、「クイズ クラシック・ドレミファ・ドン」か「クイズ ジャズ・ドレミファ・ドン」があれば、かなりそのタイトルや作曲家を言える人なのですが、私は中学時代に聴いたものをせいぜい50個くらい言えるだけだし、速さも大したことがないでしょう。ジャズにしても同様です。ポップスにしても演歌にしても、洋楽全般にしても、同じようなもので、私は音楽に対する執着はなく、愛着もそれほどない、ということは、はっきり判明しています。生涯で、通勤や通学のときに音楽を聴いた時間はわずか。なぜならば、私はバイクをかなり利用しており、音楽なしでも充分暇は潰せたのです。あ、みんな暇つぶしで聴いているわけじゃないよね・・・(汗)。

ドレミファ・ドンを知らない方のためにこちら
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%9F%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%89%E3%83%B3!

最近はiPodを利用している人をたくさん電車で見るのですが、私が高校生の頃は、ウォークマンでした。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%B3 デビューが1979年ということなので、やはり合致しているのですが、私はウォークマンを手に入れたのも遅く、最初のものは型落ち製品を誰かにもらっただけで、あとはアメリカに行ったあと、キャンパス内やシェア(家を複数で借りること)をしていて、音漏れがあったため、英語の勉強をするのに使った程度です。それももらったものだったか、プレゼントされたもので済んでしまった。のち、西さんといっしょに住み始めて、ハイキングのためのウォーキング練習をしたときに、初めて自分で買った記憶があるのですが、すでにCD用でした。

そして、今、iPodが欲しいか?と訊かれても、「いや、特に必要ないので欲しくない」と答えることになってしまいます。「音楽を聴いていたい」という欲が希薄なようなのです。

私が持つ、ハイパーさ加減を調整するための、1つのアクティビティとして、「耳を使う行動」はとても効率的なように、一見したら考えられるのでしょうが、実際はそうでもない。3つや4つやっている行動の中での配分が、ぐちゃぐちゃにされてしまう可能性がある、というのが、イヤホンやヘッドフォンをつける危うさなのです。しかも、音楽には、歌詞があるものがある場合には、私の場合、2つの行動になり、メロディを聴く部分と歌詞を解析している部分とで、大いに負荷がかかることになり、他の書いたり、読んだり、手を動かすアクティビティに影響があって、どうもうまくない・・・。


こういう問題じゃないだろう、って(爆)。確かに、こういう問題じゃーないのよ・・・。でもこんなふうに生活を限定していかねば、バランスがどんどん崩れて、狂人になってしまうかもしれない危惧があって、私も、10代後半からずっとかすかに苦労してきたってことなんだろうな、と思うの・・・。

例外ではなく、私も10代の頃は、いっぱしに音楽の話題にはついていけるくらいには、音楽を聴いていたはずなのですが、しかも、中学生の頃は全国レベルに達する合唱部に属していたのですが、その合唱部のせいなのか、自分の耳がいいことがわかってしまったので、自分の脳のパチパチ回転度がよく実感できるようになったせいも、一因としてあるのかもしれません。

本でもそうなのですが、どんな作詞家でも作曲家でも、自分のカラーというものがあり、その幅の広い人が表現したものには、しばらく夢中になれるのですが、どうもすぐに自分なりの「臨界=さかい。境界。特に原子炉で、核分裂が持続的に進行しはじめる境目」に達してしまうようで、「解析が終わってしまったら、もういいや」ということになるようです。その意味で、常に新しい音楽をプレゼンしてくれている人々が、あまりに少ない気がするわけです。クラシックは大作が多いので、歌詞がなくとも分類化できてしまうのが、歴史的な学者や研究家も多いのですぐに臨界に達してしまうし、演歌はほとんど、同じ傾向のリピートをアノ手コノ手で変えているように思える←傲慢な言い方ですが。ジャズも、コレ以上の発展はなく、クラシック同様、技巧や傾向をこれ以上進化していくようには、さほどに思えておらず。日本のポップスなどは、難しいほうに進んでいるわけでもなく、簡素化・素人でも歌えるように、どんどん安直になっており・・・(まぁ、作っている人々が素人の才能と素人の教育を出ていない傾向が強いので、当たり前って言えば当たり前なんですが・・・)、食指は動かない。

洋楽にしても、ダンスや服装やテーマをあれこれ変えて、個性を売っているものの、ラップミュージックがヒップホップジャンルとして統一されてから、他に出てくる音楽ジャンルは、きっと文化に根ざす「日常にあったもの」をジャンル化するだけなんだろう、と、かなり高飛車に考えている私は、こうして、音楽そのものに対する情熱や愛着を、それほど増やせないでいるわけです。

なぜに、このときに、右脳ではなく、左脳をフルに使って、涙を流し、胸を震わせ、昔の記憶を呼び戻さないのか?と問われても、「いや、音楽じゃなくても、他にそれらをしてくれる代用品は、世の中に山ほど溢れているから」という答えになっちゃうんだよなぁ・・・。映画はかなりいいのです。音楽も台詞も映像も混ぜ合わせ、才能を模索している野心もある俳優陣が表現していこうとして、配給会社の問題などもあり、テーマは本当に様々で、解析のし甲斐がてんこ盛り。しかも、1時間半から3時間ほどの長さがもたらす情報量はものすごい。それに比べると、私にとって音楽は、クラシックで30分ほどのピースもありますが、4分ドラマが何本も続くと、どうもニュース的流し方になってしまうのです。

今日の説明はわかりにくいだろうなぁ・・・。

アメリカに行ったばかりのときに、音楽でご飯を食べていきたいという人々には、「もったいない」と言われましたし、私自身もったいないと思いました(苦笑)。ただし、中学のときに基礎になる教養や知識は身につけたようで、特に、今、困るようなことはありません。紅白を見ても、「この人最近売れてないから、歌ってないんだな」などと歌唱力はわかるし、バンドによってのギターやドラムの上手さもわかります。変調を使う作曲家もわかりますし、売れている傾向というのも把握できています。

なので、冷静すぎて、夢中になりきれない、ということもあり、世の中に数多ある音楽の中で、「コレがいい!」と自分に合致したものを選びきれなかったというのもあります。同じですね。心理学の学派も、職業も、宗教も、私は選びきれないまま、ずっと無駄に教養や教育をつけてきた(爆)。気づくと味わいのない、無味乾燥な、頭でっかちなやつになってきているんでしょうねぇ・・・。

西さんのジャズやクラシックの聴き方は、ヘッドフォンをつけてもつけずとも、目を閉じて足を投げ出して、本当にリラックスタイムに見えます。脳はパチパチ反応しているだろうけれども、音楽に集中している感じ。ある意味、たいへんにうらやましいと思うのです。贅沢な時間なのでしょう。鍼を受けているときにも、音楽の効果などを考えてしまい、その選曲に対していろいろと考えながら、鍼の施術を受けているってどうなのよ?(爆)

かたや、英語の生徒さんにはiPodなどでCNNニュースやナレーションになっているAudio Booksをオススメしている日々です。この矛盾は何なのか?と考えたので、ちょっと長くなりましたが、考えてみました。「音楽がない生活なんて考えられない!」と胸を張って言える人って、倖せです。しかも、表現者の側(楽器でも作るほうでも)に居る人はとても倖せです。私も、そういう意味で、モノ作りに参加したいのですが、あまり才能がないようだ(爆)。

 

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