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頑固の追求 7ヵ月半

[1999年08月05日(木)]に書いた文章です。

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頑固:1.かたくなで意地っ張りなこと。人の言うことや情勢の変化などを無視して、それまでの考えや態度を守ろうとすること。頑迷固陋。かたいじ。2.なおりにくくしつこいこと。
意地:1.こころ。気立て。性根。2.自分の思うところを通そうとする心。3.物欲。食欲。

考えて考え抜いたという体験が誰しもあるはずで、100歩譲っても1万歩譲っても変れないことがあることはとってもいいことだと思います。その理由や動機が自分でもきちんとわかっていて、「なぜ」がきちんと説明できて自分が理解していて、なおかつ理解者が少なかろうが他人にちゃんと理解されているのならば、私はその「意地」ってかっこいいことだと思います。

私が想う意地の張りかたのかっこよさには、「巨人の星」の星一徹(すんごい名前である・爆)、高倉健扮する義侠(強気をくじき弱気を助けること)にあふれた役柄やら、西部劇のジョン・ウェインやクリント・イーストウッドのキャラクターなんかがあります。

こう、「何かを守るためにタフでなければ生きていけない」という感じ、いいですねぇ。身体の芯に電気が走っちゃいます。私の大好きなスペンサーもそういう人です。彼をとりまくキャラクターそれぞれもその種の「意地」をみんな持ってます。

それと個性とはまったく違うことや、人の話を聞かないとか、システマティックに習慣を重ねていることや、理由や動機が希薄なのにさらに自分の思うところを通そうとすることは、やっぱり雲泥の差があると思います。

でもフツーの人間の人生なんて滑稽なもんです。映画やドラマみたいには到底いきっこないです。ビビアン・リーみたいに49cmのウエストをキープするために、いつもいつもコルセットはめて生活するなんてなかなかできるもんじゃぁありませんし、健さんみたいに見も知らぬ誰かのために自分の生命を賭けちゃう事件なんかにもなかなか遭遇したくたってできないもんです。

私なんか西さんの便座ごときや、ネコたちのケンカで毎日四苦八苦してます。さらに、ストレスを解消するために、フットバスにしようか、ネイル三昧にしようか、もりもり食い放題にしようか、なんて迷っていて嫌になっちゃいます。どうして問題解決に向かってポジティブに邁進できないのかなぁ、なんて自分を瞬間嫌いになっちゃいますね。

でもねぇ、自分が選んで決めたことに対するケリは絶対につけられる人でいたいといつも思っています。休憩したって現実逃避したって、問題がそこにあるうちはずっと逃げまくっていられないわけで、やっぱりいつかはやらなければいけないこと。もしもやらなくていいような状態まで待っていると、まわりの人に「逃げまくりケツまくりおおだいら」なんて、今ある納得できないラベルの上に、さらにもうひとつやっかいなラベルが貼られてしまうわけです。

さらにもっと始末に終えないことは、自分のしたことっていうのは、極端に短い記憶がない限りはついてまわります。その記憶の苦々しさに呪われて、「どうしてどうして?どうしてできなかったんだろう?」とひとりSMをして次に同じようなことがあったときに、また腰が引けてしまったりします。そうするといつまで経ってもその「やってみたかったこと」「興味があったこと」「したほうがいいとわかってるのにできないこと」が、ずっとできないまんまで終ってしまいます。

何が嫌かというと、「自分は自分の決めたことができない人間」なんだって白旗掲げて降参しなくちゃいけないの、すっごく嫌ですね。自分を嫌いになる材料は他にもたくさんあるけれども、これができないのは死ぬほど嫌です。ときどき、死んだほうがましだと思うくらい嫌です。

で、そこで泣いてたって、食い続けてたって、飲みまくってたって、買物しまくっていたって、問題があることはわかってるわけで、「なんとかしてやろうじゃん!」ってガッツは生きていれば誰だって多少なりともあるはずだと思うんですね。飯食えないくらい挫けてたらだめですよ。生命体としての存続がまず第一優先です。早く飯食って寝ましょう。

こんなに自分が嫌いになるくらいなら、そんな意地にならないような意地や習慣や考え方なんかに囚われていないで、ぱーんっ!と棄てちゃって、自分をまっさらにしてみるといいですよね。で、人の話を聞いてみて、「アテにならないことは棄て、ためになりそうなことは聴く」と。依怙地になって守り続けてた考え方や習慣に、穴があったこと、誰かが指摘してくれるかもしれない。授業料もカウンセリング料も払ってないのにすごい!こんなにこの人は自分を気にかけて本気になってくれてるんだな、と感謝だって生まれちゃいます。

何でこんなことをつらつら考えていたかというと、私はもうすぐ入院態勢に入ります。生まれて初めての手術です☆意地があって、私は手術や自分で理解できない薬物に頼らない闘病生活を7ヵ月半してきたわけなんですが、どうもそれじゃー治らないことを悟ったわけです。時間かかりましたよぉ。薬物や手術にはどうしても頼りたくなかったです。すごい深い意地がありました。

ヘルニアやったあとに椎間板が圧迫していた、治ったはずの座骨神経が壊れちゃったのです。交通事故で足の痺れ再発。いろいろやりましたよ。鎮痛剤を合計で4種類替えて自然治癒を待つ・電気治療・鍼・マッサージ・フィジカルセラピーの体操・超音波治療・指圧・温泉熱治療・気功・骨髄注射。でも、やっぱり神経の細かいところ(もうマイクロすぎて説明できませんな)がやっつけられて麻痺しちゃってるんで、その神経が完全に動かなくなる前に手術して開いて神経そのものを治さないと、生涯びっこになるって言われて悩みましたさ・・・。

入院したことがないから、医療体制を信じてないから、なんていう意地じゃなかったです。私は自分と自分の身体の免疫と自然治癒を強く強く信じてやっていきたかったのです。英語では Hollistic therapy (統合的治療)というのですが、身体の一部だけをいじって何かをいい方に変えるということに、どうも納得できないでいたのです。「すべては繋がっている」という私が信じていることに反するようなこと、自分がしていいのか?なんて大袈裟に考えていたのです←私にとっては大袈裟なことじゃないんですが・・・。

何人ものドクターと7ヵ月かけて話をして学習をして、その「局所的」な短絡的な治療ではないことがやっと納得できたので、素直に手術を受けることにしました。長い時間かけて馬鹿みたいでしょう?でもねぇ、こうやって納得しないとどうしてもやっていけない不器用な人間なんです、私。

そして私が得た教訓は「意地」を張るのはとってもいいこと→で、その意地が何に支えられているのかきちんと検証すること→廻り道したように見えても自分が自分を好きでいられる解決策を必ず意地で見つけること→そして意地をさらに強固にしていくこと、でした。

そして私は今日も自分が好きです。

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自他共に健康を自負するワタクシなのですが、生涯で唯一手術したのが、坐骨神経が飛び出てしまったヘルニア。しかも!慢性疲労によるものではなく、事故だったのですよ(汗)。Barnes & Nobleという大型本屋さんのハシゴ(書店に梯子がある風景は日常なUS)の1,5mあたりから、ドーン!とお尻から落ちたのです。健康だったからこそ、この手術のために、やるべきことをすべてやってから手術、というプロセスを踏まないと気がすまなかったんですねぇ・・・。

 

そして本日、現在、そして未来も、この意地は強固です。英語では、Stubbornではなく、determinedでいくぞ!といつも考えております。

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