06/09/2008にアップした文章です。
ロイターのニュースを見ていたら、高校時代の過ごし方で職業の選択がわかる、すなわち人生の筋道がかなりわかるというのがあり、どのくらいの精度があるのか、調べたくなってしまった(笑)。アメリカは高校卒業までが義務教育なので、義務教育を終えなかったヒトには調査をしていないのだろうから、これもまずはどうかな?と思いつつも、悪くないんじゃないかと思いつつ読んでみた。
元記事はコレ>http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-32139920080606
この調査をリポートしているこの新聞社のライターの残念なところは、統計学の読みとしては年齢やら対象者をどのように抽出したかなどをきちんと書いていないところで、なんだか不満が残りはする。そもそもガセネタ化してしまうじゃないかと・・・。
まぁ、お題を提供してくれただけでありがたいと思ったほうがいいのか?
高校生の生徒さんが増えています。中学生も増えているのですが、この若い世代が大人になったときに、今のうちに習慣づけておけば必ず使えるサバイバルスキルというのを、英語という媒体を使って教えていけたらなぁと思っているところなのです。
と、ここまでは日曜日に書いたのですが、今はもう月曜日の朝です・・・。クタクタだと言っては本当にクタクタ気分になってしまうのですが、驚くべきことにまた10時間半も眠ってしまった(笑)。英検1週間前だったので、レッスンが相当詰まっているのです。昨日もフルに産業カウンセラーを終わってからレッスンでした。
私はイレギュラーなやつだったのだろうと、今までは勘違いしていたのですが、ほとんどのヒトがきっと私と同じで、義務教育から高校くらいのときにしっかり勉強をしてこなかったのだろうと思うのです。いや、した人は大勢いるのだろうけれども、「中学・高校時代にもっと勉強すればよかった」と後悔気味な想いを抱いている人は多いと思うのです。大きな後悔なのか小さな後悔なのかはまた別に考えるとしても、です。
ところが、私はまったくのところ、それについて後悔はしていないのでした。なぜ、後悔するかしないかの分かれ目のバロメータはひとつでしょう。「(大人になってからのある時点から)今も続けて勉強していてそれを確実に身につけてきているかどうか」なのですね。
ある意味、この高校時代の過ごし方により、職業を選択した人というのは賢い。39%ですから約4割。サバイバルするためのスキルは10代で身につける意識を持っていたと言えます。が、そのあとですよ、問題は。その職種が、就業してからもさらなるスキルを身につけていこうとするものであれば、大人になっても「学習」の態度は続いていきます。医療関係やITなどはこれからも未開拓の分野がどんどん現場で要求されていきますから、半強制的に学習をし続けていく態度を持たなければ、サバイバルしづらくなっていくのですが、現場での実感が薄い業種や職種を、その4割で身につけても、実際のところは「あとは性格やそれまで培った世界観やリソース次第」ということになってしまいます。そのリソースの中には、親や代々持っている財産なども含まれるし、コネなども含まれます。
学習態度を維持し続けていく人間は、その途中で邂逅した人々を大切にしたり切ったりして、サバイバルに役立つサークルを増やし続けていくのでしょうし、世界観もしっかり固めて行きます。
高校時代までの学びというのが、どれくらいのものなのか?あるいは、譲歩して、大学までの学びというのがどれくらいのものなのか?という国家の教育や国の文化が、なんとなく間違っているだろ・・・と思うのは私だけなのだろうか?
社会人大学が始まってから、はや20年。そしてこの数年で生涯教育もようやく始まったのですが、もっとこのシフトを強く使っていかねば、国力も低下するし、人々は倖せになれないでしょうねぇ・・・。方向性は間違っていないのに、どうしてこんなに時間がかかるのか、まったくわからない。アメリカでは義務教育が高校までで、それに達しなかった社会人は、Adult Schoolという市にいくつか分校を設置している学校に無料で、高校卒業までの履修ができます。そこには仕事を引退した60歳以上の人々もたくさん出席していますし、高校を終えられなかった若い人たちもたくさんいます。そのせっかく建てた施設を有効利用するために、市民にいろいろなクラスを提供しており、バスケットやダンスなどのフィジカルなものを体育館利用。水泳はプール使用。テニスはテニスコート使用。音楽室ではボイスレッスンやコーラス。コンピューター室では1日講座でWindowsマスターなど。いろいろ利用しており、市民の中でも「コレが足りないスキルかも・・・」と思う人は格安な値段で授業を受けることができるようになっています。
私も、Adult Schoolには相当お世話になり、社交ダンスのブラッシュアップをさせてもらったり、発音矯正のクラスやWindowsのソフトマスターもしたし、アクアサイズも行きましたねぇ。
日本の電車の中で、あれほど「資格取得」の本を読んでいる人が増えたのだから、そのニーズに国が応えるのは、急務になっていると思われるんですが・・・。ちなみにカリフォルニアのアダルトスクール設置は、1856年ですぜ(笑)。
私がアメリカに行ってよかったことで挙げるのは、1.スキンシップが大人になっても許される。2.自由な考えを表現できる。というのがありましたが、この「大人になっても勉強できる」というのは、ベスト3に入れておかねばならぬでしょう・・・。
私費でコツコツ勉強をする人が増えているのはとてもいいことですが、その私費を捻出できない人々が、できる人との格差がどんどんつくこともスコープに入れるのが政治家の眼力のはずです。貧乏人がお金持ちに対抗できるとすれば、あとは頭なわけですよ。机に噛り付くの勉強だけではなく、美術的なものや音楽的なものであったとしても、その機会は多いほうがいいですし、子どもたちも勉強する大人を見れば、義務教育の最中と高校や大学就業中に、もっと真摯に勉強してくれるに違いないと思えるわけなのです。甘いですかね?(笑)
「教師に気に入られていた」「生徒会の役員だった」などという項目もあるのですが、これは私には無縁なことであり(笑)、かなりどうでもいいというか、不幸な人々とも思える項目です。権威に迎合しないのが若者の特権であり、縛られた側に縛られた揚句、縛る役割を求めることを10代のうちに身につけるのか、かなり不幸だと捉えてしまう、私の精神構造に問題があるのか?(苦笑)とはいえ、西さんも生徒会長をやったんですけどね・・・(汗)。だから全面否定しているわけじゃないんですよ。要はその後、大人になってからも学習を続ける態度を持ち続けるということなわけです。
高校時代にもまったく勉強をしなくても、私のように大人になっても勉強を続ければ、これくらいにはなれるわけです(これくらいってどれくらいなのか、一言では言えないんですけども・・・)。が、時間を先取りして、「中学高校から勉強しておけばよかった」というのは、あながち間違いでもないので、高校や大学に入ったり、就業したときで勉強を終わらせないのであれば、やっぱり勉強しても役立つことはたくさんあります。人間、生涯勉強は続くのだ!と、みんなが子どもたちに教えてあげることができ、それを見せてあげることができるのが、いい社会なんでしょうねぇ・・・・。
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