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Batman Beginsに大いに学ぶ ~正義

 05/28/2006 にアップした文章です。

 

今日からしつこくBatman Beginsで4日展開していこうと思っています。Batmanシリーズは、典型的ハリウッド映画で、ポップカルチャーを大衆がエンジョイできる形にし、思いっきりエンターテイメントしてくれているもので、さらに、そこには製作側の意志や民意をポジティブに影響していこう、という前向きな姿勢が感じられます。ネタバレなので、これから見る人はぜひぜひ飛ばしてください。

私は、こういったものをわざわざ劇場に出かけて見なくなりました。ケーブルでの映画チャンネルの進化のおかげです。今回も例外ではなく、ケーブルで見たのです。ハリウッドがリメイクとして、映画化したものでは、歴代バットマンは;Michael Keaton, Val Kilmer, George Clooney, Christian Baleの4人で、2本作っているのは、Michael KeatonとGeorge Clooney。さらに、2008年公開に向けて、Christian Baleもプロダクションに入っているところです。どのBatmanが好きだったのかは、それぞれの好みがあるのでよしとしますが、いやー、今回のはよかったですよ・・・。監督(Christopher Nolan)が脚本も書いているせいもあり、うんと子ども向けではなく、大人が見られる傾向を強くしています。次回作も同じ監督が製作します。

私的には、渡辺謙の使われ方が残念でしたが、タイトルでは7番目にスーパーが出ていたし、大人気作なのでよしとする、ってところなのでしょうが・・・。歴代のBatman Ladiesの中では、今作のKatie Holmesは小粒だったような気がします。彼女は、Dawson’s Creekというシリーズドラマで活躍しており、映画はまだ12本ほどです。が、この中にはクレジットされていないものや端役が多く、主演・助演級は、半分ほどです。しかも、Tom Cruiseがらみのゴシップで、私はまったく期待していなかったのですが、けっこうすっきりしていてよかったです。いい女優になったかもしれないのに、少し現状が残念です。

このシリーズはいつもそうなのですが、すごい俳優陣になっています。アカデミー賞受賞者を3人も出せるってすごいよね・・・。贅沢な俳優に、贅沢なセット、贅沢なロケ、と優美さがハリウッドらしくて楽しめました。

が、そんなことばかりに目を奪われているだけではないのです。大きなお題がたくさん隠されていました。人は自分の人生を基準に物事を考えてしまうので、何に重点を置くかはまったくの自由です。監督に影響されたまま、イチバンわかりやすいものをピックアップするのもありでしょう。が、隠された裏ラインポイントを読み取るのも、映画のまた違った醍醐味なのです。

そして、ありきたりかもしれない、見た人が考えさせられるのが『正義』

正義; (1)正しい道義。人が従うべき正しい道理。 (2)他者や人々の権利を尊重することで、各人に権利義務・報奨・制裁などを正当に割り当てること。アリストテレスによると、名誉や財貨を各人の価値に比例して分配する配分的正義と、相互交渉において損害額と賠償額などを等しくする矯正的(整調的)正義とに分かれる。また、国家の内で実現されるべき正義には自然的正義と人為的正義とがあり、前者が自然法、後者が実定法につながる。国家権力の確立した社会では、実定法的正義は国家により定められるが、これは形式化・固定化されやすい。そこで、各人がその価値に応じた配分を受け、基本的人権を中心とした諸権利を保障されるべしという社会的正義の要求が、社会主義思想などによって掲げられることになる。公正。公平。(3)正しい意味。正しい解釈。経書の注釈書の名に多用された。

(2)を咀嚼できたでしょうか?主人公Bruce Wayneはビリオネアの息子として、何不自由なく育っていました。ところが、彼がコウモリへの恐怖と闘っているときに、それをきっかけのようにして、両親を失ってしまいます。お金があっても生命は買えず、がゆえに、損害賠償や等価分配など、幼いBruceにはどうでもいいことで、問題は、もっともっと裡側へとのめりこんでいきます。彼にとっての両親はあのふたりしかおらず、明らかに(1)の意味である正義を遂行しない人がいたがゆえに、生命が断たれてしまいました。

コウモリの恐怖があったために、観劇の最中に治安が悪くなっていたGotham Cityの路地裏に出て、両親は殺されてしまいます。コウモリを連想させる衣装と動きにすっかり気分が悪くなったBruceを誰が責めることもないのですが、彼は幼い胸で罪悪感を精一杯受け止めます。大学卒業後、服役後の解放聴取会で、他人に先を越されて、彼は復讐をする機会を奪われます。その後、町イチバンのヤクザボスと対面し、決意して異国で、正義のための修行を始めるわけです。

Batmanの起源がよく描かれています。

そこで、中国文化圏の中で、忍者風結社での訓練を受けるのですが、正義に対する考え方が違うことに気づき、せっかく訓練をしてくれた恩師の家を燃やし、殺すことはなかったものの、Gotham Cityに戻ります。さらに治安が悪くなり、不正義がまかり通りまくっている故郷で、彼は何とか自分が考える正義を貫こうとします。恩師が考える正義とは、正義を貫けなかった人には制裁を。同情や哀れみは無用。死や破滅を以って制裁する、という厳しいものでした。同じように、愛する人を失ったふたりが、違う考えを持ち、Bruceは、「制裁者にはならない」と断固拒否します。

正義を貫く方法は、2次元あり、ひとつは自分が正義を行動に移すこと。もうひとつは、他人の正義に関してどう解釈するかを見極め、その後、個人こじんに任せるか、あるいは他人の行動を規制し、コントロールすること。

恩師は、不正義の存在を排斥し、一切ゼロにすることを選びましたが、Bruceは、自分が正義を行動に移しながら、システムにより取り締まることを選びました。コミッショナーや警察、検察と力を合わせ、生命までは奪わないこと、です。

死刑制度やその他にも繋がる大きな世界観の違いです。私は甘ちゃんだと言われても、他人の行動を強く規制したり、生命を奪ったりすることに大いなる効果や価値を見出していません。人間がある程度の成長というハードルを超えたあと、必ず対峙しなければならぬのは、自分が起こした行動に対する責任であるからです。生命に危険がないから、バンバン女を騙して捨てていいのか?今のところ、自殺してしまうようなナイーブな女性を守る法律や条令はありません。言ったことに対しての証拠があったとしても、男女のことであれば、正義ではないことがまかり通る世の中です(昨日、宮部みゆきの『人質カノン』に掲載されている『生者の特権』を読んで思ったことなので、ちょっと無理がある表現になっているかもしれません;つきあっていた男の人に、他にも結婚を考えてつきあっていた女性がいたことを知らず、別れを告げられたときに、その男は平然と「君は結婚相手として僕にはふさわしくない」と冷淡に言ってのけるわけです)。ひとつは、そんなものを作っていればキリがないからでしょう。自殺法案も同じです。社会のどこに責任があるのか、ピンポイントすることが難しいからでしょう。

が、正義ではないことは確実に山ほどまかり通っており、それをナイーブに「いや、全般的にまぁまぁ正義なんじゃない」と言うことは、私はしたくはないです。どんなに悲しいことがあっても、自分が引き受けなければならぬことは確かですが、事件はひとりではたいてい起きません。誰かが関与している場合がほとんどです。その関与した人が、知らぬ顔をして、自分の倖せだけを考えるのは、不正義でしょう。

いつまで経っても成長せず、自分が起こした行動に対する責任を取れない人々に溢れている中、私はBatmanを見て、またもやシンプルなことを学習していました。私はどのようにそれらに向かっていけばいいのか?

Bruceのお父さんが言ったように、「落ちたら登ることを学ぶんだからいいんだよ」ってことです。生きてさえいれば、元気でありさえすれば、落ちてもまた登れる、大丈夫。正義は、貫く私の中にあり、何度も正義を貫けばそれが私自身へと変わっていく。が、正義は貫けない人の宝物にはならないわけです。それで、とりあえずはよしとしましょう。

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