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Can’t Divorce from Your Blood

09/28/2007 にアップした文章です。

 

週末はWashington D.C.とカリフォルニアから電話が掛かってきて、「ダラダラと何もしないですごして居たいモード」に拍車がかかりました。そして、夜には、もう10時になろうというのに、弟の末娘(8歳)から、学校の宿題のために、おばあちゃんにインタビューするための電話があり、家族の絆について考えてしまった次第です。

Douglasの娘と妻は、奥様のお母様の具合が悪いため、現在日本に住んでいます。玲於奈ちゃんとは電話で話したのですが、「日本のほうが好き!」と単純明快に答えていました。その理由は、アメリカでは車で送り迎えで、同年代の子どもたちと遊ぶ時間がたっぷりはなく、徒歩や自転車で遊びに行けるような場所が少なかったからなのだろうと思います。雪は降るし、D.C.の犯罪率は非常に高い(John Grisham, The Street Lawyer参照)。Douglasは娘と妻といっしょに居られなくて、とても悲しんでいるのですが、そのために、彼女たちに電話したあと、まだ私に電話を掛けてきたわけですが(笑)、少なくとも、お嬢は楽しそうです。よかった♪奥様も、お母様を見捨てておくわけにはいかず、決断は簡単だったのでしょうが、この半年、いろいろな想いをしたんだろうな、と、想像します。そこで、Douglasが言ったことは、ごくごく当たり前なことで、Can’t Divorce from Your Blood(血縁、自分の血からは別れることができない)というもの。

Douglasは私の母が大好きで、彼女の理解者でもあります。彼が心配しているのは、医者だからなのか、友人だからなのか、私の健康です。身体的に椎間板が2枚ないことにひとしきり注意をし(重いものを持ってはいけない。定期的にストレッチをして身体をほぐさねばならない。シャワーだけで済ませず、週に1・2回はお風呂にゆっくり浸からなければならない、などなど)、アルコールとタバコについても、またもやひとしきり注意をし、さらに今回は、糖尿病について警告されてしまった!私が朝ごはんを食べない習慣がバレたからです。それまでそのことが話題になっていなかったので助かっていたのですが、今回、お泊りがあったのでバレバレ(爆)。私はすこぶる寝起きがいいし、コーヒーを一杯飲み終わったらすぐに仕事にかかれるのですが、朝、トイレが終了しない限り、どうもごはんは食べる気にはなれない。なので、朝ごはんは食べない。「長年そうだ」と言うと、「あー、糖尿病になるよ。食べなさい。バナナでもいいし、ほんのちょっとの糖分でいいんだから」と。生理学研究者に、非常に常識的な医学を真正面から突きつけられると、「はい・・・」と返事をするしかなく(笑)。そこで、翌日から、私は朝すぐには無理なので、電車に乗って、通訳の仕事先に到着してから、就業開始前に、おにぎりを1つ食べることにしたのだ。それでも昼ごはんまでには3時間あるし、ちょいとした努力なのである。母がエクストラに作った鮭のおにぎりはでかすぎるのだけれども食した・・・。眠くなると思ったけれども、大丈夫なようである・・・(これは職場で鉛筆で下書きをしたものをタイプしています)。

そこで、母の話になり、当たり前の話をされて、ハタと気づいたことがあります。世の中には、自分の血縁から逃げたり、縁切りしたりする人は、山ほどいるではないか、と(母のほうが長生きするようで、どうしたらいいんだろうとか、彼女の意味の通らない母親らしい小言はどうしたらいいんだろうか、などという話からこう言われたんだけれども・・・)。

思うに、失踪や家出であれば、本当に文字通り逃げているし、縁切状を叩きつけているので、むしろ、清々しさすら感じられるのですが(いえ、でもやらないでほしいですよ、そんなことども・・・)、知らないあいだに連絡がモールス信号の間隔が空くようになり、ツツーっと消えていくなんていうのは、血縁に対してどうなのよ!?まぁ、絶縁宣言は、できないにしろ、せめて、モールス信号もどきの電話や葉書や法事くらいは維持している人々ばかりであってほしい。しかも、頻繁であったらうれしい。

私は、渡米した時点で、あらゆる血縁から「あの子はもういないもの」と思われており、戻ってきても、連絡は各方面にしていないのである。それというのも、父が死んで以来、15年余り、母は法事関係でしか彼らとおつきあいしていないのであった。母の親戚は、人工透析をしている妹しか残っていないので、彼女一家とはかなり頻繁に行き来をしており、調布-八王子で宅急便も相当に飛び交っているのである。京王線にポンなので、お泊りも気安くできるしね。

ということで、私はなぜか、2007年9月24日月曜日に、父方の親戚にちゃんと帰国の挨拶をしに行こうと決めるのであった。10月中にできたら理想なのだけれども、まずは電話をして、あちらの都合を尋ねてみようと。西さんがMBAのために渡米する前、今から20年ちょいと前に、父の田舎のあたりも登山していたので、いつか連れて行くと約束していたのに、その約束すら果たせていないわけである。厚顔無恥はここまで来ると、救いがたいなぁ・・・。

私はかなり「どこの馬の骨かわからないやつ」と自分をみなしているので、自分のBloodlineについて、誇りや維持せねばならぬ義務感というのは、まったく持っておらず、それを体現している証拠に、子どもも持たず、晴れがましい場所からなるべく遠くに暮らしています。

が、Counter-culture shockを1年経験してみて、私が譲らねばならぬことはやっぱりあるんだなぁ、と思うようになりました。そこが日本のよさである♪それが人情である♪と思えることも、時代劇からも学べたし、数少なくはなったけれども、人々のあいだの情の交わしあいなども、少なからず目撃・体験しました。大人にさせてもらったねぇ・・・(汗)。母と父が同じお墓に入ることはみんなから認知・祝福されたほうがいい。それは私がどうこう言うことではなく、母と父、本人たちが望むことだからで、I have no say in itなんですよね。私がどんなふうに自分の骨の処置をしてもらいたいか、というのとは別の話。ニホンテキという二次元的なことを避けることに囚われすぎて、第一義的な大切なことである「本人の意志」を見落とすところでした。そのために、同じ血が通った私ができることは、曲げてでもしたほうがいいことがたくさんあるのだ、ということを、再認識しているところです。

もちろん、いないほうがいい親だって実在するし、いなくてせいせいする親戚というのも実在します。離縁状も家出もありでしょう。それぞれの事情はあります。が、私の場合はそれはない。ワガママ言ってるんじゃないよっ!ってことに気づいています。

なので、私的に、Can’t Divorce from Your Bloodは否定しますが、私がつきあう人を決めることと、会員制クラブのようにくっついてくる縁やつきあいについて、もうちょっと考えてみようと思います。私は母とは離れられないので、彼女のことを心から尊重して、他の血縁にも敬意を込めて丁寧に接していこうと決めたのです。彼女は私の太陽ですから♪

というわけで、私は母の友人にもお世話になってしまったし(鍵事件・・・)、管理人さんや大家さんにももっと優しく接しよう、形式だけから入ったって、きっといつか本気になるだろう、と、少し大人になれるかもしれないと思っているところです。この決断は、吉なのか?それとも私の本質を損なうものなのか?どう思いますか?うーん、ちょっと深く考えると、いいことでもないようにも思える私は、やっぱり天邪鬼なのだろうか・・・。

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