I have been there for you

2009/02/16 にアップした文章です。

 

「私はあなたのためにそこにいるよ」という日本語表現になるのですが、現在完了という時制の意識が少ない日本語では、少し実感が伝わりづらいかもしれません。このThereというのは、「あなたのそば」という意味で、Hereというのが自分の脇を指しているという意義のあなたのそば=そこという意味。身体はふたつに分けることができないのに、ここにも居てそこにも居られるなどというのはおかしいのですが、英語的にはそのような距離感を表すことになります。なぜ、今日はこのお題にしたのか?

 

英語を話せるようになるには、この距離感・立ち位置・スタンスというのがキーポイントになってくるわけです。どうしてこれを中学だとか高校のときに先生が教えてくれなかったのか?今でも英語学校でそのような重要ポイントを教えてくれないのか?と少々腹立たしくはあるのですが、いいのです。だって私は教えていますから(爆)。

 

しかもなぜ今日はこのお題で書こうとしているのか?というと、やっぱり忙しくて毎日長めのエッセイは書けないだろうと思っているからで、私がアップしないときにも、「私はあなたのそばにいるよ」というのを含蓄しようかと←粋なのですが、実際は言い逃れテキ要素があって苦しい(汗)。

 

おかげさまで、自宅でのレッスンは順調に生徒さんの数が増えており、個人ファイルを作成するほか、講師養成講座のカリキュラムを作ったり、HPに「生徒さんの声」を載せようとしたり、あらゆるテキストをPCにスキャンして入れ込んでコピーをするときのテキストの劣化を防いだり、キャンセルや振替の連絡をするだけでもけっこうな時間となります。今のところ平均1日3レッスンあり、「なんだよ、6時間労働じゃないか!」と言われてしまいそうですが、実際は準備や添削やAdministrationやテキスト作りやその他があるので、+3時間くらいは働いている状態で、スキマがびっしり埋まるわけではないので、無為に待つ時間もあったり、そのあいだにシャワーを浴びたり食事をしたり、調べ物をしたり、と、まぁ、けっこうな時間が取られています。

 

しかも!私は大人であるにも拘らず、1日7時間半は寝ないと使い物にならないので、ここのところ睡眠時間だけは確保するようにしており、就寝前の読書を1時間確保するとなると、TVなど見ている場合でもなく、困ったものなのです。

 

たとえば、美容院のアポがなかなか取れない(爆)。なぜならば、私は1年に1回しか長い髪全体にパーマをかける必要がなく、今がまさしくその時期なのですが、長いので2人で巻いてもらっても相当な時間がかかり、きつめにかけてもらっているので、時間がかかる・・・。2時間半くらいかかってしまうので、キャンセルや振替が読めず、指名している美容師さんのお休みも週に1.5回ほどあるので、タイミングがなかなか合わないのであった・・・。

 

しかも、こう繁盛してくると、文房具を買いに出るのもけっこう頻繁になってきており、コピー機用の紙をはじめ、ホワイトボード用のペンやクリーナー、ファイルやその他、けっこうあるものである。さらにアマゾンで買い物をするのも日常茶飯事になってきており、なかなかたいへんなのだった。ちなみに私は買い物がものすごく苦手である(笑)。

 

あ、こんな戯言にスペースを費やしている場合じゃなかった・・・(汗)。

 

私は人との距離にメリハリをつけることに人生のポイントを置いています。それは小さい頃からで、なぁなぁの間柄や口も利かずに同じ部屋に他人といっしょに詰め込まれるなどということが、ものすごいストレスになるからだろうと思われます。会社勤めをこの歳になるまでまともにしたことがないのは(派遣はありますが、期間が決められているから耐えられる←ポイントは耐えているところ・爆)、自分にとっても相手にとっても心地のよい距離感というのが、ストレスを生まない第一課題だと私個人は信じているのです。もちろん、生物学的要因というのは、もっと負荷がかかりますが、それについてヒトは比較的気づけるので(光が強すぎるとか暗すぎるとか、音が大きいとか小さいとか、などなど)、我慢が重なってストレスを浴び続けていることを気づけないのが、究極的には人間関係だろうという推論を立てているわけです。

 

そして、たいていの人を見てみると、それは当てはまる、と・・・。

 

そんなとき、私がせめてできることは、I have been there for youと声をかけることくらいで、その人の生き方や暮らしぶりを、積極的によい方向に変えるということは、なかなかしきらないです。英語の生徒さんであれば、論理的に「なぜそのようなやり方はうまく行かないのか」ということが言えるのですが、友だちであれば言えるのですが、相手が距離感をある程度に保っているあいだは言えないままでいます。しかも、ポイントは「よい方向に変える」ということで、何がよいことなのか?というのは、全体像や充分なデータがないと、なかなか言い切れないことでもあるわけです。それには、距離感をある程度縮めたおつきあいをする必要があり、たとえ経験則で、「ふふうむ、こうだろうな・・・」などと思っても、質問を重ねて事実を収集したあとでなければ、そんな推測だけで、他人に影響力を積極的に意識的に与えてはならぬわけです。

 

ええ、私は倫理的にそう考えていて、私がただただ見せているあいだ(披露するだけで、教え諭すわけではない)に、受信側が何かをそこから拾い上げて学ぶというModeling(模倣学習)をしているのはよしとしても、積極的にこちらから、受け手側の利益や目標などを推測断定することは、言語道断だと思うわけです。その気になったらデータを収集させてよ、と、気長に話していくことくらいしかできず、会って話していっしょに学んでいくなかで、距離が縮まったら、知っていることは披露する、私はこうしているけれどもあなたはどう?あるいは、生物学的に社会的に統計学的にこうではあるけれども、あなたはそれについてどう考える?とくらいしか言えないのですね。

 

はっきりと言えることは、今はあなたはそこにいて、私はここにいる、という事実を打破したいくらい、あなたがつらいときには、そこにいるんだからね、と伝えることくらいでしょうか。それがI have been there for youという、他人事ではなく、あなたのことをあなたのそばで考えているからね、という態度くらいです。物理的にはぴったりと寄り添っているわけではないけれども、心と頭はあなたのそばにいるからね、と。

 

この英語表現はとても便利です。私というやつは、もう英語的表現や英語がなければ目一杯には生きていけなくなっているのかもしれず・・・。ん、まぁ、こうして説明することはできるんですけれどもねぇ・・・(汗)。日々楽しいので、こうしたことをシェアすることができる人たちが増えていきます。ある意味、自分のために教えていることになりますか・・・。そしてお金まで得られるのだから、本当にいい商売である・・・。うん。少し間が空いてしまうこともありますが、2ヶ月も開けることはありませんので、気長にI have been there for youな気持ちがありつつやっていることをご理解くださいませ。

 

 

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