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InputとOutputのバランス

8/30/2007 にアップした文章です。

 

私はてんびん座生まれなので、バランスに関して興味アリアリ。それもこれも心理学でいうところの、Selfを意識してのことで、「そうじゃないよん。ナルシスト気味じゃないんだからね」と思ってみても、切なく儚いのである。やはりヒトは自分の存在意義が確かにあることを強く希望しながら生きているわけで・・・。価値がない人間などではありたくないと思っており、それに脅かされすぎているといろいろと心の問題にぶちあたり、日常生活もうまく行かなくなっていくのである。が、今日はそんな話ではなく、インプットとアウトプットのバランスのお話。

インプット:入力;(1)電気回路などの装置に入れられる信号・エネルギーなど。(2)コンピューターに処理すべきデータを送り込むこと。また、そのデータ。インプット。
アウトプット:出力;(1)原動機・ポンプなど、機械や装置が入力を受けて、外部へ仕事として出すことのできる仕事の量。(2)機器・装置が入力を受けて仕事をし、外部に結果を出すこと。また、その結果。コンピューターが入力データを処理して、処理結果を出すなど。アウトプット。

今日も、脳について考えているのですが、何にせよ脳が中心になってしまうのは、入るところや出るところが、目や耳や声や味覚や手や毛穴にしても、それらを統合して制御しているのは脳なので、やはり脳に重きを置くことになるのです。しかも、私は脳の部位や働きについて、基本的なことは勉強したので、その知識を失いたくないこともあるのでしょう。医師になりたいなどというプランもなければ、それを生業にしたいというのもなく、ただ、仕組みや基本を知り、自分のことに純粋に役立てたいだけなのである。誠に身勝手なやつですんません(爆)。

ただし、知っている情報は、私は惜しみなく、尋ねられれば答えるし、思いついたら自分のメモ書きとして書き付けるので(このブログに書くことが多いのだけれども)、シェアしない断固としたイヤなやつではないので、そこはご了承いただきたい。ナマミの人間との交流が下手で、苦手で、やりたくないのか?と常々思うことがあるんですが、私は至って社交的な明るい人間で、「ひとりの時間をできるだけ多く取りたい」と発言すると、「意外だ!」から「うっそー!」まで、逆のことを考えているように取られることが多いです。

全般的に、人間関係でのInput-Outputは、切り取り式での部分部分で言えばまずいこともあるのだけれども、今まで生き延びていられているし、特に不幸でもないので、全般的にはこの方式でいいのでしょう(ただし、生霊が出てもわからないし、私を恨みに思っている人々の気持ちに鈍感かもしれず、もちろん、いつも考えてみる余地はあると思っています)。他人に関するデータは、本人に直接聞くことにしており、相手の顔色や態度を見て、答えたくないことについて深追いはしないし、特にいやらしいしつこく聞かないので、答えづらい雰囲気になるようなことも、私が気づくほどにはなかったので、その後のOutputに役立つInputだったと、全般的には言えるのです。ただし、アルコールを飲んだときには失敗が多かったので、いい歳をこいてきたことや、肝臓愛護委員会を発足させたこともあり、しかも日本文化にアジャストしていることでの疲労が肝臓や髪に来ている実感があるので、ちょっとアルコールの限度や回数をうんと減らしている最中なので、切り取り式失敗も数がうんと減っています。

昨日のエッセイに書いた通り;
1. バックグラウンドとその個人と当事者たちの元々の性格
2. 問題や事件や事実に直面したときのコンディション(取り巻く環境と個々人それぞれの)
3. その個人たちにAvailableなリソース
4. 3.から導かれる選択肢
5. 決断
に関連して、1.2.のデータ回収は必要なことがあるので、自分にInputしなければならない必要最低限はあり、しかも「ささやかだけれども重要な違い」に注目したいと願うと、やはり聞いているんだろうな、と思います。特に、自分の場合を考えるときも、「あなたはどう?」と、どうしても他人の意見を参考にしたいこともあり、1.から5.のすべてのプロセスが必要なわけでもなく、すでにわかっている場合は抜かせるので、5.だけを聞けばいいこともあります。

西さんとはそんな感じで、5.だけでいいことが多いかもしれません。ただし、母も西さんも、「自分の頭の中で考えていることは言葉に出しているはず」と思い込んでいることが多かったり、「常識的に相手に汲んでもらえるはずという期待の前提部分が大きい」ということもあるので、たまに確かめたりします(爆)。

が、私は自分の中の世界に閉じこもることがやはり多いのではないかと。しかも、私はたいていの人がそうなんじゃないかと考えています。特にへんなわけでもなく、勇気?を以って「私はひとりが好きなのよ」とおおっぴらに言える人が少ないだけで・・・。実際には、イチイチ言語にしたり、ジェスチャーにしたりするコミュニケーションとは面倒なものなので、Input-Outputの作業をすることそのものが、相当に面倒くさいことはあり(爆)。ひとりであれば、自分の頭の中のInput-Outputだけに気を取られていればよく、しかも、自分に特化していたことではなく、読書や映画やその他の他人事であれば、意識化にある真剣度や集中度に伴い、脳内ケミカルの分泌もなだらかなので、身体的にもラクだ。

ただ、人々は、「自分は他人にどう見られているか?」をかなり気にする社会動物なので、やはりおおっぴらには声を大にして言いづらいものなのである。が、私は言える(爆)。いいんですよ。機能的に合理的に短時間で効果大に、他人のためにもなる行動に考えを移すためには、ズボラでいるときやラクにしているときと、キビキビしたり他人に100%対峙している時間とのメリハリをつけたほうが。

最近は、コレを大声で言っているせいもあり、子どもを持たなくてよかったんだなぁ、とつくづく感じています。子育ては24時間なので、存在意義や役割などにも組み込まれ、心理的圧迫すら感じてしまう先天的な性格の人間もおり、私はそのひとりであることを実感するからです。私は、「まず自分であること」を優先する人間なので、どんなInput-Outputも自分中心で、そこから出発する量と時間の多いこと!子どもは分身なので、愛が薄い人間でもないようなので、子どもにこのエナジーを取られてしまったら、私は相当バラバラになってしまっていたのではないか?と思わずにはいられないわけです。なので、子どもを持って生き延びるほどに育てている友だちを見ると、まず敬意なのである。パートタイムでも子どもを借りることができて、少しでもラクになるんなら、私は歓んで引き受けるのですが、罪滅ぼしと自分の愉楽をいっぺんにできる行動なので、けっこう好きです。

そこで、Inputばかりしていて、Outputしていないのではないか?疑惑も出るのですが、確かにそうだったかもしれないです。書き日本語を失った頃、私は懸命に投稿をして、日本語復活を練習したのですが、それで2年後くらいに復活して、HPを立ち上げ、エッセイを書くことになります。コレはコレでやはりいい機能を果たしており、いいOutputになっているんだろな。

そして、真剣に始めたエクササイズでもOutputになることを願っており、まぁ、酸素はたくさん取り込まないと脂肪が燃えないのだけれども、脂肪を燃焼して燃やしたいもんだ・・・。Inputは読書で消化しており、朝のコーヒーのときのニュース読みでも充分なのかもしれないし、人々の観察でも好奇心を充たすために相当いろいろ見ているようで・・・。

やっぱりバランスを取らないと、どこかで支障が起きるので、ちょっと量や質について観察していこうと思っています。アイスホッケーの試合が見られなくなったので、Outputはやっぱり減ったのかなぁと思いつつ、それでも授業数が増えているので、きっとそれで代償としているんだろな、とも思いたいところです。みなさんのInput-Outputバランスはいかが?バランスが取れていることを祈っています。

 

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