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Mission ~使命~

 [1999年09月07日(火)]に書いた文章です。

Mission:1.a.((外国などへの))派遣団、使節団、在外使節団。b.使節の特派、送り出すこと、派遣。2.a.((派遣される人の))任務、使命、派遣目的。b.((軍))特命、(攻撃)任務、(ロケットの)飛行任務、任務を帯びた飛行。3.使命、天職(Calling)。4.((特に外国への))伝道・布教団体、布教所。b.伝道、布教、伝道任務[活動]、一連の特別伝道説教[宣教活動]。c.伝道区、専任の司祭のない教会。d.伝道期間。5.((貧民のためのセットルメント、隣保団。

使命:1.使いとして命ぜられた用向き。使いの役目。2.使者。3.自分の課せられた任務。天職。
任務:自分の責任として課せられたつとめ。
天職:1.天から命ぜられた職。ア.天子が国家を統治する職務。イ.神聖や職務。ウ.その人の天性に最も合った職業。2.遊女の階級のひとつ。天神の別称。

映画 Mission (邦題もおそらくそのままミッション)は1986年の作品です。Killing Field(邦題わかんないよ・・・爆)に携わったスタッフがたくさん参加しています。俳優は Robert DeNiro(ロバート・デニーロ)と Jeremy Irons(ジェレミー・アイロンズ)が主役です。それぞれ、 Man of the sword(剣の達人)と Man of the cloth(聖職者)を演じており、ふたりがそれぞれの考えで、18世紀南アメリカに布教活動をしたイエズス会に参加して、苦悩に翻弄されます。

歴史的な背景が大切なのは、植民地にするために宗教という名の下に強国スペインやポルトガルやイギリスが世界植民地化を展開していたときのお話で、日本では鎖国時代です。新天地に赴き、「自分たちの文化や世界観」を「未開地・野蛮人」に施して廻るということに、まず疑問を持たせられます。

これは自分に引き寄せると、お味噌汁の具やその切り方や味噌そのものが日本全国さまざまであっていいのと同様、「これがスタンダード。これが正論」というものを、自分たちから見て野蛮である・無知である・低文明であるとみなした人々と文化に押し付けることを思い知らされます。当時で最新の文明を見せ付けられた人々の気持は?見えない神が導く「よりよい人生」とは?これらは、時代を超えて私たちが未だ、まだまだ互いを思い遣り歩み寄る気持がないことを反省させられます。←国歌・国旗問題や、世界各地で起っている戦争などなど、歴史のなかで繰り返されてまだまだ解決していない積み重ねを、今、まだ私たちは背負っているのだと実感しますね。

「同じ物の見方感じ方考え方」に一見すると日本という国の単一だと言われている、同じ文化の些細な差異についても言えることです。差異があることは方言がたくさんあったり、人口や自然形勢が違ったりと、既に自明の事実があるにもかかわらず、時としては、「都会と田舎」と分け、時としては「単一・全体主義」などと形容し、その上にさまざまな情報が乗っかり、どれが本当なのか、よくわからなくなっちゃいますよね?

もっと引付けて考えれば、力を傲慢に使って相手に施してやっている、というのは本来のいい姿であるのか?深く考えさせられます。親子関係であれ、動物と人間の共生であれ、家族間の距離感であれ、いろいろに応用できる考えです。年齢・男女差・学歴・地域・方言・容姿などなど、ささやかな違いがネックになるような差別や力関係も、この映画の歴然とした大きな差の前ではぼやけて来るでしょうか?

脚本や時代背景で感じるこの大きなテーマの他に、俳優の名演技で見せてもらえるのが、人間の哀しい、 Faith (信仰・信念・信義)と Greed(欲・貪欲さ・もっと欲しいとする心)のあいだに揺れる真実の探求です。見ていると自分の価値観を再確認できて、偽善である部分の自分の複雑な矛盾も見えてきます。

自分の信念を守るために力に流されるのも運命なのか、それとも力には力を、というのも場合によっては仕方ないのか、よくよく身につまされるお話です。自分がこの登場人物の立場であったら?と考えながら見ると、本当に泣けて怒りがこみあげてきます。どういう行為が自分にとって嫌悪せざるを得ないのか、どういう論理にはどうしても納得できないのか、きっと見えてくると思います。

日本は宗教や神という考えがあまり根づいていない国です。八百万の神がいる神道から始まり、時代を経て、形式的な葬儀や結婚式があったとしても、そこに神が宿っているのかどうか、私には疑問な場面が多くあります。かく言う私自身も宗教は選べませんが、自分の心のなかに「神様らしき Higher Powerがいる」と強く信じています。ひとつに選べない自分を情けなくは思いませんし、自分の考える Higher Powerがいつも私を見ている、という意識はこうしてモノを書いていても、誰かと話していても、トイレに行っていても(笑)あります。

なので、当然、私は自分の考えを布教するための厳密な意味でのMissionを持ちません。天職もないです。Higher Power に話し掛けられたという経験がありません。ある人がたいへん羨ましいです。煩悩や雑念でアタマがいっぱいすぎて、不純すぎて訪問がないのかなぁとすごくがっかりです。宗教が選べない私は、形式だけの結婚式は挙げていません。どんなスタイルも選べなかったし、どうしてもどうしても結婚という契約に抵抗があったので(未だに実はある・・・爆)、婚姻をシビックセンターのなかにある裁判所で宣誓をしたときも、「死がふたりを分かつまで」というフレーズにだけは忠実に、と心に決めました。

しかし、他人はまったく関係なく、私は私が生命というものを与えられたがゆえに、Missionはあると考えています。それは自分が与えられたポテンシャルを生かしきるように、いつ死ぬかはわからないけれども、ずっと日々それを発揮できるように怠らないことです。今現在までに駆使してきたこと、学習によって身につけたこと、以上に、これからも潜在している能力、可能性のある力を決して諦めないこと。それが私の使命だということだけはわかっています。ただ面倒なのは、潜在している可能性なので、本当にそれがそこにあるかないか見極められないことですね。ゆえにそれがあるかないか、トライは何度も何度も、いろいろな方法で、いろいろなものにチャレンジしちゃいます。そういうわけで「下手な鉄砲数撃ちゃ当る方式」と、私は自分の日常の無駄を無駄と思わないようにしているわけです。無駄なことなんかないんだぞ、と☆

これは、自分がいわゆる世間で言われる「馬鹿」ではなかったのだ、という答えも引き出せました。長い時間はかかったし、廻り道はたくさんしたし、散財もしたし、よく泣いたし、いろいろなことを我慢したけれども、自分がいわゆる世間で言われる「馬鹿」でなかったことがわかってとても救われました。その大きなおまけは、たくさん水鳥のように涼やかな顔をしてがんばることで達成できたことや、新しくできなかったことができるようになったり、無知から知になれたりすることに伴う、痛みやつらさやいろいろな感情さえも、楽しめるようになったということです。慣れることができる動物でよかったな、と。

映画の話から無理矢理ここまで繋げたような気がしないでもないですが・・・まぁ、よしとしましょう。たくさんの人々のなかに混ざると自分がとても安価な人間に思えて価値まで他人に決め付けられているような錯覚に陥ります。けれども、自分のMissionを決めちゃえば、何となく他人は関係ないなぁ、とラクになれることもあります。しかし、そのMissionが他人の考えを捻じ曲げたり、力(暴力・知識・容姿・お金・学歴・便利さなどなど)を使ったものでありませんように、私は祈ります。自分の力は生まれて無に限りなく近かったところから、こんなに遠くまで来れたっていうことにあります。他人と比較することに大した意義はありません。

その点、私は自分のMission~ポテンシャルの花を咲かせる計画~がまだまだ次々着実に進んでいることにヨロコビを感じています。現在は自己免疫力や痛みの資料が取れるし、退院初日にはトイレに12分掛かっていた(杖で)が本日1分51秒の記録を樹立しました☆うーん、取り柄が取り戻せる☆なんて歓んで、何でも楽しめるようにしたいと思っています、自分のポテンシャルをなるべく全部に近く引き出して生涯を満足しつつ終えるために。

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この年齢でもまだまだMissionクリア状態になるまでは道のりが長いなーと感じているけふこの頃です(笑)。とはいえ、日々楽しく、「死にそー!」と言いつつ笑って限界値を模索できる自分のゆとりに感謝です。

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