Mr. Right

09/20/2007 にアップした文章です。

 

英語では、理想の男・自分にぴったりの男をこう呼びます。とってもコンパクトな的を得た言い方なのだけれども、どうしてなのか、男性側から、Mrs. Right, Miss. Right, Ms. Rightなどという表現はしない・・・。うーむ。「がんばる女の涙」の続きになっちゃうんだけれども、やっぱり生物学的ベースを持ち、社会学的にも、女のほうがMr. Rightを探している割合は多いんだろうなぁ・・・。そして、かなり前に書いた大黒摩季の『夏が来る』を取上げたのだけれども、言葉としては、「王子様」となっていたのだが、やはりメンタルに女性の中には、こんな考えがあるわけだ・・・。

私は、男気の強い女なので(笑)、Mr. Rightを探そうと思ったこともなく、結婚すらしなくてもいいと思っていたし、生涯身体が動くうちは、ずっと働くのがヒトの使命とすら考えているし(だから69歳になった母親を使うのが平気なんだろね・・・。私は家事は一切やらなくなったもんね・・・。言い訳はいろいろあるのだけれども、彼女のほうが好きで上手なんだし、もう外で働いてないんだから、彼女がやってくれれば私はその分仕事ができる、ということなどはすでに書きました)、Mr. Rightがたとえ存在したとしても、手に入れるものだともそもそも思っていないヤツです。

大黒摩季の『夏が来る』に象徴される「王子様」=Mr. Right探しの気持ちはわかるんだけれども、実は自分で考えるよりはわかっていないかもしれない。いや、おそらく10・20代では7・80%くらいはわかっていたのかもしれないのだけれども、以来変遷して過去形になったので、今じゃわかった気になっていて、わかっていないのかもしれない(ちとややこしい・爆)。ステージとしては、
1. Mr. Right(たち)はいったい果たしているのだろうか?
2. Mr. Rightなんていないじゃん・・・。いや、いるかも・・・。うーん。
3. Mr. Rightなんていたとしたって要らないよーう!
4. Mr. Rightなんて、私にはやっぱり要らないんじゃん。
などという段階があって、まだ夢がある段階では、「Mr. Rightはきっといる」と思っているあたり、まだ2.の段階なんだろう。もちろん、この派生としては、見事にMr. Rightにめぐり逢えて、周囲にMr. Right伝説をバラまくようになる女性はいるのだけれども、その結末は何年も何十年も経たないと、「一体全体本当にMr. Rightだったのか?」という答えは出ないところがミソ(爆)。境地に入ると、「Mr. Rightがいればいいけれども、実際、男に振り回されてばかりいる人生じゃしょうがないじゃん・・・」と思えるようになると、まぁ、かなりラクではあるのだし、サバイバルスキルもついてくるのだろうけれども・・・。

しかも、そもそも、女である自分って人間ができちゃーいないのに、これからどんどんいい方にも悪い方にも変わる可能性を秘めているのに、相手であるMr. Rightの将来性に同じ重きを置かないのは、不自然である。ダメ男になる可能性だって、現実としては充分にあるのだけれども、どうしてもそこはあまり見たくないのが、恋愛の最中でもある。まぁ、夢は見たほうがいいのだ・・・。

しかも、「結婚したい男」「寝たい男」などのランキングで上位にいる人々と、現実に結婚を考えてつきあう男との差は、「歴然とそこにある」んだそうです。なんだかここに夢はない(爆)(爆)。将来性への緩みがあるのか、果たして、思いっきりな妥協があるのか・・・←男性諸氏はコレについてどう考えるのか?

私にも、観賞用の男たちがいるんで文句はあまりでっかい声で言えないのだけれども、私は西さんの容姿はすごく好きですからね。「心がよいので外見はまったく気にしない」という100%きれいごとに徹しきれない煩悩の大きな女です(爆)。うれしいことに、西さんは25年経っても同じ体型を維持しており、私がであってからの19年も含まれているので、かなりラッキーです♪

自分に自信がなく、「この程度の男が私のMr. Right」というのが現実だとしたら、私は個人的にものすごく悲しい。多くの女性たちが、こういう妥協はしないほうがいいと思うのだ。私にはもう西さんがいて、生涯、親友であることが決まっており、そもそもMr. Rightは求めていなかったにしろ、結果的に間違いなくMr. Rightには出逢えており、他人のことまでクダクダ言うのはおこがましいのですが・・・。自分に自信を持てない状態は打破できます。不可能なんかじゃないですから。いわゆるバーゲン品会場のようで、「安いよ、持ってってよ、お兄さん的セールス」をしているかのような比喩が当てはまってしまうようなことは、どうしてもしてもらいたくない、というか・・・。それじゃ、違う不幸の始まりじゃないか、とも思えるのです。Mr. Rightを軸にしたり、考え方の中心にしたりする市場を、存続させておくのもなんだかイヤなわけですよ・・・。

どうしても譲れない、人間+異性(人によっては同)の中の、生物学的要求と心理・情緒(感情)・性格・倫理・信念に関する美徳は、誰にでもあると思うわけです。条件がさほどない、ユルユルな私ですら、眉毛や体格や体毛のリクエストはあり(爆)。基本となる考え方の根本が、損得で物を考える、というのにはとてもついていけないし(バランスでソレが要求される場面はあるにしても、私に対してそれが使われたらたまらん・・・)、1日24時間うるさい人は、私はどうしてもダメだ・・・。口数が常に多いと疲れてしまうからカンベンしてほしい。それに動物を愛せない人もダメだ。うん、こういうやつね・・・。

でも「この程度なら妥協しなくちゃね、私のMr. Rightになるかならないかの瀬戸際だもん」というのは、もう迷っていることそのもので、なんだか不思議。「できない我慢」を持つことは、人として大切です。「していい我慢とそうじゃない我慢」があることがわからなくなることが、いつかきっと来る。どんどん悪循環に嵌まり、「できない我慢」が「できる我慢」へと、かなり外的強制で変更されていくのです。

もちろん、西さんを選んだってことは、他の可能性のすべてを放棄したことでもあり(たとえ別れるまでの一時的なことだとしても、けっこう長いよ・・・。もう18年は過ぎたのだろうと思われる。もしかするともっとかもしれない・・・←いい加減なので憶えていない・爆)、「あー、この人いいな」と思うことがあっても、友だちでいられれば充分だね。なんせ私は枯れきっているし(笑)。

Better Halfのように、Mr. Rightも死語になってもらいたいものですが、なかなかそうはならないんだろうなぁ・・・。Better Halfは選んだあとに、自分と相手が1個体として考えたときに、どちらがよりよいか?という観点からの表現なので、選ぶそのもののことには実は触れていない、けっこう卑怯な(笑)語彙だったりします(笑)。人一人を1個体として考えきれないときに My Evil Twin(私の双子の悪いほうのやつ)という表現に似ているかもしれない・・・。こうして、まず最初に、自分が選ぶ段階でのことを考えておいて、いっしょくたにする、という順番がありき、なのですが、そうではないうちに選ぶと、苦労を背負うかもしれないわけです。その苦労が笑えて肥やしになるものだったらいいですが、そもそも最初から「苦労などをしないで済む、あるいはRightなのでそれほどしないで済む」という観点から選んでいると、けっこうたいへんなことになりますね・・・。

何度も言うようですが、ひとりでも歩いていける大人がくっつくことがそもそも大切なわけです。もしも、そこまで成長していなくとも、これから独り立ちしていけるように修行するから、そばで見ていて、いっしょに高め合おうよ、という気持ちでなくては、いっしょに居ても意味が薄れるのだろうと思います。

人生って、瞬きするくらい短いものだと思うときもあるのだけれども、けっこう長いと感じることも多いので、パートナー選びは大切よ♪熟年離婚もあるのだし、ぼーっとしては居られないのだ・・・。未だに、Mr. Rightというのがいるとは思っておらず、むしろ、Mr. Close to Rightのほうがいいような気もしている私なのである・・・(笑)。

 

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