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Self-betterment

10/14/2007 にアップした文章です。

 

私は質がきちんと伴う熱血漢ではなく、とにかく小さい頃から、「自分がイチバン大事」という気持ちに、「どうにかして他人も大事と思わなくちゃ」と、修正を仕掛けてきた感があります。世の中には、性悪説と性善説をわりと簡単に考えていく人々がいますが、私はそんなに簡単なものではなく、ごちゃごちゃで混沌としていて割り切れないのが、生命体の摩訶不思議さ=すばらしさだと信じているので、そんな考えはきっと先天的に小さい頃からあったのだろうな、と思います。今、便宜上で言っているわけではなく、躾けようとしてきた両親や祖母や叔父や叔母など、本当に、私のことをかわいらしいと思ったこともあるが、憎たらしいと思ったことも多かっただろう反応も考えると、そう受け取るしかないだろう、ということかな。

それというのも、母はとても正直な大人で、「子どもだからたいへんなわけじゃないわよ。大人になったってたいへんだし、きっと一生たいへんなんだろうね」だとか、「いいだとか悪いだとかどっちとも言えないよね」など、日和見なところを前面に出しても、まったく恥ずかしくない人だったのです。助かりました。厳格な父は、それとは正反対で、なるべく弱みを見せない人間であったので、私はどちらかというと父に似ていると言われることもあったのですが、実際のところ、その割合などは、バイオリズムによっても変わるし、環境や相手によっても変わるし、対象の事物によっても変わるし、しかも、遺伝子などではなく、生命体としての要素であって、似ている・似ていない問題ですらないのだろう(笑)。

「足して2で割ったらいいのに」という表現がありますが、我が家はそんな正反対の人々の性質や、言動が飛び交うところで、「一貫していないシグナル」は子どもを混沌とさせていくわけです。私は、長年、弟と私がどうしてこうも違ってしまったのか?を考え続けているのですが、その「一貫していないシグナル」をどのように受け止めてプロセスしたのか?(昨日のお題に繋がるのである)が、人がユニークに変わっていく境目なのだと思うわけです。

Freudが人間のサイキについて「結果から元へとたどり着くことはできるが、始めからどのようになっていくかを予測することは困難極まりない」という学説を出しています。それについては、多くの学説が懐疑されている中、誰も異論を唱えません。ただし、だからこそ予測をしようと必死な学界ではあるのですが・・・。特に、子育てについては、「このようにしたからこのようになる」ということは、あまり予定通りに起きてくれず、管理されていない中で、子どもたちがどのような事柄にどのような感銘や衝撃を受けて変化するか?というのに、親だとてイチイチ気づけるわけもなく・・・。さらに、自分を基準に生きているので、大人は「見えている当たり前のこと」ですら気づけないわけで(笑)。

ただし、「一貫したシグナル」を発信し続けることも、バクチ的な要素が強すぎるという弱点もあり、世の中の正しいや適性や的確は、変わるものが多いのである・・・。たとえば、「男は泣くもんじゃない」などということ。一滴も泣けないような定温動物な男に、女性が魅かれるような時代ではない定期的バイオリズムもあり、そうなると、生命体の第一義使命である「DNAの繁栄」が危うくなるわけです。「怖い親」などというのも時代によって変わっていくもので、私の父が目指した「家長制度の長の理想像」などは、24/7(日本語でいう、365日。年がら年中の意味)続けていけるわけもなく、家では水虫の手入れもするし、鼻くそもほじるし、子どものようにおなかを出しっぱなしにして昼寝もしていたわけです(笑)。子どもが世間を知るにつれ、「なんだよ、大言壮語じゃねーか」と感じられてしまう瞬間も増えていく・・・。

「何について一貫したシグナルを出すのか?」に焦点を持ったほうがいいようです。逆に言うと、「柔軟な態度の範囲についてよくコミュニケーションする」ということにも、関心を持ったほうがいいわけです。

私は親にならなかったので、子どもの頃からずっとやり続けてきたSelf-bettermentを、何の気兼ねもなく、おおっぴらに、かなり自由気ままにやり続けているのですが、かなり小さい頃に、この最初の概念であるSelf-betterment:自分をよりよくしていく、という考え方が、美徳であるということを実感して、信念にしてもらえたら、かなり成功率は高くなるのかもしれません。うーん、これは語弊があるな。子育てや人を育てるのは、特に実験ではないので、成功率などと言うと畏れ多いのだろう・・・。が、結果論として、無生物化して考えてもいいとなると、やはり、まずはSelf-bettermentするといいことがたくさんあり、まず出発点なのだといことが共通認識だといい。そこにも、強弱というのがあって、私はかなりそれが強い子どもであった、というのが強みになったのだろうと思えるのです。

私はこの世にあるかなりの物事に必要な感情や資質を「そもそも多く持って」しまっていたので、その後してきたことは、Taming(馴らし)が多かったと思えるのです。読書を開始したら、あまりにおもしろいので、時間を調整したり、暗いところで読まないようにしたり・・・。が、隠れて暗いところで睡眠時間をしっかり確保して、他のアクティビティとの優先順位を考えて、さらに読書し続けるというのをきちんと身につけるのに、10年くらいかかるわけです(爆)(爆)。なんと、学習能力の低い子なんだか・・・(汗)。最近でも、おもしろくて、睡眠時間を削ったことがあるので、ちょっと緩むと止め処がないのだということもわかっている・・・。

情熱にしてもそうで、私はそもそものところは大いなる熱血漢だったのでしょう。ただし、子どもなので、正義という軸がブレており、悪について容赦なく制裁を加えてしまうようなところが多く、ええ、無断で木登りをした男の子を木から突き落としたり、何度交渉してもやめてくれないいたずらばかりをやる子たちを、大きな落とし穴に自転車ごと落としましたよ(笑)。そんなとき、どんな態度を親が取ったか?で、私の正義への価値度合いが決まってきていたものなのでしょう。

技術的に足りないところがあったことは、今でもさほどないと思えるのです。43年生きてきて、何かが徹底的に欠落しておりできない、ということはないので、あとはすべてやる気の問題だと解釈しています。量子学などもやろうと思えば理解できると思っていますが、やる気がさほど起きない。基礎的なことだけわかっていれば、特に専門にするほど追いかけたくはないのです。苦手だとしている掃除や整理整頓も、やる気があればできるんですよ←言い訳がましいのか?その証拠に、今も掃除機を母がいないので朝っぱらから掛けましたし、泣いてでもやっぱりやらねばならないときは掃除はするのです。自分の衛生観・感性とやりたくない感とのせめぎ合いで、衛生観が勝てばやっぱりやるんですよね・・・。いや、まただらしないことをここで言い訳しているに過ぎないんですが・・・(汗)。

そして、私は、簡単に性善説も性悪説も唱えず、人々はみな、こうして自分が手をつけなかったことばかりで、実際は「かなり何でもできる」と強く信じているのです。あるいは「手をつけても、やり方が悪くてできなかったことばかり」とも思っているのです。なので、英語講師をしていて楽しい。「目からウロコ」を見るのが楽しいし、やる気を起こしてくれるのが本当にうれしい。人生の最も基本的なキーワードは「サバイバル」で、そのためにはやはりSelf-bettermentの連続なのである。

なので、誰がどんなシグナルを出そうとも、まずはそのシグナルをしっかり情報解析し、自分なりの結論(中途であっても)を出し、やる気が起きたときに、自分に則した方法で、行動にしていくことが大切なのだ、と、Self-bettermentを追い求める気持ちを持っていただきたいな、と、心から願うのです。

だってね、みんながそこそこそれなりによい方向に進めば、世界全体もよくなるのよ・・・。たまに例外があって、どうあっても悪い方向に大きい値で足を引っ張る人がいても、みんなで小さいよい方向を目指せば、なんら怖いことはないと思うのね・・・←超楽観的かしらね?

 

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