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St. Valentine’s Day

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私は斜に構えた子どもであったので、ヴァレンタインを心から楽しんだことは一度もありません。田中くんという男の子とつきあったときに、一度だけ真剣なギフトラップがしてあったハンマーつきのビターチョコレートを送ったことがあります。そのくらいかなぁ。あんなものは、普段、田中くんからしてもらっていたことの1万分の1にもなっておらず、彼が歓ぶならば、考えを1回だけ例外として曲げるのもいいかと思ったのです。

以来、商業的作戦が展開されている中、私はネオンライトを振り向きもせず、まっすぐ歩いてきましたが、ここのところ、やわなハートになっているせいか、せっかくのヴァレンタインを使わない手はないのかな?とも思うようになりました。

http://www.techdirect.com/valentine/origin.html ←1999年か2006年に検索したリンクなので生きていない感じです(笑)。

日本語にするのが面倒だ(笑)。が、すごいストーリーですぜ。

西暦269年2月14日に、Valentineのクビを刎ねたのが、ローマ帝王のクラウディウス。異国で家族や恋人たちと離れて出征して戦うことを不満とし、秘密裡に結婚させてあげたり、逃がしてあげていたValentineの罪を問うてのこと。他にも、牢屋に繋がれているときに、刑務官の娘にラブレターを出し、”From your Valentine”とサインした説もあるらしい。

さらに、ヨーロッパでは、2月14日に鳥たちが交尾を始めると広く信じられていたらしいのです。ゆえに、人間も、男の子が女の子の名前を自分の袖に書き込み、その女の子を翌年1年ずっと守っていく、という習慣が始まりました。これは、のちに名前ではなく、”With St. Valentine’s Love”というサインに変わり、想い人が周囲にバレないためにも貢献したらしいです。15世紀あたりから、フランスのメイドたちの習慣や、シェイクスピアなどもひねりを加え、現在の商業的な形に発展してきたらしいです。

が、謎が残るのは、なぜ日本では、「女の子から男の子に」なのでしょうね・・・。起源は、男の子から女の子へ、というのが最初だったことは書いてあります。日本女性としては、「求められる対象であれ推進文化」があって、この日だけは自分から想いを告げてもいい、という特例を作ったのでしょうか?だとしたらば、今の文化にはあまり当てはまらない、とも言えます。変えていきましょう♪

私がUSに来た1988年には、すでにウーマンリブ運動も定着し、法令もバンバン変わっており、意識として、女性が男性に、という方向性は一切ありませんでした。性別に関係なく、好きな人がいる人が好きな人に対して想いを表す日、というお祭りでした。私はそのほうがずっと理屈が通り、さらに商業的にも成功なのではないか?ともシニカルに思い、それでも、Valentine’s Dayを祝うことはありませんでした。

クリスマスにひとりで過ごすのはさみしい、という風潮と同じく、他人が決めたことに左右されるのは何なのだろう?と強く反発してしまっていたことと、貧乏留学生でお金がなかったことと、特にその日に想いを表さなくても、好きな人には毎日余すことなく表していたというのがあります。

でもなぁ、と近頃思うのです。私はこういう性格だったからよかったものの、何かに背中を押されることで、勢いがついて、日々フツーにできないことができるのであれば、それは大いに利用したほうがいいのではないか?と。西暦269年のように縛られており、ひもじくてサバイバルが大変であった頃の知恵というのも理解できますが、逆の意味で、多様化されたこの社会で、人の心は個別化され、心がひとつの方向に向くお祭り騒ぎもだんだんと表面化しただけの中身のないものになりつつあります。その表面化した中身のなくなってしまったものに、中身をしっかりつけて振舞える人々がいても、それはとってもかっちょいいな、などと思うようになってきました。

敢えて、この流行遅れちっくにも思えるValentine’s Dayを逆手に取って、ロマンを生み出すのはなんかいいのかもしれない・・・。ただクラブに集ったり、飲む言い訳にしている風潮の中、世の中には私とあなたしかいない、くらいのボルテージで、恋人たちの日を満喫することができたらすごいのかもしれない・・・。

私は田中くんに、ものすごい大きさの花束をもらったのです。当時のお金で1万5千円くらいしたんだと思う。私が切り花を好きではないというのを知っていて、そんなすごいものをくれた彼の気持ちは、そのとき、痛いほどうれしく、押し付けがましくない「どうにでもして」な気持ちが汲み取れました。あの花束はドライフラワーにして、かなり長いあいだいつまでも取っておきました。バイトが終わってからのお祝いでしたが、きちんとスーツを着てきた田中くんと、深夜のレストランでお祝いをしました。キャンドルの火が揺れていたことも思い出します。

うーん、もしもあれが毎年あったら、すごいことだなぁ、と今実感しています。パートナーも私も行事らしい行事はまったくしないのですが、今度いっしょに住めるようになったら始めてみるのもいいのかもしれません。あるいは、どんな行事につけても、会社のみんなといっしょにお祝いすることができれば、もっといいリタイヤまでの10年になるかもしれないです。

今回たった一度きりのValentine’s Dayを思い出してブルブル震えてしまいました。なんてまっすぐに愛してもらえていたのだろう、と。そして、そんなステキな人と別れてしまった私を、どうしてなのか?と思い、結果としては、アメリカに来ることができたのでよしとしています(笑)。彼はいくつになってもロマンチックな演出をして、奥様を楽しませていることでしょう。それは確信できます。

が、やはり私にとっては、何かを誰かにしてもらう、というのはおまけなのですね。うれしいグリコのおまけ、のような・・・。スーパーに行ってみたら、いつも買うパスタが1個買うと1個タダみたいなおまけ・・・。ピアスを買おうと思って出かけたら、Valentine’s Dayのせいで1年でイチバン安くなるセールをやっていたよん!みたいなおまけ・・・。

では、誰かに何かをしてあげるのはどうなのか?と、能動側になることを考えてみました。今回も、愛する皆様と離れており、特に細かい芸は披露できないものの、なんかやろ・・・♪と思うことになりました。まだまだ日にちがあるので、少し計画してみます。

どうです?今年はValentine’s Dayに乗ってみませんか?